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鬼和尚天空

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念処経について。
  観察の為の手引きとして念処経と大念処経というものがあるのじゃ。
 内容は大体同じものじゃ。
 
 観察の対象である己を、身体、感覚、心、法の四つに分けて、それぞれを詳
細に観察して行くものじゃ。
 このように全てを観察すれば、心身の何れかに自分を投射している仕組みが
観察され、厭離が起こるのを促進しているのじゃ。

 人は自我を肉体や感覚や精神の思考や感情や認識などに投射しておる。
 それがどこか探すより、心身の全てを観察してしまえば、どれかは当るであ
ろうという意図によるものなのじゃ。
 ある意味、観察や悟りのマニュアルとも言えるじゃろう。

 先ずは肉体から観察して行くのじゃ。 
 肉体をありのままに観察し、肉体への自己同一化を止めるのじゃ。

 そして感覚を観察し、感覚からの厭離を目指すのじゃ。
 特に眼や耳に対して見るものや聞いたものが己であると言う謬見を離れるの
じゃ。

 更に心を観察し、思考や感情や認識や記憶に対する自己同一化を離れるのじゃ。
 思考が観察されれば思考に対する自己同一化が消え、感情が観察されれば感情が己であるとする認識が無くなるじゃろう。

 それらを観察するものとして法もまた、正しく実践されているか観察されな
ければならんのじゃ。

 そのように経に従って、全て観察されれば、悟りは訪れるかと言えば、そう
でもないのじゃ。
 マニュアル通りにすれば、直ちに悟りが訪れると言う事はないのじゃ。

 例えば思考が己であると思う者が、わざと思考はあまり観察しないで、全て
マニュアル通りに観察したと、想ったりもするのじゃ。
 自我を己と思い、己が消えるという恐れがあれば、自我は己を守るために、

さまざまな誤魔化しをしたりするのじゃ。
 どんなマニュアルも、自我が消失する恐れから逃げる者を、悟りに導く事は
出来ないのじゃ。

 それがマニュアルの限界であるのじゃ。
 念処経も真摯に悟りを求める者には役立つじゃろう。
 しかし、悟りを求める気の無い者には無意味なのじゃ。

 そのようにこの経にも限界がある事を知り、囚われる事無く学ぶが良いのじ

ゃ。
 
 
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テーマ:悟り。 - ジャンル:心と身体

悟りの真実 | 16:06:19 | Trackback(0) | Comments(16)
コメント
和尚様、いろいろ聞きたいことがありましたが、パソコンの電源をつけたら忘れてしまいました。
なので、ひとつだけ。

来世はありますか?
2013-05-18 土 13:44:54 | URL | いぬだいすき [編集]
こんにちは和尚様。
輪廻転生は本当にあるのでしょうか?
私はいろいろな修行をして、
徐々に人格もやわらかくなってきて
それにつれて人生も楽しめるようになってきました。
ただ、もうすぐ29歳です。

小さなころから愛の重要さを実感してると、来世はもっと楽しめそうですが、
もし今世でこの世にお別れでしたら少し寂しいですね。
2013-05-20 月 21:09:30 | URL | いぬだいすき [編集]
今の世があると思うのと同じように来世もあるのじゃ。
今の世が幻想と知れば、来世もまた幻想と知るのじゃ。
世の中の一切は人の認識に掛かっているのじゃ。
ものごとを作り出すのは心であるとお釈迦様も言って居るのじゃ。
今の世でもさらに愛を養えば、心も満たされるじゃろう。
2013-05-24 金 12:52:59 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
今の世が幻想なのですか?
和尚様の存在も私の心が作り出しているのですか?
全く理解できません。

