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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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縁起の法
 縁起の法はお釈迦様が教えられた、真の仏教の修行と呼べるものじゃ。
 通常の観察では連想記憶と今、ここにあるものの観察が混在したりするが、縁起の法では今、まさに起こっている心と体の動きを観察することが出来る。
 悟りを得る前の者でも、煩悩を離脱出来る故に、煩悩を破壊し、真の悟りに導く修行法と呼べるじゃろう。

 では判り易く一つずつ教えて行く事にしよう。

 縁起の中でも一番判りやすいのは、やはり接触によって生じる感覚であろう。
 接触によって感受が起こる、という一節じゃな。

 観察で紹介した鐘の音を聞く方法であれば、鐘の音を聞く、耳から音が聞こえた、音によって聞くという感覚が起こった、と観察する。
 音に因って起こされる感覚を詳細に観察するのじゃ。
 それが大きいのか、小さいのか、丁度いいのか、澄んだ音であるか、濁った音であるか、高い音であるか、低い音であるか、詳細に観察するのじゃ。
 音を聞く、聞いた音によって起こされた感覚を観察する。
 この連鎖を何度も観察すると、次第に慣れて来る。

 そうなったら、今度は感覚によって引き起こされた感情や思考を観察するという風に、12縁起などを参考にして、少しずつ増やしていくのじゃ。
 そのプロセス、過程が自我無しで起こる所まで観察出来れば、観照が起こる可能性が非常に大きい。

 しかし、12縁起は一つの観察例に過ぎない。
 例えば12縁起は愛があるから取、執着があると説くが、執着があるから愛があると観察する者もおるかも知れない。
 その時は自分が観察した通りでいいのじゃ。
 要は今、ここにあるものを観察する事であり、12縁起はそのためのモデルの一つに過ぎないのじゃ。
 
 例えば強い情念を持っていて坐る事すら出来ず苦しんでいる者でも、縁起に従って観察する事により、情念の影響を脱する事も可能なのじゃ。
 その為には情念によって引き起こされる苦の過程を、縁起に拠って観察する。

 例えばモノや人に執着する苦を抱えている者なら、執着によって苦ありと、この位は観察出来るであろう。
 更には苦を感受する感情がある、感情が苦を逃れようとする逃避がある。逃避によって一時的な安楽があると、どこまでも観察していくのじゃ。

 人の心身の動きは次々に連なって止まる事は無い。
 一度、止まったと見えても、実は更なる逃避や忌避によって目隠しされているに過ぎないのじゃ。
 それらの過程を次々に追っていけば、全体的な観察が出来る事になる。
 全体的に観察する事で、観照はより起き易くなるのじゃ。

 真にお釈迦様の教えられた縁起の法は、煩悩を破壊し、速やかに人を悟りに導く法と言えよう。


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悟りを得るための修行法Ⅲ縁起の法 | 13:59:16 | Trackback(0) | Comments(2)

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