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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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執着の構造
 苦をもたらす執着は、ただ一つの原因から起こるとは限らないのじゃ。
 いくつもの原因から執着が起こる事もあるのじゃ。
 執着がかなえられぬことが執着を引き起こし、それが苦を大きくすることも在るものじゃ。

 例えば子供の頃におもちゃを買えなかったから、今、いろいろなものを集めているが求めても得られない苦が起こるとかなのじゃ。
 孤独感から親に執着し、その関係を維持するために自分がギャンブルなどに執着しては失敗し、無能の振りをするというのもあるのじゃ。
 そのように執着から執着が起こり、苦を深くする構造が生まれるのじゃ。

 縁起するという心の習性から、そのように次々に執着が生まれ、苦を深くする構造も出来てしまうのじゃ。

 観察によってそれらも滅することはできるのじゃ。
 しかし、執着の全てを無くすためには、そのような根本の執着の原因から観察しなくてはならないのじゃ。

 執着の根本に自分の孤独感や不安があると、薄々わかっている者もいるじゃろう。
 それを知っても何にもならないと、知る事を拒んでいたりもするのじゃ。
 そのような状況でも勇気を出して、自らの本心を観察してみれば、執着による苦は消えるのじゃ。

 今までわからなかった執着の構造を観察する時、それがやはり自分の心から起きていたこともわかるじゃろう。
 原因は常に自分の心から起こるものじゃ。
 他人や環境は根本的な原因ではないのじゃ。
 自ら生み出した苦の連鎖が人を苦しめるのじゃ。
 
 執着の原因から執着へと次々に因縁を観察し、追求していったならば、やがては苦の根本原因である自己という観念に行き着くじゃろう。
 自分があるという観念から不安や孤独、恐れが生まれ、そこから執着が起こる。
 その観念がない時、不安や孤独、恐れも無く、執着も無いと観察することが出来るじゃろう。
 そのように観察できた時、お釈迦様の説いた四諦十二因縁の法が正しく実践できたというべきなのじゃ。
 
 何度も何度もそのように観察できれば、自己という観念から離れることができるじゃろう。
 自我を厭離し、無我に至ることができるのじゃ。

 更に無我を認識するものさえも厭離できた時、大悟徹底の境地もやってくるのじゃ。
 その時まで精進あるのみなのじゃ。
 


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悟りの真実 | 21:03:31 | Trackback(0) | Comments(6)

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