■プロフィール

鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
FC2ブログへようこそ!

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2カウンター

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
恐れを超えるのじゃ。


 修行が段々と進んでくると、人によっては恐れが生じる事もあるじゃろう。
 自分が変わっていく恐れ。
 自分が無いと知る恐れ。
 そのような恐怖があれば、修行を止めてしまう者も居る。

 多くの修行者が悟りを求めながら、長年修行しても悟りを得られないのは、この恐れからの逃避によるものじゃ。
 心は正直なものである故に、ちょっとした恐れが在ってもそこから逃避して、自ら進歩を止めてしまう。

 そのような恐れを超えなければ、進歩も変容も無いのじゃ。

 恐れを超えるには先ずは意志を起こさなければならん。
 恐れを超えるために意志を奮い起こすのじゃ。

 そして自分が何を恐れているのか、深く観察するのじゃ。
 恐れの原因も人によって、或いは境地によって違うものじゃ。

 同じ性格や性質を持つ固有の自分と言う自我を持つ者は、性格や性質が変わってしまうと、自分が自分ではなくなるという恐れがあるじゃろう。
 そのような者は変化することを恐れるのじゃ。

 変化する事に恐れを抱くから、苦しみさえも無くす事を恐れるじゃろう。
 苦しみのある自分が、変わらぬ自分であると思うのじゃ。

 そのような者も、固有の自分という観念に囚われる故に、変化を恐れると気づきがあれば、恐れも消えるじゃろう。
 心の働きを観る気づきによって、恐れも滅するのじゃ。

 他にも修行が進めば、自我が無いと言う事を予感して恐れる者もあるじゃろう。
 その恐れには自分の消失の他に、それを肯定してしまえば世間の常識を外れ、狂人とみなされる恐れも入っているじゃろう。
 自分が消える死と狂気の恐れが修行を妨げるのじゃ。

 多くの修行者がそこで修行を止めてしまう。
 自分が死を超えるために修行しているのに、その自分が無くなってしまう。
 それでは何の意味もないと感じる者も居るじゃろう。

 そのような狂気と消失の恐れには、知性と勇気で立ち向かうほかは無いのじゃ。

 狂気とは無に包含される世界の一部なのじゃ。
 目覚めた者達は狂気を知りながら、秩序の世界にも対応して人々に教えを説いておる。
 狂気はそれを知りながら、制御できるものなのじゃ。

 そして己が消えると言う恐れには、何もしなければやはり死によって、己は消えるものであると深く認識しなければならん。
 何もしなければ消えてしまうものを、自ら捨てる事により、永遠へと至る事が出来るのじゃ。
 それが多くの目覚めた者たちの辿った道であり、悟りへの門なのじゃ。

 お釈迦様も成道の時には、悟りを得るために死をも恐れぬ勇気を示した事が記されておる。
 修行が終局を迎えようとしている時、もはや知識も法も役には立たない。
 ただ勇気をもって進むだけなのじゃ。
 
 真の悟りを求める修行者は、死の恐れも超える勇気を奮い起こし、最後の関門を通り抜けるのじゃ。
 そうすれば自我は幻想でしかなく、それを超える不死の境地、永遠の意識に到達できるじゃろう。
 

 


スポンサーサイト

テーマ:悟り。 - ジャンル:心と身体

元気が出る説法 | 21:21:15 | Trackback(0) | Comments(12)

FC2Ad