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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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子供のように今ここに在る事を楽しむのじゃ。
  子供のように人生を楽しむには、過去の事も未来の事も考えずに、今ここにある事だけを感じると良いのじゃ。
 子供の頃には皆そうだったのじゃ。

 リストラされそうだとか、変なものを買ってしまったとか、未来の事や過去の事は考えずに、今目の前にある事だけを楽しんでいたのじゃ。
 大人になったからと言ってそれが出来ない訳は無いのじゃ。

 しかしそれでは未来の計画を立てたり、過去の過ちを反省するのはいかんという事ではないのじゃ。
 未来の計画も過去の反省も進歩するためには必要なのじゃ。

 人に不安や憂鬱が起こるのは、未来の計画を立てたり、過去を反省するだけでなく、それ以上に考えて事故が起こるのではないかとか、こうすれば良かったとか想ってしまうからなのじゃ。
 計画や反省をしたならば、もはやそれ以上に考えたり、想ったりせずに思考を止めるのじゃ。

 日頃から数息観などの瞑想をしていれば、簡単な事なのじゃ。
 先の事について計画を立てて、さらにそれ以上に考えていると気付いたならば、それで止めるのじゃ。
 過去を反省して、さらにそれよりもこのようにすればよかったなどと、執着となる事を考えていたと気付いたならば、それも止めるのじゃ。

 そうすれば不安や執着からの憂鬱もなくなり、子供の頃のように楽しい日々が送れるのじゃ。
 実践してみるのじゃ。


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テーマ:元気が出る言葉 - ジャンル:心と身体

元気が出る説法 | 22:16:19 | Trackback(0) | Comments(11)
コメント
死ぬのが怖いです
2014-05-05 月 00:45:45 | URL | どんまい [編集]
地に足をつけるための瞑想について
鬼和尚さま

僕は、静かに座ることを続けることで、自分が何をしているのか、という自覚が少しずつ出来てきたことを感じています。特に、考えることと苦しみや不安を拭おうとすることが連鎖している状況を認識して止めることが出来るようになってきたのは、僕にとって大きな救いでした。
一方で、僕は昔から頭で論理的に検証しないと納得できない性格で、必要以上にしつこく考えてしまって問題を自分でこじらせてしまうことがよくあります。そして、そうしていると、心でとらえていたものまでもまた疑い始め、今を楽しむことが出来ていないことに気づきました。
心が窒息してるような感じで、様々なレベルで、自分が何がしたいのか、を心に聴くよりも頭で考えてしまって、自分が何がしたかったのか分からないことが多いです。
なので、鬼和尚さまの記事を読んでも、なかなか入ってこず、「そうは言うけど、言葉として分解すれば楽しみなんてなくなるだろう、、」みたいな反駁を頭で考えてしまって、さっぱり進めません。
昔よりはそれでもだいぶマシにはなったのですが、自分の感情を生きることへの抑圧というか、逃げの姿勢が抜けないためな気がします。自分を野放しにすると、すごい人に迷惑を駆けるんじゃないか、という考えもあります。そうやってまだ逃げているのだと思います。それが自我だと思うのですが、なかなか周到でだますことに長けていて、とらえることが難しいです。
座る時は、自分が在る、という感覚を感じるように心がけて座ると、15分くらいして思考が落ち着いてきた時に、ハッと今に戻れたりします。そういう感じで座るのは、良いでしょうか?他に、地に足つけるために、試してみたら良いかも知れぬこととかが、ありましたら教えてほしいです。よろしくお願いします。
2014-05-06 火 19:29:04 | URL | たいようくん [編集]
Re: タイトルなし
どんまい

