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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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サマーディへの道
ヨーガでは集中の瞑想の深さに三つの分類があるのじゃ。
 最初の集中段階はダーラナと呼ばれるのじゃ。

 ダーラナでは強い意志を以って呼吸などの対象に集中し、他の雑念などに囚われないようにするのじゃ。 
 最初に瞑想をしようとするならば、いらいらしたり、雑根に囚われたりして上手く行かなかったりするものじゃ。
 それらを克服して集中し続ける事が出来るようになったならば、この段階に達したと見て良いのじゃ。

 その次の段階をディヤーナと呼ぶのじゃ。
 中国に伝わった時に禅那と音訳されて、禅の元になったものじゃ。
 ディヤーナは強い意志で集中し続けなくとも、自然に集中が続いていく状態なのじゃ。
 ダーラナとの違いは、このように意志で保たなくとも、自然に集中が続く事なのじゃ。

 最後がサマーディなのじゃ。
 集中が強くなり、自我を忘れた状態なのじゃ。
 ディヤーナでは未だ自我は起こっているが、サマーディでは忘れ去られているのじゃ。
 サマーディにまで到達したならば、自我を忘れたり、思い起こす事も度々起こる故に、自我も観易くなるものじゃ。

 止観を行うならばディヤーナまででも、自我を観る事が出来るのであるが、サマーディにまで到達したならば、より容易に自我を観る事が可能になるのじゃ。
 自我を忘れる事で自我の制約を離れ、その消失による恐れなども消えるからなのじゃ。 
 ディヤーナにまで達したならば、自我を忘れる事でサマーディにまで達する事も容易になるものじゃ。
 自我は観念である故に、自分の観念を忘れるように念じればサマーディも近いのじゃ。
 ディヤーナに入れば心のコントロールもかなり出来るようになっている故に、自分の名前やイメージなどの観念を忘れるように念じれば、速やかに対象の無いサマーディにも入れるようになるのじゃ。

 最初にサマーディに入ると、ただ単に意識を無くしてしまったと思えるかも知れん。
 しかし、それは自我が主体と思っているから、意識が無くなったと思うだけなのじゃ。
 実際には意識はあり、その間の記憶も思い出すようにすれば思い出せるのじゃ。

 何度もサマーディに入れば、その最中でも意識はあると知れるじゃろう。
 そして自我は忘れたり思い出したり出来る観念と気づき、完全に厭離されるのじゃ。
 そのような無我の状態で、認識をも滅すれば真の悟りが得られるのじゃ。
 修行者はこのような法をも実践し、進んでいくと良いのじゃ。


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悟りを得るための修行法 | 18:56:33 | Trackback(0) | Comments(24)

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