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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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鬼和尚の人生相談室
 悩みがある者はコメントに相談事を書くが良い。
 他人に知られたくないものは管理者にだけ表示を許可する という所にチェックを入れるが良かろう。
 ただし金は無い。
 スパム対策にコメント承認をしているから、直ぐには表示はされないが、承認後に表示されるのじゃ。
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人生相談 | 19:30:55 | Trackback(0) | Comments(509)
コメント
2ちゃんでご意見拝聴しているものです お釈迦さまは 生は一切が苦である よって悟りを得なければ輪廻転生により また苦をあじわうことのなる とおっしゃいました 和尚さまも 2ちゃんでの多くの方への返信の中で 良い行いをすれば来世は良いことになると輪廻転生を肯定されておられましたが 私は その輪廻転生が ひっかかりまして未だにスタート地点に立つことができません 他の宗教において絶対神の存在を信じなければ その宗教に入っていけないのと同様に仏教においても輪廻を信じなければならない ものなのでしょうか? そうであるとすれば 他の宗教とかわらないとおもいますが   もし 輪廻が実在しないのであれば悟りを得る事の必要性じたいがなくなってしまいます 苦をなくす一番早い方法は自殺ということになってしまいますから  ある人のおっしゃることには 悟ればわかる ということですが これは ある意味大変危険で悟りを得るため一生を修行についやして その結果やっぱり輪廻はなかったでは どうしようもありません 2ちゃんでは みなさん それぞれの分野をよく勉強しているのは わかるのですが 単に言葉のあげあしとりや言葉遊びに終始しているみたいで よくわかりません やはり輪廻転生は信仰するしかないもので その実在は証明不可能なものなのでしょうか?お釈迦さまも魂の存在については無記でしたが そこはただ信じるしか ないのでしょううか?
長々と駄文で愚かな事をお聞きしましたが なにとぞ ご指導賜りたく コメントさせてもらいました
2007-12-22 土 03:03:21 | URL | 愚者 [編集]
 わしも長々と輪廻については書いたが、本当は別に信仰しなくても良い。かと言って無いと考えるのも早計じゃ。
 人の認識は過去の知識や経験からのみ、認識するものを作り上げている故に、普通の人間が未知の輪廻の有無を確認、検証することは不可能なのじゃ。

 輪廻の有無は一時脇に置き、無常という観点から考えて見るが良かろう。
 この世のものは一切が変化し続け、無常なのであるから、おぬしが自殺して輪廻というものが無くとも、いつかはおぬしが再び苦を受ける存在になり得るのではなかろうか。

 悟りを得るのに一生を費やすという事は、他の者が説く道ではあるかも知れないが、わしが再興したお釈迦様の教えでは、それほどかかる事は無い。
 このブログにも書いてある止観の道を正しく、努力を怠らず、修めるなら、三年にして効果はあるじゃろう。 
2007-12-22 土 21:45:49 | URL | 鬼和尚 [編集]
ご指導ありがとうございます また 疑問がおこりましたら お聞きしにまいりますので宜しくお願いいたします
2007-12-23 日 00:41:45 | URL | 愚者 [編集]
どういたしまして、又おいでなさい。
2007-12-24 月 13:18:10 | URL | 鬼和尚 [編集]
一切皆苦について。
2ちゃんでこちらのブログを知り、訪問させていただきました。さっそく質問させていただきます。仏陀は「一切皆苦」を教えの根本原理に置いたようですが、これがよくわかりません。いわゆる「世の中、楽しいこともあれば、苦しいこともある」という言の方がよほど多くの人々に共感されるかと思われるのですが、あえて仏陀が「一切皆苦」と言ったのはどんな意味があるのでしょうか。
2008-01-17 木 20:16:16 | URL | 凡人6号 [編集]
 それは衆生を教え、導くためなのじゃ。
 世の中には楽しいこともあれば、苦しいこともあると言ったのでは、人々は苦しいことには目をつむり、楽しいことだけを望んで、いつまでも修行しようとはしないじゃろう。
 この世の一切が苦であると教える事により、世の楽しみばかりを求める者も世を捨てて、修行の道に入るじゃろう。

 実際に世の中に在る楽しいことは、無常の法則により、苦に変化してしまうものじゃ。
 お金や名声、権力などを一生かかって求めても、ついには死によって捨てなければならない。
 苦労して得たものが大きいほど、捨て去らねばならない苦も大きくなる。

 例えば道端で偶然拾った⑩円なら、無くしてもそれほど苦しくは無い。
 しかし、一生苦労して得た金を捨てなければならない時、多くの者は自分の一生は何だったのかと、大きな苦を感じるじゃろう。

 このように世の楽しみは、大きければ大きいほど苦も大きくなるという、苦と裏表の関係なのじゃ。
 世の中には苦が充ちており、楽しい事もついには苦に変化してしまう。  それ故にお釈迦様は一切が皆苦であると教えられたのじゃ。
2008-01-17 木 22:41:19 | URL | 鬼和尚 [編集]
 なるほど。確かに「苦もありゃ楽もあり」だと、人の心は楽の方に向くことはあれ、苦の方に向くことはまずありません。その行き着く先は、結局現世利益的な「成功哲学」や「金持ち父さん」でしょう。
 そして、いくら「金持ち父さん」になったところで、老・病・死は避けられなく、生はそれにおびえるものにならざるを得ない。それは結局、「苦」に裏打ちされた「楽」であり、悟りや解脱、大安心といった本物の「充足」の境地からはほど遠い。
 だから仏陀は、「一切皆苦」を方便として用いることにした。「苦」と表裏一体になった「楽」ではなく、正に「楽」そのものへと人々を導くために、あえて「苦」のみを強調したスローガンを打ち出した。
 和尚の素晴しい説明のおかげで、私はこのような理解を得ることができました。忙しい中お答えを与えていただき、まことにありがとうございました。また何かありましたら質問致しますので、よろしくお願いします。 
2008-01-18 金 01:05:48 | URL | 凡人6号 [編集]
どういたしまして、又おいでなさい。
2008-01-19 土 22:08:44 | URL | 鬼和尚 [編集]
はじめまして
鬼和尚様

