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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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瞑想の心得
 瞑想を長くしていると、自分と言うものが消える瞬間があるものじゃ。
 すでに何度か味わった者も居るじゃろう。

 自分が自分であると言う感覚。
 自分であるという認識。

 そのようなものが深い瞑想の中では消えて行くじゃろう。
 それに恐怖を抱き、止めてしまうと瞑想もまた進歩を止めてしまうのじゃ。

 自我というものが自分であり、守らなければ成らないもの、守るものが自分である、というような観念を抱いていると、それが消える時に恐怖を生じるのじゃ。
 また自我は生きていくのに絶対に必要とか、無ければならない、無いと死んでしまうとか思っていても、消える時に恐怖を感じるのじゃ。

 例えば体を守るために鎧を着た昔の侍でも、安全な所で寝る時には鎧を外したじゃろう。
 そのように自分を守る意識を外した時、眠りのように深い瞑想が訪れるものじゃ。
 
 そこでは自我も絶対に必要ではなく、なくてはならないものではなく、無くても死ぬ事は無いと知るじゃろう。
 
 眠りには瞑想の真髄があるものじゃ。
 観察してみれば人が眠りに入る時、自らを守ろうとする意識をも捨てるしかないと判るじゃろう。
 そのように自らを守ろうとする意識を捨てる時に、瞑想は自我を忘れる境地に入るのじゃ。
 
 人は眠りに入る時、自ずから瞑想の心得を行っていると言える。
 起きていながら眠りの心境を実現するのが、瞑想であるとも言えるのじゃ。
 
 修行に進歩がないと感じたり、深い瞑想に入れないと思ったならば、毎晩の眠りに入る瞬間を観察してみるのじゃ。
 眠りに落ちる瞬間の、自分と自分を守ろうとする反応を捨てる様は、なによりも瞑想の参考になるじゃろう。

 そのようにして自分と自分を守ろうとする意識を捨てた時、安らぎと静寂が在る。
 自我が無い時、守るものが無いから安らぎがあり、守るための分別が無いから静寂が在る。

 自我が無くともその安らぎと静寂を観るものがある。
 それすらも超えた時に、真の悟りは在るのじゃ。
 
 速やかに悟りを求めない者も、自我の無い境地を楽しむのじゃ。
 静寂と安らぎに没入し、自我は確かに忘れられるものであり、無くても良いものと知るのじゃ。
 やがて朝になれば日が昇るように、不要なものを捨て去った修行者に自ずから悟りは訪れるじゃろう。

 


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テーマ:悟り。 - ジャンル:心と身体

悟りを得るための修行法 | 21:29:51 | Trackback(0) | Comments(21)

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