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悟りと記憶と苦の関係
  悟りと記憶と苦の関係

 悟りとは記憶に依存した認識が滅し、本来の認識に回帰する事と言えるものじゃ。
 認識が記憶に依存していると、苦が生じ、観念による妄想によって実際の状況が見えず、智恵も完全ではないのじゃ。
 記憶に依存した認識が滅すれば、本来の認識が起こり、苦が全て無くなり、観念による妄想を離れて実際の世界が見えるのじゃ。

 認識能力が記憶に依存していると、苦は次々に生じてしまうものじゃ。
 大きな事故に合ったりすれば、人はそれを何かきっかけで何度も思い出し、悩み苦しむものじゃ。
 それが心の傷による苦なのじゃ。
 
 愛しい者と分かれる苦も、その者を記憶し、執着しつづける事が苦になるのじゃ。
 難い者と会わなければ成らない苦も、その憎しみを記憶し、持ちつづける事が苦になる。
 欲する物が得られない苦、貧困の苦、老病死の苦なども自らの肉体や物を記憶し、執着し続ける事で苦になるものじゃ。

 そのような苦は認識能力が記憶に依存している故に、記憶によって何度も思い起こされ、自らの意志では止める事が出来ないのじゃ。
 ただお釈迦様の教えられた通り、観察する事で滅する事が出来る。

 観察は苦と己との同一化を引き離し、それが己ではなく、己のものでもない事を気づかせる。
 そして苦は厭離されるのじゃ。

 しかし、全ての苦を滅し、全ての煩悩を無くした事が悟りなのではないのじゃ。
 記憶に依存した認識がある限り、全ての苦を滅したとしても、苦は又作られ続ける。
 自我を滅し、記憶に依存した認識をも滅した時、一切の苦から永遠に解放されるのじゃ。

 苦を滅する法は囚われを離れ、集中力と実行力を養うためにあるものじゃ。
 多くの苦を抱えていれば、修行する事さえ出来ないものじゃ。
 苦を滅し、安楽な境地に入る事で囚われも無くなり、落ち着いて修行できるのじゃ。

 そして原因から生じる縁起の仕組みを知る事で、己と言う観念もまた原因から生じ、原因が無ければ起こらない事を気づくためにも行うべきものなのじゃ。
 その法によって苦を滅したとしても、修行者はさらに精進し、一切の苦を永遠に滅する悟りへと至るのじゃ。
 
 
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テーマ:悟り。 - ジャンル:心と身体

悟りの真実 | 12:22:31 | Trackback(0) | Comments(15)
コメント
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012-08-08 水 14:16:11 | | [編集]
最近だと苫米地英人さんも和尚とおなじようなことをおっしゃってますね。
2012-08-09 木 03:25:03 | URL | たんぽぽ [編集]
人目について
こんにちは。
仕事上のストレスで心身のバランスが崩れてしまった者です。

しばらく休んで随分回復しましたが、会社に戻ることを考えると具合が悪くなります。

特に人目が気になって仕方がないです。
消えたいです。
怖いです。

何かメッセージをいただけるとありがたいです(´;ω;`)
2012-08-09 木 16:36:51 | URL | のの [編集]
ただすぎさりし

いまここにある


すぎされば

もうそこにくはなく

あるのはあんらく

それをしり

ただすぎさりしものをながめ

ほほえみかえさば

ここにあんらくはある

南無阿弥陀仏
2012-08-09 木 22:12:01 | URL | sei [編集]
たんぽぽ

 最近の科学でも漸く記憶に依存している事に気づきだしたようじゃのう。
 それは唯識論の正しさを追認しているのじゃ。
 しかし、それもまた言葉にされた仮設の知識でしかないものじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。
2012-08-16 木 12:41:42 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
のの

 もともと少し対人とか視線の恐怖が在ったようじゃのう。
 苦を滅する修行をしてみるのじゃ。
 その恐れの原因を追求し、原因から起こる恐れを観察し、原因が無ければ恐れも無いと観察するのじゃ。
 そうすれば恐れは消えるじゃろう。
 他人の中で居るストレスも無くなるじゃろう。
 
