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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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さらに本心を観続けるのじゃ。
 自らの本心を観るには、自分に対して徹底的に素直でなければならんのじゃ。
 今まで自分に隠してきた事を、ありのままに観るには、そのような完全に自分に対して全てを開き、嘘偽りの無い思いを開いてみせるのじゃ。

 そのようにして観た本心は自分だけのものじゃ。
 導く者やわしにさえ、自分の本心はこのようでしたとか言う必要は無いのじゃ。
 自分だけのものであるから、どこまでも自分に対して本当の気持ちをさらけ出せるじゃろう。

 自分には何の飾りも無い、本当の気持ちを見せられるのじゃ。
 例えば自分は強いと思っている者は、実は弱さの裏返しで、そのように自分を騙し、偽っているのかもしれない。
 自分は本当は弱いと感じている、その気持ちを自らに表わすのじゃ。

 そのように観る事によって、自らの弱さを知り、本当に強くなれるのじゃ。
 弱さを隠したままで強いつもりで居ても、いずれは暴かれてしまうじゃろう。
 自らの弱さを知る事が真の強さへの道なのじゃ。

 そのように本心を観る事が出来れば、人は真に成長する事が出来る。
 本心を観ないままでは、どれほど知識や技術や力があっても、本当に成長する事は出来ないのじゃ。
 
 例えば自分が何処に居るのかわからなければ、どんな目的地へも決して行けないじゃろう。
 そのように己の今の心がわからなければ、決して成長は出来ないのじゃ。

 自らの本心を自らに開き、観る事で今の己が判るのじゃ。
 
 人間は生きて行く過程で、自分を誤魔化したり、偽ったりしているものじゃ。
 不安や恐怖や孤独から逃れるために、執着するものを作り出し、それが得られぬとなると、更に別の逃避を作り出す。
 そのようにして幾重にも己を偽れば、もはや自分というものを見失ってしまうのじゃ。
 自分は何なのか、自分は何がしたいのかもわからず、ただ偽りと逃避と執着による反応ばかりしているのが、自らを見失った人間と言うものじゃ。

 本心を観る事は、そのように幾重にも重なり合った逃避と執着の連鎖を、解き放つ事が出来るものじゃ。
 それは始めは恐ろしく、また迷いになるようにも感じるかもしれん。
 しかし、やがてそれこそが苦を滅し、真の悟りへと通じる道であるとわかるようになる。

 自らの心を偽ったままでは、観察が自我の深みにまで届く事は無いのじゃ。
 本心を観察し続けて、そこから眼を逸らさない者だけが、自我を作る言葉とイメージの働きを観る事もできるのじゃ。

 その時が来るまで、真の悟りを求める修行者は本心を見続けるのじゃ。


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テーマ:悟り。 - ジャンル:心と身体

悟りを得るための修行法 | 23:18:06 | Trackback(0) | Comments(3)

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