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鬼和尚天空

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死の喩え
 死とは旅行のようなものとして喩えられよう。
 人は旅行する時には目的地や行き方など調べ、なるべく快適に過ごそうと思うものじゃろう。
 滞在が長くなるほど、沢山の情報を知ろうと思い、集めるものじゃ。
 それによって不安を無くし、事故に備え、楽しい期待も高まる。
 もし長く旅行しなければならないのに、行き先も行き方も判らないのなら、不安に苛まれ、ストレスを多く受け、不安から逃れ様として多くのものに執着するだろう。

 死とは永遠の旅路のようなものじゃ。
 永遠に行かねばならないのに、多くの者は行き先も行き方も判らない。
 ただ恐ろしいものというイメージを投射し、漠然とした不安や恐怖を抱えておる。
 それ故に人々は毎日、不安に苛まれ、金や権力や名声に執着し、互いに争い、この世を苦しみながら生きておる。
 金や権力や名声によって死を超える事など出来はしないのに、不安や恐怖によって正常な思考も無くし、無意味な競争に貴重な時間を失ってしまう。
 人生そのものを、無駄に失ってしまう者も多いものじゃ。
 死の不安が、それら煩悩の原因であるとも言える。
 
 しかし、もし、死を超える事が出来たなら、死によって消える事の無い不死の境地に辿り着いたなら、もはや死の不安に怯える事は無い。
 金や権力や名声に執着する事も無くなり、争わず、この世を楽しみながら生きていけるじゃろう。
 そして死を迎えようという時にも、お釈迦さまの様に楽しいとすら言えるじゃろう。
 死によって変化するものは何であるか、恐れていたもの何なのか、それらを観察し、厭離出来れば、死の不安は無くなり、初めてより良く生きる事が出来るのじゃ。

 死を超えると言う事は、むしろ不安を無くし、より良く生きる事であるとも言えるのじゃ。
 死の不安によって、人々にとってこの世は皆苦であるが、死の不安を超えればこの世も皆楽になる。
 それは決して不可能な事ではない。

 お釈迦様や幾多の先人が成し遂げてきた事なのじゃ。
 同じ人である者に、出来ないという事はありえないものじゃ。
 みんなも修行して、死を乗り越え、楽しく生きるのじゃ。


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テーマ:悟り。 - ジャンル:心と身体

わしの考え | 12:29:03 | Trackback(0) | Comments(4)

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