2012-08-16 木 12:45:47 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
 そうじゃ、安楽は今此処にあるのじゃ。
 さらに精進じゃ。
2012-08-16 木 12:48:34 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
なか

自分が他人をこのように変えたいと思えば、それが執着になり、苦になるものじゃ。
 自らが執着を離れ、臨機応変に対する事で智恵も生まれるものじゃ。
 もはや別れても良いという位の気持ちで、自分のこれからの人生を考えるのじゃ。
 他人を頼りにするより、自分を頼りにするほうが良いのじゃ。
 自らの心を整え、他人に毅然として対するのじゃ。
 そうすれば悩む事は無くなるじゃろう。
2012-08-16 木 19:08:51 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
こんにちは。

瞑想をしていると時間が経つのが凄く長く感じるのですが、これは瞑想として良いのか悪いのかどうなのでしょうか?
2012-08-24 金 22:02:25 | URL | しん [編集]
まだ集中力が足りないようじゃ。
周りを気にせずに意識を集中するのじゃ。
そのうちに時間が経つ事が気にならなくなるじゃろう。
それまで精進するのじゃ。
2012-08-28 火 14:30:01 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
子供たちの自我を満足させ、やる気を起こさせる。
例えば、なにかご褒美を与えたりすることは
悟りへ至るために自我が必要であるように
それは有効な手段だと思います。

悟りへ至る方向に対して
逆の方向へ誘っているようで
今までは良く思っていませんでしたが
物質的満足が精神的な余裕を生み
その時に悟りへ至りたいと思うならば
現状の状況を受け入れながら良き方向へ進めるような気がします。
物質的満足は底が見えませんが・・・

もしも話は好きではありませんが
釈迦がもし位の低い出身であったなら悟りへの探求心や悟りの道は
生まれていたでしょうか・・・

子育てをしながら日々、この子達に何をしてあげられるのか考えます。
ご褒美を与えながら、これでいいのだろうかと思っていたのですが
これで良いのだと思っています。
和尚様は、こういうことをどう思いますか?
宜しくお願いします。
2012-08-28 火 16:08:16 | URL | sei [編集]
瞑想をしていると、客観的に自分の考えを見ているもうひとりの自分がいます。
それが、本当の自分ですか?また、このただ見ている自分は何も考えたりせず、ただ自分の考えを見ているだけで、何もしようとはしません。この、ただ考えを見ているだけの状態が普段の生活でも続いていることもあります。ただ考えを見ているだけなので、話したいと思う衝動もなく、考えを見ているだけです。
その状態のままそこから何も変化がないので、自分の瞑想が間違っていないか気になっています。よろしくお願いいたします。
2012-08-31 金 16:23:11 | URL | ネロ [編集]
sei

 おぬしが良いと思うのならば、それで良いのじゃ。
 この世では全てが最適な一番良い方法などは滅多にないものじゃ。
 自らの智恵を尽くしたのならばそれで良いのじゃ。
2012-08-31 金 20:51:53 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
ネロ

それが認識なのじゃ。
ただ全てを観るだけのものなのじゃ。
それがどのように自我を観ているのか、観察してみるのじゃ。
かなり集中しなければ難しいが、それが出来れば無我の境地に至るのじゃ。
無我の境地に至れば、認識を滅する事は容易いのじゃ。
更にその認識をも滅すれば悟りへと至るのじゃ。
2012-08-31 金 20:55:16 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
認識

それが自分のようで

そうなのか

自身が持てない

と言うよりも

もっと奥深いなにかに

気付けていない自分がいるような

気がしている。

ただ目を閉じて

じっとしていると

僕は眠たくなって

舞った埃が沈むように

下へ下へと落ちていくのだ


我に戻る


今までの自分


そこから脱したいのだけど


ここもいいなと

落ちていく安堵とともに

思ったりするのだ

僕は何処へ行き

何処へ落ちていくのか

解らぬまま

今宵も我を見つめる

それがただ

嬉しかったりするのです
2012-09-04 火 23:57:43 | URL | sei [編集]
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