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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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人形の喩
 人形の例え

 例えばどこか遠くに人形の国があるとするのじゃ。
 そこでは生まれた者に人形を与えるのじゃ。

 人形を自分として扱い、人形のために生きるように教えられるのじゃ。
 人形が無くなれば自分が守れないとか、死ぬとか思い込まされるのじゃ。

 そして人形の名を広めるために人は働き、人形のイメージをよくする為に人は苦しみながらも力を尽くして生きるのじゃ。
 しかし、人形は人のために何もしないのじゃ。

 それどころか人形は人を苦しめる元と成るだけなのじゃ。
 苦しみの元と成る人形を人々は一生抱えて、その名前とイメージをよくするために生きて死ぬだけなのじゃ。
 
 その人形の為にために人々は争い、殺しあったりもしたのじゃ。
 あまりに苦しむ人が多くなると、それを緩和するような考えも生まれたのじゃ。

 自分の人形だけでなく、外にある大きな人形を自分の人形より大事にする事も教えているのじゃ。
 他にも本当の人形があるとか、高次の人形があるとかの宣伝もなされているのじゃ。

 しかし一人の人がある時、人形を棄ててみたのじゃ。
 すると苦はなくなり、安楽に成ったのじゃ。

 人形が無くても自分が守れないと言う事は無く、死ぬ事も無いのじゃ。
 むしろ楽になり、賢くもなったのじゃ。
 人形を持つ事は単なる習慣であり、苦しみの元でしかないとはっきり知って他の人々にも教えたのじゃ。

 それもただ言葉で伝えても判らんのじゃ。
 人形が苦をもたらす事に繋がっていると、自ら観察する事で気づかせたのじゃ。

 その人形とは人が持つ自分と言う観念、自我なのじゃ。
 人は子供の頃から自分と言う観念を持ち、それが無いと自分が守れないとか、死ぬとか思っているのじゃ。

 しかしそれは本当は観念であるから、無くても自分を守れなくなる事は無く、死ぬ事も無いのじゃ。
 むしろ無くなれば苦も無くなり、智慧が生じる事にもなるのじゃ。

 外にある大きな人形とは人の世で神とか、精霊などを信奉する事なのじゃ。
 それは自分の自我にのみ囚われる苦からは、少々離れられるが、根本的な解決にはならないのじゃ。

 本当の人形等は真の我とかを提唱する事にも等しいのじゃ。
 どこかに本当の自分があるとしても、やはり個我への囚われからは離れられず、代用品に過ぎないのじゃ。

 自我を手放した時に自我からの苦は本当に滅する事になるのじゃ。
 そのためにお釈迦様は自ら観察して、気づかせる法を遺したのじゃ。

 因縁を観察する法では、自分があるという観念から刺激に対して好悪の感覚が起こり、それが愛別離苦とか、怨憎会苦等の苦に繋がると観察するのじゃ。
 それによって我という認識が、苦の元になっていることを気づかせるのじゃ。

 これによってただ言葉で話しても実現できない自我の厭離が可能となるのじゃ。
 修行者はそのような法を実践して、自我を滅し、認識をも滅して大悟徹底に至るがよいのじゃ。
 


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悟りを得るための修行法 | 21:21:41 | Trackback(0) | Comments(12)

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