■プロフィール

鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
FC2ブログへようこそ!

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2カウンター

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
分のしたこととしなかったこととだけを見よ
 「ダンマパダ」法句経には、このような言葉がある。

 50 他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ。

 なかなか味わい深い言葉じゃ。
 この言葉はどんな時にも、自分を観察する事の大切さを教えてくれる。

 殆どの人は、自分の事はさておき、他人があれをした、これをしてくれないと、他人のあら捜しばかりしておるものじゃ。
 それはわしとて例外ではない。
 ここで人があまりおかしな事を書いてあると、つい、教えてやりたくなってしまうものじゃ。
 そんな時はこの言葉を思い出すのじゃ。
 他人の過失を見るなかれ・・と。

 どんな時も、常に自分を、自分のした事を、そして、しなかった事だけを、見つめる事が正しいのだと、この言葉が教えてくれる。

 他人の過失を非難していれば、気分がいいというのは、誰にもあるじゃろう。
 しかし、それは大抵は攻撃欲を満足させる我欲であり、拳の変わりに言葉などを使っている暴力に過ぎない事も多いものじゃ。

 他人が本当に間違っている時もあるじゃろう
 そのような時も、まずそれが現在の状況で正すべきか、自分にそれを正す資格と、能力があるか、問う事が大事じゃと、言えるじゃろう。
 日常でも常に自分を、自分のした事を見つめ続けていれば、修行に入った時も、速やかに自分を観る事が出来るじゃろう。

 そして、生活する上でも常に他人への過度の干渉を止め、自らはつつしんでいれば、トラブルや憂い悩む事は少なくなるじゃろう。
 誰かの言葉や動作で頭にきた時、自分がきれてしまった時なども、この言葉を思い出すだけで、直ぐに冷静になれるじゃろう。

 常に自分を観るという事の重要さを、この言葉は教えてくれる。
 真の導師は常に人に対して、自分に眼を向けさせようとしておる。
 それが世に生きる人間には、最も重要な事だからじゃ。
 悟りを得る為にも、日常で生きる為にも、常に自分を観ていれば、間違いはなく、常に正しい道を進んでいける故に。

 この言葉はダンマパダで一番重要な言葉だと、言った者も居る。
 確かにその通りかもしれん。
わしも常に頭に入れて、置こうと思って居る。
スポンサーサイト


テーマ:こころ - ジャンル:心と身体

ダンマパダ(法句経)解説 | 20:50:17 | Trackback(0) | Comments(7)
コメント
これから嫌な目に合うなぁ……と思って不安になったりするが、
それはその出来事の行為に対して不安になるのではなく、
その出来事の行為は悪魔で引き金であって、
本来は水の底に沈殿した泥という不安の元を巻き上げる事により、
人は不安になると言う事を今日は観ました。
何かしらの行為だけでは人は恐怖や不安に苛まれる事は無いのでしょう。
恐怖や不安の元を取り除く事が大事なのだと思いました。
2008-09-28 日 01:18:58 | URL | 熊 [編集]
その通りじゃ。
すべての不安や恐怖は心の中からやってくる。
それらから自由になるには、心の中を観察せねばならない。
心の根を刈り取れば、煩悩は消え去ると経にもあるように、心の中にはびこる不安や恐怖を除く事が、修行と言えるじゃろう。
2008-09-30 火 19:58:14 | URL | 鬼和尚 [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2008-10-15 水 00:28:00 | | [編集]
現代の日本人も西洋的な教育を受けている故に、西洋人の書いたものの方が、判りやすく感じるのじゃろう。

東洋的な教育は、師匠の言う事を頭から信じて、全てを丸暗記させ、修行が完成した後に、その言葉の意味が判る。
西洋では一つ一つの原理から解き明かし、一つの修行を行えばこうなるとか、そこから教えていく。
どちらも良いところがあり、悪いところがある。

2008-10-17 金 11:35:36 | URL | 鬼和尚 [編集]
思考やそこから連想される感情を思い浮かべずに、あるがままに見ていて
四六時中思い浮かべている雑念や心の中のおしゃべりなどは、
意識のうちのほんの一部分(もしくは意識に寄生している?)
でしかないと見えました。
こいつの支配を完全に抜けて無限の意識が中心に来れば、
どんなに素晴らしいか。
う~ん。もうちょいですね。

それとエックハルト・トール著作のニューアースという本を読んだのですが、
鬼和尚さんの言っている事と同じ事を言っています。
われわれが自我と呼んでいるものを、
エゴとペインボディと言う二つのカテゴリーに分けて説明してあったりして、
なるほどと感心しました。
この著者もどうやら目覚めている人みたいです。
2008-11-02 日 23:15:01 | URL | 熊 [編集]
そうじゃ、阿頼耶識の中に囚われている意識は、ほんの一部でしかない。
もっと大きな意識があるのじゃ。

エックハルトの本は、なかなか面白そうな本じゃのう。
今度読んでみるのじゃ。
2008-11-06 木 21:27:37 | URL | 鬼和尚 [編集]
よろしくお願いします
自分だけを観る
他人のことを見れば
心はそこに流されて
自分の中は不在となってしまう
不在とはいっても、そこには自我がいる
その自我を野放しにする状態が
他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな
ということなんでしょうね

心の中心がずれてしまう

それをさらに厭離することが
阿頼耶識を超え大悟徹底するというでしょうか。
2010-04-09 金 09:24:44 | URL | sei [編集]
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad