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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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絶望には修行が治療じゃ。
 多くの賢い者は、この世の無常にに一度は絶望するものじゃ。
 かつてお釈迦様が四つの門を出て、死人と老人と病人とを見て、それを超える出家の道に入ったように、無常を感じて世の中を捨てるのじゃ。
 
 今も学者は、人はいずれ全て滅び、死後も何も無いという。
 それでは科学とは人に絶望を教えるものという事になる。

 同じような事は凶悪な殺人犯なども言っておる。
 死んだら何も無いから、生きているうちにやりたいことをやるのだと。
 世の中には絶望しかないと教えるならば、そのように行う者も出るじゃろう。
 
 人の全ては肉体であり、肉体を離れては何も無いと思えばこの世は全て絶望となるじゃろう。
 肉体に囚われ、肉体しか見なければ、そのような結論にしかならないものじゃ。
 自分であると思っている肉体が無くなる不安や恐怖、それらが人を絶望させ、時には狂気や犯罪にさえ陥らせるのじゃ。

 この世にある物しか見て来なかった者には、そのような絶望は決して無くならない苦になるじゃろう。
 しかし、お釈迦様のように、真摯に真実を追求する者にはとっては、それはむしろ修行の道に入るきっかけになるものじゃ。
 
 もし人がこの世の全てが虚しく感じられたり、全てに何の意味もないと絶望したりしたのならば、速やかに修行の道に入るが良い。
 全ての絶望に対する回答が、そこにあるじゃろう。
 全ての生き物がやがて滅び、死後の世界も無い、という合理的な事実による絶望には、己の心の内に滅びる事の無い意識があるという真実によってのみ滅する事ができるのじゃ。
 
 例えば重い荷を背負い、遠い山に登らなければならないと苦しみながら歩いていた人間が、実は重い荷物など背負う必要は無く、山に登る必要も無いと気づく。
 その瞬間、荷物は放り出され、歩く事も止めて人は安らかにくつろぐじゃろう。
 そのように人はただ気づく事によって、苦は滅し、行うべき事も無くなり、今ここに安らぎを見出すのじゃ。
  


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テーマ:元気が出る言葉 - ジャンル:心と身体

元気が出る説法 | 20:46:52 | Trackback(0) | Comments(18)

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