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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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己を追求するのじゃ。
  自我を滅する為には、それがどのようなものかを追求しなければならん。
 自我の成り立ちや、原因が判ればそれが偽りの観念でしかないと気づきが起こり、他の観念と同じように、厭離されるのじゃ。

 以前に書いた通り人間の認識能力は、記憶に依存しておる。
 認識能力が記憶に依存していると、己というものの認識も又記憶に依存したものとなるのじゃ。
 
 昨日と同じ自分という言葉やイメージが、記憶に残っている感覚の印象に投射されているのじゃ。
 そのようにして昨日と同じ感覚を持つ、昨日と同じ自分という認識が起こるのじゃ。

 それは実際には自分というものではなく、自分のものでさえ無いのじゃ。
 ただの言葉とイメージに過ぎないのじゃ。
 
 そのような言葉とイメージでしかないものを己と認識する事で、さまざまな苦が生じるのじゃ。
 言葉で悪口を言われれば、怒ったりする。
 言葉で誉められればいい気になって騙されたりもする。
 立派な人とか勇気のある人とか、勝ち組の人と呼ばれたいために、一生を費やし、時には命まで捨てようとする。
 それが叶わなければまた苦が生じてしまう。

 そのように言葉とイメージでしかない自我を、己であると認識するのが、苦の根本の原因でもあるのじゃ。
 
 お釈迦様が説かれた縁起を観察する法は、その自我を滅するにも有効なものじゃ。
 己を追及し、己という認識が起こる原因を突き止めれば、原因から自我が起こり、原因が無ければ自我も起こらないと観察して、自我を厭離する事も出来るのじゃ。
 苦を観察し、滅していく行も、その修行の一環であったとも言えるのじゃ。

 そのような自我を起こす原因となるものは、人によって違うものじゃ。
 記憶や認識が己であるとする者は、朝目覚めて記憶が動き出す時に自我が起こるのを感じるじゃろう。
 記憶が原因として己が起きるのじゃ。
 
 肉体や思考が己とする者は、それらが働く時に己を感じるじゃろう。
 それらの原因を追求する事が、己を追及する事なのじゃ。
 そして己を追及する事で、速やかに自我を滅し、悟りを得られる道を行く事ができるのじゃ。
 一切の苦を滅し、真の悟りを目指す者は、恐れずに己を追及するのじゃ。


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テーマ:悟り。 - ジャンル:心と身体

悟りを得るための修行法 | 20:45:27 | Trackback(0) | Comments(20)

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