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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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名前の苦
  お釈迦様はダンマパダで名色からの厭離を説いているのじゃ。
 名色とは名前と形象なのじゃ。
 形象とはイメージなのじゃ。
 未だ悟りを得ぬ者は、全てのものごとをこの名前とイメージである観念に拠って認識しているのじゃ。

 その中の名前について今回は説くのじゃ。
 誰でも生まれた時から名前を持っているものじゃ。
 名前に拠って自分と他人を識別するのじゃ。
 名前が無ければ社会も成り立たないのじゃ。
 そんな便利な名前も自分として認識していると、苦を生む原因にもなるのじゃ。

 例えば軍人などは名誉のために死をも選ぶのじゃ。
 勇敢な者という名前を得るために自分の体が壊れることも厭わず、己の死をも省みず、他人をも殺すことを選ぶのじゃ。
 勇敢といわれ、臆病と言われないようにするために、自他の苦の道を選択してしまうのじゃ。
  
 或いは名声を欲する者が自らの肉体を傷つけても見目良く容貌を形成し、多くの時間を費やして技を磨き、終には人生の大半を費やしてしまうことも名に囚われて苦に陥ることなのじゃ。
 愚かな者はまともな手段によって名を広めることが出来ぬと思えば、犯罪まで行って名を広めようとさえするものじゃ。
 そのために被害に遭う者も苦であり、本人にとっても多いに苦になるものじゃ。


 そのように極端な例でなくとも、多くの者が日常で名前に執着した為に苦を受けているのじゃ。
 例えば他人人頼まれると嫌といえない者も居るのじゃ。
 そのために嫌な頼みごとや仕事を抱え込んで苦しむのじゃ。
 人に良く思われたいと思うから嫌とはいえないのじゃ。
 人に良く思われたいというのも、名前への囚われであることも多いのじゃ。

 或いは他人からの評価を気にして、己の意志を曲げてしまうのも名前への囚われからであることも多いのじゃ。
 自分の好きなことも体裁が悪いとか、体面が悪いとか、世間の評判を気にして事業とか趣味でも出来なくなってしまうのじゃ。
 そのような心構えでは後々に後悔することになるのじゃ。
 事業でも趣味の事でも、若いうちにやって置けばよかったとか、後悔しながら人生を終えるのじゃ。
 
 人が最も良い評価を得たいと願うのは、大抵親からの評価なのじゃ。
 親からいい子であるという評価を得たいがために、子供は頑張るものじゃ。
 ゲームとか遊びとかの好きなことも抑制し、勉強に励んだりするのじゃ。
 そのような心の習慣が大人になっても残ってしまうことが多いのじゃ。
 
 親や他人から褒められる事が人生で一番価値の在ることであるという、価値観が条件付けされるのじゃ。
 そうなれば自分の好きな事を抑圧し、世間の評判のために頑張りすぎてしまうのじゃ。
 そしていつの間にか気がつけば、自分が何を好み、何を楽しみとしているのかすらわからなくなってしまうのじゃ。
 世間の評判に合わせすぎてしまったために、己がわからなくなってしまうのじゃ。
 己がわからなければ迷いの世で更に迷いの中に入っていくようなものじゃ。

 そのような苦悶の生活に心当たりの在る者は、よく自らの生活や環境を省みてみると善いのじゃ。
 何故、自分は今このように窮屈な生き方をしているのか。
 何故、好きなことも出来ずに苦しいことばかり選択しているのか。
 そもそも自分の好きなことは何であったのか。
 等の疑問を自らの胸に聞いてみるのじゃ。

 それがただ親や世間からの評価を得たいと思っているからであったならば、名前に囚われているから苦が起こるのであると気付くこともできるかもしれんのじゃ。
 気付くことで厭離は起こり、名前との自己同一化も消えるのじゃ。
 そして他人の評価や世間の目を気にせずに、好きな事を思い出して安楽に生きることも出来るのじゃ。
 それもまた自分を知ることによる安楽と言えるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。


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未分類 | 21:57:39 | Trackback(0) | Comments(2)