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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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自らの性質を見るのじゃ。
  世間には多くの知識が溢れておるが、最も重要で有効な知識は自分自身の性質の知識なのじゃ。
 自分がどのような性質のものであるのか、知る事が生きる為にも最も役立つのじゃ。
 自分の性質を知らないまま、多くの人と同じように自分もしようと思っていると。苦や迷いが起こるのじゃ。

 例えば自分はにんじんが嫌いな者であると、知っただけでも買い物にはにんじんを買わないようにするとか、にんじんの利用理は覚えないとかの選択が起こり、行動も起こるのじゃ。
 多くの人にとってにんじんが善い物であるから自分も無理に食べようとすると苦が起こり、栄養のために食べるか食べないかというような迷いも起こるじゃろう。
 そればかりかにんじんが食べられない自分に劣等感を持ったり、悪いものであるとさえ思ったりするじゃろう。

 そのように自分の性質に対する一つの小さな知識だけでも、それあれば苦は少なくなり、迷いもなくなるが無ければ苦や迷いがあるのじゃ。
 一つの知識だけでもそうであるから、自分について知れば知るほど、苦は無くなり、迷いも減るじゃろう。

 仕事を選ぶときや人生の目標を決める時なども、自分の性質を知ることで最も善い選択が出来るのじゃ。
 世間でよい仕事であるとか言われているという理由で、嫌いな仕事を選べばやはり苦しむこととなるのじゃ。
 先ずは自分の性質を知ることで、正しい選択も出来るようになるのじゃ。

 仏家において見性と言われるのも、実には自らの性質を知ることに他ならないのじゃ。
自らの性質を見る故に見性と呼ぶのじゃ。

 それもまた難しいものではない。
 ただ今ここにある自らの性質を観察し、ありのままに認めるだけでよいのじゃ。
 その積み重ねがやがて自我にも気付く道になるのじゃ。

 姿形の無い自我を観るには、その働きや性質から観察するしかないのじゃ。
 自らの性質を否定も肯定もせず、ありのままに観察する実践が悟りを招きよせるのじゃ。

 お釈迦様が教え、インドから伝わった悟りを得る方法と聞けば、なにやら遠大なものと思うかもしれないが、何のことは無い自らの性質を観察して気付くというだけのものなのじゃ。
 それは知識の多さや記憶力が優れていなければ出来ないというものでもないのじゃ。
 むしろ真摯に一つの法を続ける事でも、気付きは起こるのじゃ。

 昔、しゅりはんどくという者が居ったのじゃ。
 自分の名前も忘れるというほどの鈍根の者であったが、お釈迦様に教えられ、心のちりを払う行をしていたのじゃ。
 ある日、心のちりを持つという性質のあるものが自分である思っていると気付き、悟りを得たのじゃ。
 それこそ煩悩即菩提というものじゃ。

 悟りの道を妨げる筈の煩悩やちりでさえ、自らの性質を知る手がかりになれば、却って悟りへの道となるのじゃ。
 記憶や知識によるのではなく、自らの性質を受け入れ気付く事でそれも可能になるのじゃ。

 自らの性質を知ることに勤めればこのように日常にも役立ち、終には悟りにも導かれるのじゃ。
 修業者のみならず、安楽を求める全ての者は自らの性質を知る事に勤めるのじゃ。
 
 
 
  


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元気が出る説法 | 20:08:00 | Trackback(0) | Comments(8)

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