FC2ブログ
 
■プロフィール

鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
FC2ブログへようこそ!

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2カウンター

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
病苦を観るのじゃ。
 今のように疫病が流行ると誰もが不安に思うものじゃ。
 誰もがストレスを抱え、他人に攻撃的になってしまったりするのじゃ。
 体が病にかかる前に心が病んでしまうのじゃ。
 それが真の病の苦なのじゃ。

 病そのものは人が生きている限り常にあり続けるものじゃ。
 二千五百年前にお釈迦様が四門を出て病人を見た時から変っていないのじゃ。
 人としての肉体がある限り脱がれないのじゃ。

 現世の快楽に逃避していると、それを忘れてしまうのじゃ。
 そして今のように流行り病が蔓延して免れないようになると、驚いて不安になってしまうのじゃ。
 それは病の苦に苛まれていることになるのじゃ。
 病そのものよりも、病に対する不安や恐れが苦になるのじゃ。

 病に拠って心が苛まれる時に人は道を誤まってしまうこともあるのじゃ。
 大事な人を傷つけたり、法を犯したりして一生悔やむことにもなりかねないのじゃ。
 この娑婆世界は楽園ではなく、一切皆苦の世界であるからそのようなことも起こるのじゃ。

 そのような苦を滅するためにはやはり観察するしかないのじゃ。
 心を鎮めて観察すれば、病の苦も滅せられるのじゃ。
 病を観察するとは、自らの心の中にある病の観念とそれに反応する心の働きを観るのじゃ。
 
 病が流行っているという観念から、自分もかかるかもしれないという不安が起こるじゃろう。
 その全体を観察すれば不安も消えるのじゃ。
 病にかかるかもしれないという予測する観念は残り、変らずにあるのじゃ。
 しかし、それがもはや苦にはならないのじゃ。
 自己同一化が観察することで消えたからなのじゃ。
 そのようにして病苦は滅するのじゃ。

 観念は残っても同一化が無いから苦がなくなるのじゃ。
 苦である自分が無くなるのじゃ。
 ただ苦のない予測が残るのじゃ。

 そのようにして病があっても観察して苦を滅することが出来るならば、病苦を進歩の機会に変えたことになるのじゃ。
 病が流行っていて外に出られないならば、そのように実践するとよいのじゃ。
 そうすればそれもまた自分を知る善い機会に恵まれたと言えるのじゃ。
 病苦に悩む者は実践あるのみなのじゃ。
  


スポンサーサイト



元気が出る説法 | 20:42:04 | Trackback(0) | Comments(20)