 そのような者にこそ悟りへの道があるのじゃ。
 先ずは数息観などをしてみるのじゃ。
 心が鎮まれば感じる事や気付く事も多くなるのじゃ。

 瞑想の最中に自らの意識が肉体だけにあるのではないと感じ気付く事もあるじゃろう。

 或いは肉体が己であると認識する時に死の恐れが在ると気付く事も在るじゃろう。

 或いは個我や個体が在ると思う時に、その消滅を予測して死の恐れがあると気付く事もあるじゃろう。
 それらのただ一つの気付きだけでも、死の恐れは消えていくじゃろう。
 更に修行を勧めれば心の悟りを得て、永遠の存在である意識にまで到達できるじゃろう。
 そこまで至ればもはお死も無であったと気づくのじゃ。
2014-05-12 月 19:07:34 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: 地に足をつけるための瞑想について
たいようくん

 それで良いのじゃ。
 考える事より、感じる事を注意して気付くのじゃ。
 おぬしは考える事が多く、それを好んで自我を投射しているようじゃ。
 思考が自分という認識があるのじゃろう。

 思考の遊戯に陥らないように注意するのじゃ。
 思考も真実を明らかにするためならば、道具として使うのも良いのじゃ。
 しかし、不要な思考を延々と続けるのは、遊んでいるのと同じなのじゃ。
 そのような遊戯に気付いたならば、そこで止めるが良いのじゃ。
 それこそが本当の制御といえるのじゃ。
 
2014-05-12 月 19:19:48 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
願いは叶うとのことですが、
フサフサになることはできますか?
どうすればよいのでしょうか??
2014-05-28 水 00:43:42 | URL | ふさふさ [編集]
Re: タイトルなし
 ふさふさ

 頭が薄くなるのは根本的に体が弱り、特に腎臓などが弱っているからなのじや。
 ヨーガや気功などをして健康になり腎臓を強化したらよいのじゃ。
 ゴマとか海藻なども多く食べると良いと言うのじゃ。
 首の運動や頭皮のマッサージなどもすると良いのじゃ。
 自分に出来ると信念を持ってやれば、実現できるまでやれるじゃろう。
 実行してみるのじゃ。
2014-05-31 土 12:34:03 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2014-06-03 火 19:57:12 | | [編集]
Re: 相談です
とらちゃん

 苦は社会や他人のせいではなく、自分の心の中にあるものじゃ。
 自分の心の中に苦があるから全てが苦にみえるのじゃ。
 例えば黄色い眼鏡をかければ世界は黄色に見え、赤い眼鏡をかければ世界が赤く見えるようにのう。
 
 人の認識は記憶に依存している故に、そのような苦が今あるだけでなく、これからも続くと思えるのじゃ。
 過去の苦を未来にも投射してしまうのじゃ。
 心に苦がある限り死んでも同じじゃろう。

 今苦を滅するしかないのじゃ。
 そのような苦の原因を探してみるのじゃ。
 過去の虐待の記憶とか、未だに執着している事とかそのような原因を探すのじゃ。
 それがわかったらその原因から今の苦があり、その原因が無ければ苦も無いと心の中に観察するのじゃ。

 何度も観察すれば苦は消えるじゃろう。
 一つの小さな苦を消した事でも世界は変わって見えるじゃろう。
 もっと楽になり、その楽なままこれから生きて行けると知れるのじゃ。
 更にもっと多くの苦を消す事も出来るとわかっていれば、希望も生まれるのじゃ。

 全ての苦が心から起こるように、全ての喜びも心から起こるものじゃ。
 心に苦があればどれほどの大金や名声や権力や理想の異性などが在っても、仏陀の荘園に居てもやはり苦しいだけなのじゃ。
 心に苦がなければ何一つ無くても日々安楽であり、喜びがあるのじゃ。
 これから心を観察して苦を除き、心を整えて喜びを知り限られた命を安楽に過ごすと良いのじゃ。

 
2014-06-04 水 22:12:26 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2014-06-05 木 01:34:13 | | [編集]
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2014-06-05 木 13:08:53 | | [編集]
Re: 連投です
とらちゃん

 そうじゃ、実践してみるのじゃ。
 苦に遭って、苦を滅した者こそ本当の安らぎへの道を知る事が出来るのじゃ。
 またおいでなさい。
2014-06-26 木 19:33:01 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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