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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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絶望を超えるのじゃ。
  絶望とは希望が絶たれた状態なのじゃ。
 前途に希望がないと、絶望の余り何もしたくなくなったり、時に自分や他人を傷つけてしまったりする事さえあるものじゃ。
 人が犯罪に走ったりするのもそれが原因の一つだったりするのじゃ。

 そのような絶望もよく観察してみれば、滅することも出来るのじゃ。
 自分に前途が無いとか、悲観しているよりその状態をよく観察してみれば絶望も実は幻想であったと気付けるのじゃ。
 絶望にも原因があり、原因から観察できれば厭離されるのじゃ。

 絶望の原因に多いのは恐れじゃろう。
 例えば道に落ちている縄を蛇だと思い、道を通れないから仕事が出来なくて絶望するなどという事があるとしよう。
 しかし、よく見れば縄だと気付いて道が通れるようになり、仕事も出来るようになるのじゃ。

 そのように他人への恐れとか、仕事そのものに対する不安や恐れ等があって仕事が出来ず絶望していても、恐れの原因を観察してみれば、実は恐れそのものが幻想によるものだと気付いてなくなり、恐れも消えるのじゃ。
 観察によって恐れが無くなり、仕事が出来るようになれば絶望もなくなるのじゃ。
 そのようにして恐れによって絶望があっても、恐れを原因から観察して滅すれば絶望も消えるのじゃ。

 更には自分自身のイメージが小さいために絶望に陥ることもあるじゃろう。
 親等からあれも出来ないとかこれも出来ないとか言われて育つと、その者の自己イメージは矮小となり、本当に自分は何も出来ないと思い込むようになるのじゃ。
 或いは親子供に依存していれば、親を正当化するために自分は無意識に失敗を繰り返し、無能力であることを証明する。
 そして絶望してしまうのじゃ。

 それらもよく自らの心を観察し、過去の記憶に縛られていたと気付けば消えるのじゃ。
 例えば子供が遊戯で悪役を演じていたとして、遊戯が終わればもはや悪役を演じる必要もないと気付くようなものじゃ。
 親兄弟との関わりで演じていた自己のイメージを離れれば、全て変わるのじゃ。
 特にしばらく離れていれば自らを省みて気付く事も容易になるのじゃ。


 他にも希望に強く執着していた為に、それを失ったという事で絶望に陥る事もあるじゃろう。
 目標や希望を持つ事はよいことであるが、それに執着してしまうと却って苦になり、絶望したりすることもあるのじゃ。
 余りにも高望みし過ぎて失敗したり、進歩が遅いと希望は絶望に変わり苦になるものじゃ。
  
 そのような原因の絶望も観察によって滅するじゃろう。
 希望することや目標を持つ事がいけないのではなく、それに執着しすぎると苦になり、絶望することにもなると、気付く事でそれも無くなるのじゃ。
 そして結果に執着することなく、ただひたすらに新たな希望に向けて進んでいくこともできるじゃろう。

 そのように絶望も詳細に観察することによって、滅することが出来るのじゃ。
 日々実践に勤める修行者には絶望も、もはや無に等しいのじゃ。
 賢い者は日常に於いても絶望を超えて進むのじゃ。


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元気が出る説法 | 13:22:21 | Trackback(0) | Comments(18)

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