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瞑想は無の喜び
 瞑想は無の喜び

 日々、瞑想を続けていくと、やがて思考も感情も無い意識に入るじゃろう。
 何も無い状態によって、人によっては恐れや孤独感を感じるかも知れん

 しかし、その状態にこそ安らぎと喜びがあるのじゃ。
 世間の喜びというものは、物や地位や人を得たりする事にある。

 それは確実に見えるが、得ても不安は消えずやがては消えて行くものじゃ。
 瞑想の喜びは世間の喜びと違い、何も無い所にあるものじゃ。

 思考も感情も無くなった意識に、安らぎと喜びがあるじゃろう。
 それが瞑想による無の喜びなのじゃ。

 何かを得る訳ではないから、無くす事も無いのじゃ。
 世間の喜びとは違う故に、恐れや不安を持つ者も居るかも知れんが、それこそが確実なものであると知れば、真の喜びと安らぎに入れるのじゃ。

 思考も感情も無い瞑想の境地に、安らぎと喜びが感じられるじゃろう。
 一度、その境地に至れば深い安らぎと喜びが比べる事も出来ないものと知るじゃろう。

 一度瞑想を止めても、再び入れば叉安らぎと喜びを感じるじゃろう。
 瞑想によって辿り付いた安らぎと喜びは、確かなものとして身に付くのじゃ。

 瞑想がもたらす無の安らぎ喜びは、更に深く、深くなっていくじゃろう。
 そして自分という観念も無い状態にまで至れば、安らぎと喜びは一層深くなるのじゃ。

 自分と言う観念すらない意識では、もはや過剰な防衛観念が無くなりもっとも深い安らぎが訪れるじゃろう。
 そして人の知る限界を超えた喜びが訪れる。

 もはや己が消え去り安らぎと喜びそのものになるのじゃ。
 安らぎと喜びだけが残り、後は何も無いのじゃ。
 
 そして更に心の悟りを得れば安らぎと喜びは永遠に尽きないものとなる。
 極め尽くす事も出来ない安らぎと喜びが永遠に続くのじゃ。

 お釈迦様でさえ時に瞑想の安らぎと喜びを味わい、瞑想を楽しむようにと言ったのじゃ。
 修行者は瞑想の安らぎと喜びを楽しみ、永遠に苦を滅した境地に参入するのじゃ。


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元気が出る説法 | 13:43:38 | Trackback(0) | Comments(6)

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