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人は何故苦しむのか?
お釈迦様は2000年前に、苦しみから逃れる方法を示した。
しかし、人は何故苦しむのか?
それについての説明はされなかったのじゃ。
 
昔のインドではそれでもよかったのじゃろう。
東洋では精神的な指導者に対する信頼があり、何も説明しなくとも、人々は信頼して修行に入ったものじゃ。

今は西洋的な学問が主流になり、何でも説明しなくては納得して修行に入ることが出来ない者も多いのじゃ。

人は何故苦しむのか?

簡単に言ってしまえば、記憶への依存があるからなのじゃ。
認識に記憶への依存が在る故に、思考や感情にも依存があり、そこから苦が生じるのじゃ。

記憶に依存している故に、縁に触れて苦が何度も起こる。
そしてそれを制御できない。
それが度重なる苦しみの原因なのじゃ。

記憶に依存していると、なぜ苦が起こるのじゃろうか?

記憶による苦には、いくつか種類がある。

一つには以前に起きた苦しかった事や悲しかった事を、何度も何度も思い出して、繰り返し苦を味わう事が在る。
そしてそれがまた起こりはしないかと、不安になる。
PTSDとか不安の原因になるものじゃ。
死苦や貧窮の不安もこの中に入るじゃろう。


また、記憶による認識があれば、以前に味わった快を再び味わおうと執着する苦が在る。
それが叶わないと苦が生じる。
叶っても記憶によるものであるから、何度でも味わおうと限りなく執着する。
そしてそれが以前よりも刺激が少なければ、もっと強い刺激を求めたりするものじゃ。
五蘊盛苦、愛別離苦や欲求不得苦などがこれが原因で起こるものじゃ。

同じように以前に不快な記憶があれば、それを避けようとする事でまた苦が生じる。
避けられないと苦が生じる。
避けられても記憶によるものであるから、更に不安になり避けようとするものじゃ。
老病の苦や怨憎会苦などがこれに当たるじゃろう。

そして、記憶によって言葉とイメージによる自我が生じると、それもまた苦の原因になる。
記憶が消えると己が消えると言う不安と恐怖による苦。
我慢や傲慢によって他人と争う苦。
言葉によって傷つけられる苦。
孤独や寂しさという苦。
本来は無い言葉とイメージによって起こるものを、己であると認識することで、このような苦が生じるのじゃ。
これも五蘊盛苦と言えるじゃろう。

そのような苦を滅するにはどうすれば良いのか?
それには観察をするのが、お釈迦様の説いた法なのじゃ。

記憶に依存した認識や思考は、苦が生じる習慣を作り、それが何度も繰り返される故に、そして、その習慣が自分であると同一化する故に、苦は去らないのじゃ。

観察はそのような習慣による苦の連鎖と、己との同一化を、終わらすことが出来る。
それ故に観察によって苦は滅するのじゃ。

苦の原因から、苦が生じる過程を観察し、苦が生じ、そこからさらに逃避に至る全てを観察すれば、苦と己との同一化が無くなり、習慣も滅するのじゃ。
さらに原因が無ければ、苦の過程が無く、苦が生じ逃避に至る結果も無いと、逆から観察すれば、観察は完全となり、苦は完全に厭離される。

それこそがお釈迦様の残された法なのじゃ。
日毎苦しみに悩む者は、この法を良く知り、習い修めあらゆる苦を滅して進むのじゃ。
 



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テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

悟りの真実 | 21:16:52 | Trackback(0) | Comments(6)

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