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鬼和尚天空

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恐れを超えるのじゃ。


 修行が段々と進んでくると、人によっては恐れが生じる事もあるじゃろう。
 自分が変わっていく恐れ。
 自分が無いと知る恐れ。
 そのような恐怖があれば、修行を止めてしまう者も居る。

 多くの修行者が悟りを求めながら、長年修行しても悟りを得られないのは、この恐れからの逃避によるものじゃ。
 心は正直なものである故に、ちょっとした恐れが在ってもそこから逃避して、自ら進歩を止めてしまう。

 そのような恐れを超えなければ、進歩も変容も無いのじゃ。

 恐れを超えるには先ずは意志を起こさなければならん。
 恐れを超えるために意志を奮い起こすのじゃ。

 そして自分が何を恐れているのか、深く観察するのじゃ。
 恐れの原因も人によって、或いは境地によって違うものじゃ。

 同じ性格や性質を持つ固有の自分と言う自我を持つ者は、性格や性質が変わってしまうと、自分が自分ではなくなるという恐れがあるじゃろう。
 そのような者は変化することを恐れるのじゃ。

 変化する事に恐れを抱くから、苦しみさえも無くす事を恐れるじゃろう。
 苦しみのある自分が、変わらぬ自分であると思うのじゃ。

 そのような者も、固有の自分という観念に囚われる故に、変化を恐れると気づきがあれば、恐れも消えるじゃろう。
 心の働きを観る気づきによって、恐れも滅するのじゃ。

 他にも修行が進めば、自我が無いと言う事を予感して恐れる者もあるじゃろう。
 その恐れには自分の消失の他に、それを肯定してしまえば世間の常識を外れ、狂人とみなされる恐れも入っているじゃろう。
 自分が消える死と狂気の恐れが修行を妨げるのじゃ。

 多くの修行者がそこで修行を止めてしまう。
 自分が死を超えるために修行しているのに、その自分が無くなってしまう。
 それでは何の意味もないと感じる者も居るじゃろう。

 そのような狂気と消失の恐れには、知性と勇気で立ち向かうほかは無いのじゃ。

 狂気とは無に包含される世界の一部なのじゃ。
 目覚めた者達は狂気を知りながら、秩序の世界にも対応して人々に教えを説いておる。
 狂気はそれを知りながら、制御できるものなのじゃ。

 そして己が消えると言う恐れには、何もしなければやはり死によって、己は消えるものであると深く認識しなければならん。
 何もしなければ消えてしまうものを、自ら捨てる事により、永遠へと至る事が出来るのじゃ。
 それが多くの目覚めた者たちの辿った道であり、悟りへの門なのじゃ。

 お釈迦様も成道の時には、悟りを得るために死をも恐れぬ勇気を示した事が記されておる。
 修行が終局を迎えようとしている時、もはや知識も法も役には立たない。
 ただ勇気をもって進むだけなのじゃ。
 
 真の悟りを求める修行者は、死の恐れも超える勇気を奮い起こし、最後の関門を通り抜けるのじゃ。
 そうすれば自我は幻想でしかなく、それを超える不死の境地、永遠の意識に到達できるじゃろう。
 

 
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テーマ:悟り。 - ジャンル:心と身体

元気が出る説法 | 21:21:15 | Trackback(0) | Comments(12)
コメント
数息観について
はじめまして。
和尚様の慈悲深い説法を拝読していて深く感銘を受けた者です。
さっそく数息観を始めようと思うのですが、わかならい点があります。
1.呼吸周期の秒数や強さは具体的にはどの程度が適切でしょうか?
2.椅子に座っての瞑想はあまりよくないでしょうか?
なにとぞご教授くださいますようお願いいたします。
2012-12-02 日 00:01:10 | URL | きのこ [編集]
Re: 数息観について
きのこ

1.呼吸周期の秒数や強さは、自分が楽に長く続けられるような程度にするのじゃ。
 全ての瞑想の基準が自分であるように、呼吸も自分に合ったやり方が一番いいのじゃ。
 爪先立っては長く歩けないように、自分に合わない無理な事をすれば長く続かないからのう。
 全ては自分が丁度いいと感じる程度にするのが、一番良いのじゃ。

2.椅子に座ってやってもよいのじゃ。
 背骨が真っ直ぐに成っているならば、椅子でも構わないのじゃ。
 
2012-12-03 月 13:34:00 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
ありがとうございました
ご教授ありがとうございました。
続けることで、まずは集中力をつけたいと思います。
2012-12-03 月 21:04:24 | URL | きのこ [編集]
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2012-12-05 水 01:42:32 | | [編集]
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2012-12-06 木 04:38:42 | | [編集]
Re: ありがとうございました
きのこ

そうじゃ、やってみるのじゃ。
またおいでなさい。
2012-12-09 日 16:51:03 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
てめぇこのやろう

それでよいのじゃ。
日々の修行で心も落ち着いてくるじゃろう。
またおいでなさい。
2012-12-09 日 16:52:23 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: なし
ななし

そうじゃ、法に拠り、己を見出すのじゃ。
そこに安らぎがあるじゃろう。
またおいでなさい。
2012-12-09 日 16:53:59 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2012-12-12 水 10:58:32 | | [編集]
Re: タイトルなし
みい

 自らの心を観察する事によって、全ては明らかになるのじゃ。
 今の苦を観察するのが初めなのじゃ。
 その苦がどこから起こるのか、自らの心を詳細に観察するのじゃ。
 そうすればだんだんと判って来るのじゃ。
 それは考えるのではなく、観察によって気づくものじゃ。
 例えば愛する者と別れた愛別離苦を観察すれば、未だ別れた相手に執着があるからと気づいたりする。
 
 このブログにも書いてあるが自分の手を観察してみると良いのじゃ。
 そして手を観察するように、心も観察するのじゃ。
 
 実況中継などはしない方が良いのじゃ。
 言葉による解説に慣れてしまえば、言葉の無い観察が出来なくなるからのう。 
 慣れれば言葉にならない微妙な心の動きも観察できるようになるのじゃ。 



2012-12-17 月 18:45:53 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2012-12-20 木 11:37:12 | | [編集]
Re: タイトルなし
 ネロ

 その霊障や霊などはおぬしの心が作り出しているのじゃ。
 何でもない音や他人の声に、おぬしが心の中にある記憶を投射して霊や霊障と解釈しているのじゃ。

 本来死者の意識は眠りの意識と同じであり、そのように生身の人間を攻撃したりはしないものじゃ。
 起きている者が眠っている者をどのようにも操作できるように、生きている人間の意志は死者よりも強く、霊や霊障などはどうにでもできるものじゃ。

 自分の体が白い大きな蓮の花に包まれているとイメージするのじゃ。
 その花は仏陀の力により、外から何が来ても入れないこの世で一番強いものであると観想するのじゃ。
 霊や霊障、狐狸妖怪、悪鬼羅刹なども絶対に入る事は出来ないものじゃ。
 内も外も清浄な白く輝く蓮の花に包まれ、完全に護られていると強くイメージするのじゃ。
 そのようにイメージすれば心が落ち着くじゃろう。

 霊などが来ると思ったら供養したらよいのじゃ。
 イメージによって清浄な部屋とご馳走などを作り、霊に供養するのじゃ。
 霊が喜んで去るまで供養したらよいのじゃ。
 先祖も同じように供養するのじゃ。
 供養されて喜んで去って行く所までイメージするのじゃ。

 心が落ち着いたら、数息観などを修行して、そのように動揺する原因を自らの心の中に探すのじゃ。
 そして苦を滅すると良いのじゃ。
2012-12-22 土 21:54:39 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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