投稿日:2023-08-02 Wed
不安は人が心に持つ苦の一つと言えるのじゃ。不安によって人は日々苦しんだりしているのじゃ。
人によっては不安が強くなりすぎて、死んだり、心の病になったりすることさえあるのじゃ。
そのような不安もよく観察することで、滅することができるのじゃ。
不安がなくなれば、少しは生き易くなる者もいるじゃろう。
生きていく苦を少しでも減らすために不安を正しく観察して、滅するべきなのじゃ。
わしが観た所、不安とは今の苦や、過去の苦を未来に当てはめる不完全な予測なのじゃ。
たとえば今、病で苦しいとすれば、これから先もずっとこの病で苦しいのではないかと、悩み苦しむのじゃ。
あるいは過去に車に轢かれたりして痛い目にあったとすると、また車に轢かれたりするのではないかと、悩んで外に出るのが怖くなったりするのじゃ。
そのように過去や今の苦を未来に予測して、苦にする心の働きが不安なのじゃ。
それは苦だけを予測するから不完全な予測なのじゃ。
今の病や過去の苦も、いつまでも、何度もあるというものではないのじゃ。
それなのに苦だけを予測してしまうのであるから、不完全なものなのじゃ。
そのような心の働きは、本来は未来の苦を避けるためのものなのじゃ。
しかし認識が記憶に依存しているから、自分ではそれを止められず、苦になるのじゃ。
苦を避けるための心の働きが、記憶により新たな苦を作り出す働きになってしまっているのじゃ。
心に不安が湧いてきたら、それを正しく観察してみるのじゃ。
今自分は苦を未来に予測していると、心の働きをありのままに見るのじゃ。
そうすれば不安は滅するじゃろう。
ただそれだけで不安は消えていくのじゃ。
さらにその予測を良いものに変えてみるのじゃ。
病があれば健康になった未来を予測し、過去の苦ならばそれがない未来を予測してみるのじゃ。
その時、心に不安はないじゃろう。
そのように実践して不安の原因が心にない時には、不安がないことを観察するのじゃ。
そのように何度も観察すれば、不安は何度も滅するのじゃ。
そうすれば不安とは何の力もない、観念遊戯であるとわかるのじゃ。
想念によって遊んでいただけと、理解できるのじゃ。
不安が心に湧いてくる度に、そのように正しく観察して滅していくのじゃ。
そうすれば不安はいつでも滅することができるとわかるのじゃ。
ただの観念遊戯によって、心を苦しめないようにするのじゃ。
不安をすべて滅して、不安のない生活をするとよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
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2023-08-02 水 23:32:58 |
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名無し
ご苦労さんなのじゃ。
直して置いたのじゃ。
さらに頼むのじゃ。
2023-08-03 木 22:21:06 |
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鬼和尚天空
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2023-08-20 日 11:54:21 |
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2023-08-20 日 12:49:22 |
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mskm
善い事じゃ。
不安を厭離することができたのじゃ。
さらにいろいろな苦を滅することもできるじゃろう。
精進あるのみなのじゃ。
2023-08-20 日 22:42:15 |
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鬼和尚天空
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mskm
わしもよくわからんが指示されればそうするじゃろう。
志があれば金額はすくなくてよいのじゃ。
心が大事なのじゃ。
2023-08-20 日 22:43:59 |
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鬼和尚天空
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