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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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苦の牢獄から出るのじゃ。
 例えば人が何重にもなっている牢獄に入っていたら、周りの景色は見えず、行動する事も全然出来ないじゃろう。
 牢獄から一つ一つ抜け出す事によって、次第に景色が見えるようになり、行動もできるようになってくるものじゃ。

 人が多くの苦を抱えているのは、このような何重もの牢獄に入っているようなものじゃ。
 苦によって世界が狭まり、考える事も動く事も制限されてしまうのじゃ。

 苦を1つでも滅したならば、それによってものの見方や考えが変わり、出来る事も増えるのが判るじゃろう。
 正に牢獄から出たかのように、見る景色が変わり、行動も広がるのじゃ。

 苦があれば人はただそれによって悩むだけでなく、世の中も暗く、何もかも虚しく絶望的に見えるものじゃ。
 今の苦がある自分を先々にまで投射して考えるから、世の中も、未来もまた何の希望も無く絶望的に見えるのじゃ。
 そしてやる気が無くなり、行動も制限されてしまうのじゃ。

 そのような苦が無くなれば、それらの関連も無くなり、正に世界が変わるのじゃ。
 世の中は明るくなり、絶望が無くなり、行動も自由になるのじゃ。

 世界は本来そのままで完成されているものじゃ。
 苦のある心がそれを虚しく、絶望的に見せているだけなのじゃ。
 苦を滅する事が出来れば、それを本当に感じることが出来るじゃろう。

 しかし、世の中にはそのように自分の苦を滅し、変わる事を拒む者も居る。
 自分が変わる事を敗北する事と思い、他人や世の中を変えようとする。
 そのような考えは実は恐れから来ているものじゃ。

 人は苦しみを持ち、それからの逃避を心の中に作り上げると、その心の中の働きに自分のイメージを投射するのじゃ。
 そして苦のある自分が唯一の自分と感じてしまう。
 そこからそれが無くなる事は、自分が消える事であると謬見が生じる。
 それ故に苦にさえも執着し、変わる事を恐れるのじゃ。

 そのような者は丁度、牢獄の中に居て外に出るのを恐れているようなものじゃ。
 実際には外の方が楽なのに、恐れから苦しく不自由な生活を選んでしまっているのじゃ。

 そのような者も勇気を出して修行し、苦を滅してみるのじゃ。
 ただ1つの苦を滅しただけでも、楽になっただけでなく、世界が変わっていくのがわかるじゃろう。
 今まで知る事が出来なかった事が知られるようになり、出来なかった事も出来るようになるのじゃ。

 例えば病に苦しむ者が居る村に昔、医者が来たとしよう。
 その医者は治療法を教えて村を去った。
 年月が経つうちにみんな医者の言葉を忘れ、治療法の書かれた処方箋を死人に呼んだりしておった。
 そこに新しい医者が来て、人々に以前の医者が教えた治療法の正しい使い方を教え、人々はまた病が治り、楽になった。

 目覚めた者は人々の無明の病を治す医者のようなものじゃ。
 かつてお釈迦様は人々に苦を滅する法方を教えた。
 しかし、2000年も経つうちにわからなくなってしまったのじゃ。

 今、ここにおいてかつてお釈迦様が教えた通り、苦を滅する法方が正しく教えられたのじゃ。
 このチャンスに修行者は自ら修行し、苦を滅して安楽を味わうのじゃ。



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テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

元気が出る説法 | 22:17:44 | Trackback(0) | Comments(10)

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