■プロフィール

鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
FC2ブログへようこそ!

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2カウンター

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
100%の死
今日は死について話すのじゃ。

 例えば現代の医学では100%助からないと、宣告された者がいるとしよう。
 その者の前にある人がきて、この薬を飲めば50%の確率で助かるかもしれないと、言ったならどうするじゃろうか。
 恐らく多くの者はどうせ100%助からないのなら、怪しい薬でも飲んでみようと想うじゃろう。
 それがあるいは10%とか0.1%とかの低い確率でも、やはり何人かは飲むじゃろう。

 死を宣告された者と同じように今、生きている者も全て100%の確率で死んでいく。
 ただの一人も例外は無い。
 わしも死ぬ。
 この言葉を読む全ての者もやはり死ぬじゃろう。
 それは100%の確率で決められている。

 ただ時期が判らない故に、誰もが忘れようとして、本当に忘れてしまうのじゃ。
 賢い者だけがやがて100%の確率で死ぬ事を知り、唯一の不死の境地に辿りつこうと修行するのじゃ。
 それは50%か、あるいは10%か、もしくは0.1%位の低い確率でしか着けないかもしれない。
 しかし、100%の確率で死ぬ人間にとっては、それでも選ぶ価値のあるものじゃろう。  
 

 自分が死ぬという事、100%確実に死ぬという事をわきまえた時から、真の修行が始まるのじゃ。
 人は自分の死を認めなければ、現実を観る事が出来ず、いつまでも観念の遊戯を繰り返すばかりじゃ。
 死に行く人間がそれをわきまえず、何を語り、何を取り繕うとも、それは現実から離れている夢幻のようなものじゃ。

 お釈迦様も四門を出て老病死に苦しむ人間の姿を知り、世を捨てる決意ワされたように、避ける事の出来ない現実を知って、はじめて人は悟りを得ようと正しく想うじゃろう。
 人間には老病死という限界がある。
 それが正しく現実の姿なのじゃ。
 どれほど高尚な事を語ろうと、人はこれらの現実に屈服し、やがて屍を晒す。
 それは全ての生き物、動物や昆虫などとも変わりは無い。
 老病死がある限り、人間も又無力な生物の一つに過ぎないのじゃ。

 ただ人間にはこの世から出離する道が残されておる。
 それが修行して悟りを得る道なのじゃ。
 人間だけが修行して老病死を超える事が出来る。
 それは僅かな可能性かも知れないが、100%確実な死より、遥かに大きなものなのじゃ。
 修行を続ければ、それは次第に大きな可能性になっていくじゃろう。
 そして、不死の境地に辿り着けば、100%の死の確率を覆す事が出来たと知るじゃろう。
スポンサーサイト


テーマ:悟り。 - ジャンル:心と身体

元気が出る説法 | 11:41:19 | Trackback(0) | Comments(4)
コメント
お願いします
> 賢い者だけがやがて100%の確率で死ぬ事を知り、唯一の不死の境地に辿りつこうと修行するのじゃ

僕は皆が死ぬんだったら、それでもいいと思っています
でもここで言うその境地は肉体を持たない魂が天国に行けるというような
ことだと素人ながらに勝手に思っています
賢いものは不死の境地を目指します
けれども、優しいものは皆と一緒に死ぬほうを選びそうな気がします
けど、その優しさは怖れを含んでいるのか?
心を観ると
皆を楽しませたい、笑顔が見たい
なぜ?
そうしたいのか?
それが好きだから・・・
名声欲?
違う。

そもそも皆と死んで
皆が喜んでくれるのか?
僕だったら、愛する人には
悟りの道を歩んで欲しいと思う
そうなると
不死の境地を目指すことに繋がる
賢いものは、優しいものでもありますね・・

こんな自己的な解釈を和尚様はどう思われますか?
2010-04-09 金 10:21:02 | URL | sei [編集]
良い事じゃ。
愛する者にも安楽を得させたいと思うのは菩薩の心と言えよう。
 
2010-04-11 日 20:50:50 | URL | 鬼和尚 [編集]
多くの質問に答えて頂いきまして、とても嬉しいです。
これからも和尚様のお言葉を観て、日々心を観察していきます。
   
  ☆ありがとうございます☆
2010-04-12 月 01:16:01 | URL | sei [編集]
  どういたしまして、またおいでなさい。
2010-04-16 金 13:48:52 | URL | 鬼和尚 [編集]
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad