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鬼和尚天空

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苦滅の理論Ⅱ
 観察と知識は違うものじゃ。
 観察とは、知識を得るためにするものではない。
 知識を得ても苦が滅しない限り、観察を続けなければならんのじゃ。

 例えば昔、お釈迦様が居た頃にキサーゴータミーという母親が息子を無くしたそうじゃ。
 キサーゴータミーはお釈迦様に生き返らせてくれと頼んだ。
 するとお釈迦様は、
 「この子を生き返らせるには、今まで死者の出た事の無い家から貰った水が必要だ」
 と、言われた。
 そこでキサーゴータミーは家々を周って、聞いてみたが、どの家も死んだ人が居ると答えるばかりじゃった。
 とうとう死者の無い家は見つからなかった。
 しかし、キサーゴータミーの苦は消えておったという。
 やがてキサーゴータミーは、出家して尼になったそうじゃ。

 キサーゴータミーも人は死ぬものであり、死んだ者は生き返らないと知ってはいたじゃろう。
 どのように苦しんでも無駄とわかっていても、知識では苦は去らない。
 繰り返し観察する事によって、苦は始めて滅するのじゃ。

 この話は観察によって苦が無くなる過程を良く表しておる。
 お釈迦様は子供が生き返らないと知って居ったが、キサーゴータミーの苦を無くすために死者の無い家を探し回らせ、他人の苦を観察させたのじゃ。
 修行者ならば修行によって得た集中力で、己の苦を観察できたじゃろう。
 しかし、そのような力の無いキサーゴータミーの為に、方便を使って他人の苦を観察させるようにしたのじゃ。

 このように愛する者を無くした苦は、愛別離苦と呼ばれるものじゃ。
 愛する者を無くし、その悲しみが何度も繰り返し起こり、自分では止められない、恐ろしい苦じゃ。
  

 現代でも癌やうつ病などの病気になる者は、近親者が死んだりした者に多いと言う。
 無くなった愛する者の残した着物を見たり、同じような年頃の者を見たりするたびに、苦しみは繰り返し起こったじゃろう。
 そして過去にこのようにして置けば良かったとか、今ここに居ればどんなに良いだろうかとか、思うたびに苦は増大していく。
 悲しみ自体は自然な反応であり、苦ではないが、それが記憶による認識の不備により、何度も繰り返し起こり、止められず、増大していく事が苦になるのじゃ。
 
 そのような苦も、縁によって起こり、苦に終わる結果を観察されれば消え行く。
 キサーゴータミーが家々を廻り、死者はないかと聞けば、それによって家の者に苦が起こる事もあったじゃろう。
 そのように聞くと言う縁によって、悲しみが起こり、苦しむ家の人の姿を見る事によって、己の苦もこのようなものであると、全体を観察する事が出来た。
 そして苦は客観化され、己との同一化が解消され、滅して行ったのじゃ。

 このように他人の苦を観察する事によっても、苦は無くなる。
 しかし、そう都合よく己と同じ苦を抱える者が近くに居るはずもない故に、己を観察する以外に無いものじゃ。
 

 苦が縁によって起こる所を、因によって生じる事を、結果として苦がはびこり、逃避や隠すという行為が起こる事を、全て観察すれば、必ず苦は消える。
 そして全ての苦が拠って起こる因である、己と言うものが観察できたならば、全ての苦が消える悟りを得る事も出来る。
 それまで実践あるのみじゃ。
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苦滅の道理論 | 20:57:29 | Trackback(0) | Comments(0)
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