今の私の状態では来世は来るという事ですね。
これだけはわかりました。
2013-05-25 土 15:28:11 | URL | いぬだいすき [編集]
では認識を決定しているものは何なのでしょうか?
2013-05-26 日 20:32:32 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
観察というのは俗にいうヴィパッサナーと同じものですか?
2013-05-29 水 15:26:24 | URL | いぬだいすき [編集]
サマーディー
サマーディーをすれば天上界に上がれるのでしょうか?
2013-05-31 金 13:53:17 | URL | ノスタルジア◆M2SKOmkR [編集]
Re: タイトルなし
いぬだいすき

わしは存在するが、おぬしの認識して考えているわしは、実在のわしとは違うのじゃ。
それがおぬしの作ったわしなのじゃ。
そのように世界はおぬしの認識によって作られ、個我があると思えば輪廻も存在するのじゃ。
2013-06-02 日 20:39:32 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
小鬼ちゃん

認識は記憶に依存して存在しているのじゃ。
以前に記憶していたものが感じられると、りんごがあるとかみかんがあるとか認識が起こるじゃろう。
そのように記憶に依存して認識があることを観察するのじゃ。
2013-06-02 日 20:41:48 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
いぬだいすき

そうじゃ、それが観察なのじゃ。
しかし、今の世に伝わるヴィパッサナーも既に縁起や四諦を使えなくなっているから、本来のヴィパッサナーとは呼べないものになっておるがのう。
思考が無く、先入観も無く、縁によって起こる心の働きによる苦を、ありのままに観察するのが本来のヴィパッサナーなのじゃ。
2013-06-02 日 20:46:41 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: サマーディー
サマーディーに達すればこの世がそのまま天上界であった事が垣間見えるじゃろう。
 
2013-06-02 日 20:47:37 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
質問です。
鬼和尚 様

お世話になります。マングースです。
質問させていただきます。

>それらを観察するものとして法もまた、正しく実践されているか観察されなければならんのじゃ。

「法」とは、具体的になんでしょうか?
よろしくお願いいたします。
2014-06-11 水 06:59:24 | URL | マングース [編集]
追伸
肉体、感覚、感情、思考などを観察する「認識」のことを「法」といっており、 つまりは認識しているのが自分ではなく、それは単に認識という働きであるだけであるという認識。。。

要するに、「肉体」「感覚」「感情」「思考」などと「自分」、そしてそれらを認識している「認識」と「自分」。その同一化を破壊するということ。。。

でしょうかね^^
よろしくお願いいたしますm(_ _)m

マングース
2014-06-16 月 08:15:20 | URL | マングース [編集]
追・追伸
肉体、感覚、感情、思考・・・それらを「認識する者」として、常に自分がいるのを感じます。
あとは、自分の胸のあたりの「感覚」と思考の「声(想像の音)」がリンクし、それに自分を投影しているのを感じます。

そのように認識してもまだ、これらの対象との自己同一視が消えませんが、まだまだしっかり対象化されていないからといえるでしょうか?
さらに何に自分を投影しているのか? それを観察するのみでしょうか?
よろしくお願いいたします。

マングース

2014-06-18 水 05:40:26 | URL | マングース [編集]
Re: 追伸
マングース

 方法とは苦を滅するとか、観察をする方法なのじゃ。
 それが正しく行われていれば、苦は滅したり、身心との厭離が起きたりするじゃろう。
 そのような厭離が起こらなければ、何かが間違っているからなのじゃ。
 そうならないように法も正しく行われているか、観察するが良いのじゃ。

2014-06-26 木 19:36:21 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: 追・追伸
マングース

 一度は見えたが、まだ観察が不完全なのじゃ。
 自我のイメージや名前が対象に投射される全ての過程を、詳細に観察する事が厭離への道なのじゃ。
 肉体を厭離する時に詳細に観察して初めて厭離が起きたように、自我が投射される過程も何度も詳細に観察して厭離は起こるのじゃ。
 主体も対象も何もかも詳細に観察するのじゃ。
 それが厭離への道なのじゃ。
 精進在るのみなのじゃ。
 
 
2014-06-26 木 19:44:27 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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