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ブラフマンの法 詳解
  以前にお釈迦様が説いたブラフマンの法を書いたが、更に詳しく解説する必要があるようじゃ。
 前の記事は慈悲の感情を自分の肉体から全ての空間に広げる法と書いただけだったのじゃ。
 それだけではなかなか難しかったようじゃ。
 そこで今回の記事ではブラフマンの法を詳しく解説するのじゃ。

 ブラフマンの法を実践するには、最初に慈悲の感情を起こさなくてはならないのじゃ。
 自分が慈悲を感じるものをイメージするとよいのじゃ。
 愛する者とか、ペットとかでもよいのじゃ。

 するとその縁によって、慈悲の感情が起こるじゃろう。
 それは胸の辺りに感じるかもしれん。 
 頭の中に感じるかもしれん。
 人によっては腹に感じるという者も居るじゃろう。

 どこに感じても構わないのじゃ。
 そしてその感覚も人によって違うじゃろう。
 少し暖かい感じがするとか、むず痒いとか、少し痛いとかいろいろあって構わないのじゃ。
 その感覚を全身に広げていくようにするのじゃ。

 その感じが肉体に広がると念じたり、広がっていくことをイメージすることで少しずつ広げていくのじゃ。
 頭に感じるものは頭から下に広げ、胸や腹に感じるものは頭や手足にまで広げていくのじゃ。
 そのようにして全身に慈悲の想いから起こる感覚を広げていくのじゃ。

 どうしても広げられないという者は、慈悲を起こす縁となるものを手足にイメージすると善いのじゃ。
 手で猫を撫でるとか、そのようなイメージによって手に感じる慈悲の感覚を広げるのじゃ。
 広げている途中で感覚がなくなってしまったら、また感じるところにまで戻ってやり直すのじゃ。

 そのようにして慈悲の感覚が全身に広がって感じられるようになったならば、それを肉体の外に広げるのじゃ。
 最初は頭からとか、胸から丸く広がっていくとか、少しずつ広げていくのじゃ。
 それも途中で感覚が感じられなくなったら、感じられるところからやり直すのじゃ。

 それが出来ない者は、常識で考えて感情が肉体の外にある筈はないとかの観念に囚われているからかもしれん。
 或いは全ては脳で感じるのであるから、肉体の外に感情は無いと、唯脳論から離れられないからかもしれん。
 実際には全ては意識であるから肉体の外にも感情は在るものじゃ。
 観察と実践によって囚われを打破するのじゃ。

 肉体の外に広げられるようになったら、その感覚を部屋の中一杯にまで広げるのじゃ。
 人によっては頭から上には広がるが横に広がらないとか、腹から横にだけ広がるとか感じる者もいるかもしれん。
 そのような者は囚われずに、上でも横でも構わないからどんどん広げていくと善いのじゃ。

 慈悲の想いが今ここにある全てに浸透して、慈悲に変っていくことをイメージするのじゃ。
 全てのものが名前と形を無くして慈悲の思いになっていくことを念じ、イメージするのじゃ。
 更に慈悲の想いが今ここに感じる全てから、認識する全てに広がることを念じ、イメージするのじゃ。

 その時、頭の中で地球とか宇宙とかをイメージして、それが慈悲に変化することを念じてはいかんのじゃ。
 それでは観念遊戯になるからなのじゃ。
 あくまでも自分が今ここで感じ、認識する全てが慈悲となることを念じ、イメージするのじゃ。
 
 全てが名前と形を無くして、慈悲の思いになることを念じ、イメージするのじゃ。
 自らの肉体と精神もまた名前と形を無くして慈悲の想いそのものであることを感じるのじゃ。

 それが出来たならば、全てのものごとはただ慈悲の想いだけになるのじゃ。
 そうすればそれはサマーディと呼ばれる境地なのじゃ。
 自分も他のものもなく、全てが一つであるから自他を忘れたサマーディなのじゃ。

 それはまだ悟りではないが、自己を見ることのできる最良の境地に入れるのじゃ。
 そのように大いに成果の在るブラフマンの法を実践するとよいのじゃ。


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悟りを得るための修行法 | 21:05:03 | Trackback(0) | Comments(0)