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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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自分の名前とイメージを観察するのじゃ。
  記憶に依存した認識機能を持つ人間は、言葉とイメージによる観念に因って全てを認識しているのじゃ。
 そしてその中には自分自身も含まれているのじゃ。

 つまり普通の人間は言葉とイメージによって自分を認識しているのじゃ。
 自分の名前と言う言葉によって自分があり、自分のイメージによって自分があると思うのじゃ。

 自分の名前によって自分のイメージが起こり、自分のイメージによって名前を思い起こすのじゃ。
 言葉には自分の名前以外にも、自分の所属する国や組織や地域や民族なども含まれているのじゃ。

 それ故に自分が所属する国や地域を悪く言われると怒ったりするのじゃ。
 そのような国や地域の名称も、己であり、己のものであると思っているのじゃ。

 自分の名前とその名前が使われた時に起こる反応を、良く観察するのじゃ。
 そうすれば名前による囚われが無くなるじゃろう。

 そして、自分のイメージをも観察し尽くすのじゃ。
自分のイメージがどのようなものであるのか、呼び起こしては良く観察してみるのじゃ。

 どのような色や形をしているか、どのような性質であるか、どのような原因から怒り、どのような生じるのか等、一つ一つ自らのイメージを観るのじゃ。
そのイメージが自分の行いにどのような影響を与えているのか、そのイメージが無ければ自分の行いにどのような変化があるのか、そのような事も観察してみるのじゃ。

 その観察によって自分のイメージが己ではなく、己のものでもないと気づきが起これば、自我は厭離されるのじゃ。
 己ではないものを己としていた誤謬に気づき、自然に厭離は起こるのじゃ。

 そして自我が滅すれば、さらに認識をも滅する事は容易になるのじゃ。
 無我に達し、無認識にまで至ったならば、真の悟りを得たと言えるのじゃ。
 


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テーマ:悟り。 - ジャンル:心と身体

悟りを得るための修行法 | 21:06:08 | Trackback(0) | Comments(17)

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