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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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本当に努力する価値ある事に努力するのじゃ。
 例えば子供達が砂場で遊んでいるとしよう。
 お互いに泥団子を作っていたら、まん丸で綺麗な泥団子に子供達は欲しがるじゃろう。
 そのような泥団子を欲しがり、それを貰うためなら作った者の言う事を聞き、他の物と好感したりする事もあるじゃろう。
 泥団子に執着し、可能な限り綺麗な泥団子を数多く集めようとする。
 しかし、母親が呼びに来て、遊びが終わりになると泥団子は何の価値も無くなり、もとの泥の塊になるじゃろう。

 この世にある金や権力や名声なども、全てこの泥団子のようなものじゃ。
 それはこの世に居る間だけは役に立つ。
 しかし、死という誰一人避けられない現実がやって来た時には何の役にもたたない。
 泥団子が遊びの時間を過ぎればもとの泥になってしまうように、金や名声や権力も全て無くなってしまうものじゃ。
 
 そして更に無くなってしまったものがある。
 時間も無くなってしまうじゃろう。
 金や名声や権力を追い求めるのに使った時間は、二度と元には戻らないものじゃ。
 金や名声や権力は必ず失い、無くなってしまうものじゃ。
 それを手に入れるために時間を使いすぎれば、泥団子を作りすぎた子供のように、費やした分だけの時間を失ってしまうものじゃ。

 金や名声や権力を手に入れようとするのは、現実的に見えて実は子供が泥団子を作って遊んでいるのと変わり無いものじゃ。
 死という誰もが避けられない現実がある限り、どれほど 金や名声や権力を積み上げても時間によって無に還る。
 それは100%確実な事であり、誰にとっても現実というものなのじゃ。

 そのような死によって終わる事の無い境地だけが、本当の現実に対応していると言えるのじゃ。
 そのような境地を得る為に時間を使うのなら、それは遊びではなく現実に生きる事と言えるじゃろう。
 消えてしまう時間によって消えてしまう金や名声や権力というものを追いかけるならば、それは夢の中で生きているのと変わりは無い。
 いずれ死によって何もかもが夢となるじゃろう。
 消えてしまう時間によって、消える事の無いものを求めるならば、永遠に消える事の無い意識にたどり着くじゃろう。
 死によっても消える事の無い不死の境地に至れば、不安や憂いは無くなる。

 賢い者はこのような現実を知り、不死の境地に行く為に時間を使うがいいのじゃ。
 真摯に追い求めればそれは必ずやって来る。
 そして何もかもが始めから在ったのだと、静寂と平等と沈黙の中で知るじゃろう。

 
 


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テーマ:自己探求 - ジャンル:心と身体

悟りの真実 | 14:48:13 | Trackback(0) | Comments(6)

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