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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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強い心になるのじゃ。
  わしに相談する者は自分の弱い心を嘆き、強い心になりたいという者が多いのじゃ。
 人と合うのが怖いとか、人になにか言われると弱気になるとか、人も外の世界も怖いから部屋から出られないとか、自分の心の弱さを嘆いているのじゃ。
 そのような心の弱さに苦しみ、強い心になりたいとわしに相談するのじゃ。 

 強い心とは自らの弱さを知る心なのじゃ。
 自らの弱さから目を背けていては、心は強くなれないのじゃ。

 自分の弱さから逃避していて、何か別の観念を用いて強くなろうとしても無理なのじや。
 観念は最初は効いても、用いる内に効かなくなってくるからなのじゃ。
 本来の心の状態が弱いままであるのに、強いと思い込むだけであるから、効かなくなるのじゃ。

 例えば体についた傷口に布を当てているようなものじゃ。
 傷口に布を当てれば最初は血が見えず傷も見えないが、徐々に血が染みてきて傷も塞がらないのじゃ。
 傷を治す役にはたたないのじゃ。
 
 それよりも傷がどこにあり、どれぐらい傷ついているのかを完全に把握し、手当をしたほうが良いのじゃ。
 そうすれば傷も速やかに治るのじや。

 心も同じように弱さを隠蔽して自分は強い強いと言い聞かせても、弱いままなのじゃ。
 むしろ自分を偽っているせいで弱くなったりするのじゃ。
 集中の瞑想をして不動心を得ても心は強くはならないのじゃ。
 心が弱いまま不動になるだけなのじゃ。
 不動心もまた万能の薬ではないからなのじゃ。

 それよりも自分の弱さを知って原因から観察すると、弱さがなくなるのじゃ。
 心の手当は調査することと、治療することが一つであるからなのじゃ。
 完全に詳しく自分の心の弱さを観察できれば、それだけでも弱さが消えるのじゃ。
 
 今まで逃避していた自分の心に直面し、真摯に見つめるのじゃ。
 その弱さはどこから来るのか、どのような時に、どのような場面で弱くなるのか、くわしく観察するのじゃ。
 そしてその原因を追究するのじゃ。

 原因がわかれば、原因が心に思い浮かんでいる時には心が弱く、原因が心にない時は弱さがない事を観察するのじゃ。
 そうすれば心の弱さは消えていくのじゃ。
 心から弱さが一つ一つ消えていくにつれて、心は強くなってくるのじゃ。
 人を恐れていたものはもはや恐れなくなり、外が怖かったものも怖くなくなるじゃろう。
 そのように実践して心を縛る障害を乗り越えて進んでいくのじゃ。
  


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悟りを得るための修行法Ⅲ縁起の法 | 19:02:59 | Trackback(0) | Comments(27)
縁起の法
 縁起の法はお釈迦様が教えられた、真の仏教の修行と呼べるものじゃ。
 通常の観察では連想記憶と今、ここにあるものの観察が混在したりするが、縁起の法では今、まさに起こっている心と体の動きを観察することが出来る。
 悟りを得る前の者でも、煩悩を離脱出来る故に、煩悩を破壊し、真の悟りに導く修行法と呼べるじゃろう。

 では判り易く一つずつ教えて行く事にしよう。

 縁起の中でも一番判りやすいのは、やはり接触によって生じる感覚であろう。
 接触によって感受が起こる、という一節じゃな。

 観察で紹介した鐘の音を聞く方法であれば、鐘の音を聞く、耳から音が聞こえた、音によって聞くという感覚が起こった、と観察する。
 音に因って起こされる感覚を詳細に観察するのじゃ。
 それが大きいのか、小さいのか、丁度いいのか、澄んだ音であるか、濁った音であるか、高い音であるか、低い音であるか、詳細に観察するのじゃ。
 音を聞く、聞いた音によって起こされた感覚を観察する。
 この連鎖を何度も観察すると、次第に慣れて来る。

 そうなったら、今度は感覚によって引き起こされた感情や思考を観察するという風に、12縁起などを参考にして、少しずつ増やしていくのじゃ。
 そのプロセス、過程が自我無しで起こる所まで観察出来れば、観照が起こる可能性が非常に大きい。

 しかし、12縁起は一つの観察例に過ぎない。
 例えば12縁起は愛があるから取、執着があると説くが、執着があるから愛があると観察する者もおるかも知れない。
 その時は自分が観察した通りでいいのじゃ。
 要は今、ここにあるものを観察する事であり、12縁起はそのためのモデルの一つに過ぎないのじゃ。
 
 例えば強い情念を持っていて坐る事すら出来ず苦しんでいる者でも、縁起に従って観察する事により、情念の影響を脱する事も可能なのじゃ。
 その為には情念によって引き起こされる苦の過程を、縁起に拠って観察する。

 例えばモノや人に執着する苦を抱えている者なら、執着によって苦ありと、この位は観察出来るであろう。
 更には苦を感受する感情がある、感情が苦を逃れようとする逃避がある。逃避によって一時的な安楽があると、どこまでも観察していくのじゃ。

 人の心身の動きは次々に連なって止まる事は無い。
 一度、止まったと見えても、実は更なる逃避や忌避によって目隠しされているに過ぎないのじゃ。
 それらの過程を次々に追っていけば、全体的な観察が出来る事になる。
 全体的に観察する事で、観照はより起き易くなるのじゃ。

 真にお釈迦様の教えられた縁起の法は、煩悩を破壊し、速やかに人を悟りに導く法と言えよう。


悟りを得るための修行法Ⅲ縁起の法 | 13:59:16 | Trackback(0) | Comments(2)