■プロフィール

鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
FC2ブログへようこそ!

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2カウンター

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
思考に囚われてはいかんのじゃ。
  頭を使うのが好きな者は思考に自分を投射し、思考が自分であると思ったりするものじゃ。
 思考が自分であると思えば、常に思考し続ける事を好み、思考に囚われてしまうじゃろう。

 そのようであれば身心は消耗し、ノイローゼや心神が衰弱してしまう事もあるのじゃ。
 何事もやりすぎれば心身に悪影響が出るように、思考し続けることも身心に悪いのじゃ。

 思考し続けていると、何か新しい事がわかったような気になり、進歩したように思う事もあるじゃろう。
 しかし、直ぐに新しい思考が始まり、前にわかったと思う事も否定して、もっともっと新しい事が判った気になる。
 そのように進歩したような気になっても、実は同じ事を同じ思考回路で何度も繰り返しているだけであり、少しも進歩はしていないのじゃ。

 思考を自分と思うという事は、自分を意識するためには思考し続けるしかない故に、新しい事が判っても判らなくても、思考し続けるのじゃ。
 思考する事そのものが目的になってしまっているのじゃ。
 本来は真実を知るための思考が、目的になってしまっては本末転倒なのじゃ。

 そして延々と続けられた思考は止める事が出来なくなり、休もうと思っても頭が勝手に思考を続けてしまうじゃろう。
 そうなれば本当にノイローゼ等になってしまうのじゃ。

 思考には対象があり、対象が無ければ思考は無くなるじゃろう。
 例えばりんごについて考えた時に思考はあり、りんごについて考えなければ思考も無いのじゃ。
 そのように対象に依存して思考は存在するのじゃ。

 対象に依存し、対象が無ければ存在しない思考は、実は己ではなく、己のものですらないのじゃ。

 そのような思考を制御するために、集中の行はあるのじゃ。
 数息観を行ったり、阿弥陀経等を読んで仏陀の姿をイメージしていれば、やがて思考は静かになり、消えていくものじゃ。
 自ら消そうと思わなくとも、集中によって思考は静まるのじゃ。

 思考は無くなってもそこに意識は在るじゃろう。
 思考の無い安らぎの意識に達すれば、もはや思考が己であるという囚われは無くなるじゃろう。
 そのようであれば正しい見解に達したといえるのじゃ。

スポンサーサイト


テーマ:悟り。 - ジャンル:心と身体

悟りの真実 | 20:56:39 | Trackback(0) | Comments(15)
コメント
思考について
特に人といる時に、思考が活発に働きます。思考が働いているときに、自分が確立している感じや守られている感じがします。
何も考えていないと、自分が無防備な感じがするのですが、、一人でいる時は思考しない心地よさは感じるときもありますが、思考が止まらない時や思考が働き過ぎたり思うようにならない時はどうしたらよいですか?
2013-06-03 月 00:40:32 | URL | ネロ [編集]
いつもお世話になってます。
思考が堂々巡りしている俺にはピッタリの記事でした。

感情も自動的に起こるという点で思考と似ているかと思いますが、
この湧いてくるものが愛情だと素晴らしい気分になりますが、
妬みなどだととんでもなく気分が悪くなりますね。
こういったものも記憶に依存しているのでしょうか?
記憶から自由になることが出来れば、人格すら作り変える事ができるのでしょうか?
また、「妬みがわいてきたな、嫌だな」と思っているのは思考ですか?私ですか?
2013-06-04 火 00:19:40 | URL | いぬだいすき [編集]
思考で先手を打つ知恵の実

我らが学ぶべきは

先手ではなく

その後の

虚しさの中の後観


先の手ではないこととは?

2013-06-04 火 01:12:36 | URL | sei [編集]
エックハルト・トールさんの動画を見たら同じような事を言っていましたが鬼和尚から見て彼は悟ってますでしょうか?
2013-06-04 火 04:31:22 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
Re: 思考について
ネロ

そのような思考を制御するために数息観などの集中の修行があるのじゃ。
集中の対象に専念すれば、思考は確実に止まるのじゃ。
思考や心の働きが止まるから、集中の修行を止の行と呼ぶのじゃ。

最初は難しくとも、続けて行けばやがて思考が止められるようになるじゃろう。
無理に止めようとせず、ただ集中を続けているだけで自ずから止まるのじゃ。
実践してみるのじゃ。
2013-06-17 月 12:56:17 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
いぬだいすき

そうじゃ、それらの心の働きも記憶に依存しているのじゃ。
記憶への依存が止まれば人格も変えられるじゃろう。
そのように思うのも思考なのじゃ。
自我はそれに投射されているだけなのじゃ。
2013-06-17 月 12:58:42 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
エックハルト・トールは悟っていないのじゃ。
 ピーク体験とか一瞬の気づきがあっただけなのじゃ。
 それでも世界の真実の姿が、垣間見えるものではあるがのう。
 
2013-06-17 月 13:00:27 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
もうひとつ質問です。
いつもありがとうございます。
頭の部分で思うこと(思考)と心(胸の辺り)で思うことが自分の感覚の中で二箇所に分かれてあります。
これは、普通のことですか?
和尚が言う、思考と心を観察するというのはこの頭で考えることと、胸の辺りで思うことの両方を観察するするということですか?
以前のブログで書かれていた、心をゴミ箱にしないというものの指している心とは胸の辺りの思いのことですか?それを湧いてくるまま観察したらよいのでしょうか?
同じく思考もそのまま、観察するのがよいのでしょうか?

よろしくお願いします。
2013-06-18 火 16:30:11 | URL | ネロ [編集]
エックハルト・トールは悟っていないのですか?
どういうところからそう判断なされたのでしょうか?
2013-06-20 木 15:24:05 | URL | とんび [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013-06-22 土 23:15:46 | | [編集]
Re: タイトルなし
とんび

無自己について語っているが、それ以上については無知なのじゃ。
無認識にまで至らなければ真の悟りではないのじゃ。
そこに至ればもはや平安も寂静も不要なのじゃ。

心は目に表れるのじゃ。
真に悟りを得て認識を捨てた瞳は見るものを探して動く事は無く、不動なのじゃ。
2013-06-27 木 21:20:35 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: もうひとつ質問です。
ネロ

そうじゃ、そのままありのままに観察するのじゃ。
今まで判らなかった心や体の反応にとまどうかもしれんが、それらをありのままに観察しつづけるのじゃ。
それらが連動して働く事を観察していれば、いずれ全てを見つめる意識にも気づくじゃろう。
2013-06-27 木 21:23:51 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: 心の形について
bluesky

それで良いのじゃ。
観察の目的は知識を得ることではなく、気づきにより苦を厭離する事なのじゃ。
言葉にし難い観察でも全体が見えて苦が滅すれば成功しているのじゃ。
そのまま続けると良いのじゃ。
2013-06-27 木 21:39:48 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013-07-01 月 21:25:19 | | [編集]
Re: お答えを頂き、有難う御座いました。
bluesky

どういたしまして、またおいでなさい。
2013-07-15 月 21:08:45 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad