■プロフィール

鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
FC2ブログへようこそ!

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2カウンター

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
常に実践じゃ。
 修行とは知識を得るためのものではなく、考え方を身につけるものでもない。
 その点では修行と言うものは学問よりもスポーツに似ているものじゃ。
 学問では知識を記憶したり、公式を身につけて応用するのが目標となるものじゃ。
 そしてそれを世間に役立てたりする。

 スポーツでは練習によって個人の体力や技術を養う。
 それで体を鍛えたり、体の使い方を習うものじゃ。
 そして大会とかでの優勝を獲得する。

 それらは個人の記録や栄誉に関するものであり、世間に役立つとか言うことは無い。
 知識や考え方を得ることが目標でもない。
 大会で優勝したからと言って、それを知識として他人に伝えられるものではない。
 他人が同じように優勝するには、やはり練習するしかないものじゃ。

 悟りを得るための修行は、大体は集中力と観察力を養うものじゃ。
 それによって心を鍛え、心をコントロールし易くする。
 そして集中と観察によって自我を超え、悟りを獲得する事が出来るのじゃ。
 そのようにして得た悟りは他人に言葉として伝えられるものではない。
 他人が悟りを得るには、やはり修行するしか無いのじゃ。

 悟りへの道が学問と同じようなものと想っていると、延々と知識だけを求めたり、法則を知るのが悟りであると謬見が生じたりするものじゃ。
 修行はむしろスポーツの練習が体を鍛え、体の使い方を習うように、心を鍛え、心の使い方を習得するものと言えよう。
 スポーツのように知識を習得するだけでなく、実践する事が大事なのじゃ。 

 偉大なスポーツ選手が弛みなく己を鍛え、栄冠を手にするように、修行者も常に怠り無く修行に励み永遠の喜びを手に入れるのじゃ。


スポンサーサイト
元気が出る説法 | 20:09:00 | Trackback(0) | Comments(8)

FC2Ad