■プロフィール

鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
FC2ブログへようこそ!

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2カウンター

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
変化によって自我を見るのじゃ。
  自我も全てのものごとと同じく、観念として認識されておる。
 自我が観念である事から、変化も常に起きているのじゃ。
 その変化を観る事で、常に変わらぬ自分というものが幻想である事も気づくのじゃ。

 その変化を観察するにも、お釈迦様の教えである縁起が役立つのじゃ。
 自我は全てを認識する上での基礎であるから、自我の変化は、環境や人の観念である世界にも影響が起こるのじゃ。

 例えば自分を駄目な者と思っていれば世界も灰色に見えたりする。
 逆に自分を偉いと思っていれば世界は明るく見えたりするじゃろう。
 苦が一つ滅しただけでも、世界が変わるように感じられるのも、自我が変化したからなのじゃ。

 そのように自分の観念である言葉とイメージが変われば、自分が見る環境や世界の言葉やイメージも変化するのじゃ。
 そのような変化を感じたならば、十二因縁の縁起の観察法などを参考に、自らの自我を観察してみるのじゃ。

 環境の変化が感じられたならば、その変化は自我の変化によって起こったと観察し、自我の変化が無ければその変化も無かったと観察してみるのじゃ。
 感覚が変化したならば、自我の変化によって感覚が変わり、自我の変化が無ければ感覚の変化も無かったと観察するのじゃ。
 感情が変化したならば、自我の変化によって感情が変わり、自我の変化が無ければ感情の変化も無かったと観察するのじゃ。

 感覚の変化は十二因縁の分類に随うならば、無明の変化によって蝕が変わり、無明の変化が無ければ触の変化がないという事になるのじゃ。
 感情の変化は無明の変化によって想が変わり、無明の変化が無ければ想の変化がないという事になるのじゃ。
 感覚や感情の変化は観易く、捉え易いものじゃ。
 
 未だ自我を捉えられない者も、そのように変化を観る事で、自我に気づくきっかけにも成るじゃろう。
 常住にして変化しない自我など無い事がわかるからのう。
 修行者はそのようにして観察してみるのじゃ。

  


スポンサーサイト
悟りを得るための修行法 | 09:26:11 | Trackback(0) | Comments(11)

FC2Ad