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般若心経の実践法④
  行とはものごとを分別する働きなのじゃ。
 知覚したものごとがどのようなものか、記憶に拠って分類するのじゃ。
 認識の一環として働くものであり、通常はその働きは無意識に行われ、観ることもできないものじゃ。

 それを見極めて空として観想することで、妄念を産む分別の働きを止めることができるのじゃ。
 
 人が通常、何かを知覚したならば、即座にそれが何か観念によって分類する働きが心に起こるのじゃ。
 例えばりんごを見たならば、それが赤く、丸いという特徴から、りんごの記憶と照合され、それがりんごであると観念によって認識されるのじゃ。
 何かを知覚すれば、その働きはそうしようと想わなくても自動的に起こっしまうのじゃ。
 
 観念を自動的に起こす働きなのじゃ。
 その行の働きがあれば観念はいつまでも起こり続け、思考や感情をも次々に起こるのじゃ。
 
 それは記憶しているものならば、直ぐにそれらの特徴がわかって便利な反面、人には不利益なことも在るのじゃ。
 分類が素早く無意識に行われてしまう故に、苦を生じるものごとを知覚した時にも、素早く苦をもたらしてしまうのじゃ。
 そしてその働きは無意識であるから、意識的には止められないのじゃ。


 そのような苦を生む働きを止めるために、空の観想が役に立つのじゃ。

 通常ならば余りにも素早く働く故に、行はその働きを感じることすら難しいじゃろう。
 しかし、それを自覚する方法もあるのじゃ。
 今まで見たこともないものごとを知覚した時、行の働きはいくつもの記憶と照合するために、かなり遅く働くのじゃ。
 りんごに似ているが色が違うとか、形が違うという物を見れば、それはりんごかなしか、或いはみかんかと、暫くの間迷いが生じるのじゃ。
 その時には分別する働きは遅く成る故に、自覚できる時間もあるのじゃ。

 そのようにして行の働きを自覚できたならば、それを空と観ることも可能になるのじゃ。
 常日頃から注意して自分の心の働きを観察しようとしているならば、それも観られるのじゃ。
 それは観念を起こす働きである故に、それを空として止める事が出来れば、観念をも生じなくさせることが出来るのじゃ。

 行の働きを自覚することは困難であるが、一度それが観られて空と観想することができれば、観念の根本から止める事が出来る故に、観念を滅するよりも強力な方法となるのじゃ。
 観念がいくら滅しても次々に湧いて止められないという者も、行から滅すれば止める事が出来るようになるじゃろう。
 原因から滅する事が出来るから、強く執り付かれている観念に対しても有効な方法となるのじゃ。

 実践によって確かめてみるのじゃ。


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悟りを得るための修行法Ⅴ空の法 | 21:08:46 | Trackback(0) | Comments(6)