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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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価値基準を自ら創るのじゃ。
 人間は大抵の場合、誰かに教え込まれた価値基準を持っているものじゃ。
 両親とか、保護者とか、友人などに教えられた価値基準を、そのまま死ぬまで持っていたりするのじゃ。

 それは必ずしも善いものであるとは限らないのじゃ。
 環境や状況によっては生きるのにも困難になるものもあるのじゃ。
 例えば犯罪を行うように奨励するものすらあるのじゃ。
 そのような価値基準があったならば、人は正しい道を歩もうとしても、どうしても犯罪を行ってしまったりもするのじゃ。

 人々が知識では悪い事と判っていながら、つい犯罪を行ってしまうのもそのせいなのじゃ。
 お釈迦様が善い友とだけ付き合い、悪い友とは付き合わないようにせよ、というのもそのためなのじゃ。
 悪い価値基準を持つものと付き合っていれば、その価値基準をいつの間にか受け入れてしまい、自分も悪い行いをするようにもなってしまうのじゃ。

 悪い環境に育った者は、窃盗などの軽い犯罪より、強盗のような重い犯罪のほうが勇気があって偉い、というような価値基準を受け入れて持ってしまったりするのじゃ。
 友人達の中でも、重い犯罪のほうがえらいとか誉められたりすると、それがやっぱりえらいのだと思ってしまうのじゃ。

 そのような価値基準が出来てしまう故に、お釈迦様は友を選ぶようにというのじゃ。
 両親などは選べない故に、無条件にその価値基準を受け入れてしまうのじゃ。

 そのように無条件に受け入れた価値基準により、自分でやりたいことも出来なかったりするのじゃ。
 勉強が出来るものだけが偉いとか、競争に勝つものが偉いとか、医者とか政治家になることだけが偉いとかの価値基準を植えつけられ、一生逃れられなかったりするのじゃ。
 そのために好きな事も出来ずに一生を棒に振ったりするのじゃ。

 そのような無意味な価値基準も、観察する事によって滅する事が出来るのじゃ。
 自分が苦に思っている事や、やめたいのにやってしまう行いや、出来るのにやれない行いなどがあれば、その原因となる価値基準を自分の心の中に探すのじゃ。
 それがどのように植えつけられたかも、探してみるのじゃ。

 親とか親戚などから植え付けられた価値基準は、長い間に渡って経験したものであるから、幾つも原因となる記憶があったりするのじゃ。
 その場合も原意から価値基準が起こり、行いも起こると観察するのじゃ。
 そしてそれが無ければ誤った価値基準も無く、行いも無いと観察するのじゃ。
 そうすれば誤った価値基準も消えるじゃろう。

 そして真に福楽をもたらす価値基準を自ら作り出し、受け入れるのじゃ。
 人として生まれたならば多くの衆生に慈悲を施して行く事が最も尊い、真に福楽をもたらす価値基準なのじゃ。
 そして自らの心を整え、清める事も尊い事と受け入れるのじゃ。

 日々その基準を元に行いを考え、時にはその基準通りに行いが出来たか省みる事で、そのような基準を自らの心の内に確立する事が出来るじゃろう。
 そのようにすれば行いも日々改められ、福楽も付き従うようになるじゃろう。
 善い報いは増え、悪い報いは消えていくようになるのじゃ。
 修行者はそのようにして自らの内にある価値基準をも整え、福楽を楽しむ者となるのじゃ。


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運気向上法 | 23:16:14 | Trackback(0) | Comments(10)

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