自分なりに求め続けて来た者です。検索中に入り込み、拝見させていただいて深く感じ入りました。
もっとも、だからといって、それでただちに自分がどうこうなるというものでもございません。
ちょうど、1年程前から立ち上げた私のブログがございます。
辛口といいますか、手短にそのものズバリで結構なのですが、私の現状での問題点を御指導戴けないものかと思い、投稿致しました。
可能でしたら、宜しくお願い申し上げます。

平成20年2月17日 西方法界(Web 上の仮名・在家)

http://hokkai53.cocolog-nifty.com/blog/
2008-02-17 日 15:19:01 | URL | 西方法界 [編集]
 うむ、おぬしのブログを見せて貰った。
 おぬしの問題は、問題を自分で作り出している所じゃ。
 本来、問題の無い所に問題を作りだし、それを延々と思考する事で、おぬしは自我を保っているようじゃ。
 既に思索が終わり、結論が出た筈の事にさえ、おぬしは再び疑いの目を向け、思考し続けようとする。
 重要なのは真実でも、結論でもなく、思考し続ける事になってしまっておる。

 思考が為されている限り、おぬしは自我を思考に投射し続ける事が出来る故に、自分で問題を作りだし、結論した事を改めて懐疑し、真実を求めているという理由をつけて思考し続け様としている。

 悟りを求めるならば、思考は必要ではない。
 ただ集中し、自らの心を観察するだけでよい。
 人にとって時間は永遠に在る訳ではない。
 おぬしは決めなければならない。
 このまま自我に思考と言うエサを与え、養い続けるのか。
 それとも悟りを求めて修行に入るのか。
 二つの道を同時に行く事は出来ない。
 未だ時間のあるうちに、決心しなければならんのじゃ。
2008-02-26 火 19:59:36 | URL | 鬼和尚 [編集]
ありがとうございました。

鬼和尚様

  たいへん、御面倒をおかけ致しました。
しかし、なかなか自分自身でははっきり捉えがたいことを御教示いただき、感謝申しあげます。
こちらのブログと併せて、今後の有り様を工夫(?ここが問題ですか)してまいります。
  今後も宜しくお願い申し上げます。

平成20年2月28日  西方法界
2008-02-28 木 23:25:27 | URL | 西方法界 [編集]
どういたしまして、又おいでなさい。 
2008-02-29 金 10:21:44 | URL | 鬼和尚 [編集]
質問させてください
はじめまして。更新をこまめに確認しては勉強させていただいております。
本当は弟子入りして直接指導して頂きたいくらいなのですが、
鬼和尚様はそのようなことは一切考えられていませんでしょうか?
とりあえずここで何点か質問させていただきたく存じます。

和尚様は金剛経を読まれて悟られたとのことですが、これは偶然、あるいは和尚様生来の縁によって悟られたのでしょうか?それともこのブログで示してくださっているような修行法を長い間実際に実践されていて、機が熟していたのでたまたま金剛経をきっかけにして悟ることができたのでしょうか?
鬼和尚様は悟られたそのとき要因として何が最も決定的に作用したと考えられていますでしょうか?和尚様がそれまでに実際に行われていた修行法や直接的なきっかけとなった文句など何かございましたら、詳しく教えていただきたく存じます。

修行には階梯があるのでしょうか?本ブログでも数息観や縁起の法などたくさん修行法を紹介してくださっていますが、これらは必ずしも悟るためにすべて行う必要があるというものではなく、おそらく修行者とのある種の相性のようなものもあると思うのですが、これから修行を始めて本気で悟りを目指す修行者にとって和尚様が最も重要で効果的で欠かせないと考えられている修行法は何でしょうか?それとも万人に必須の修行法といったものはなく、やはり実際には人それぞれに修行法にも向き不向きがあるのでしょうか?
またその際の修行の順序や次の段階に進むための目安などについて教えていただきたく存じます。
正直あまりに多くの修行法を行うよりも、何か一つかせいぜい二つくらいの方法に徹底的に習熟すればそれで悟れるならその方が早そうでいいななどと考えてしまうのですが、そういった方法はないものでしょうか?それよりもかえっていくつかの方法で少しずつ必要なものを満たしていった方が効果的でしょうか?

また、毎日特別に時間を設けて行うものとは別に、何か毎日の生活の中で常に気をつけておくべきことや心がけることなどございますでしょうか?

とにかく気になっていたことを一度に質問してしまい誠に恐縮ではございますが、
可能な範囲でのご回答何卒よろしくお願い申し上げます。
2008-03-29 土 06:00:42 | URL | 乞食 [編集]
 わしは今の所、世に出る事はないが、いずれ時期がくれば人々に直接指導するじゃろう。
 
 わしが金剛経を読んで悟ったのは機が熟していた事もあり、偶然でもある。
 両方の要因があって悟りを得られたのじゃ。

 最も決定的なのは死への恐怖というものが、あったからじゃ。死というものを超える道は、ただ一つしか無かった故に、悟りを得る以外に無いと見極められたのじゃ。
 
 わしは数息観を行い、自分とは何かいつも考えておった。そして、この世の全ては空と観じていた。
 そのようであった時に、金剛経の中に在る「個人(プトガラ)と言う思いがあるのは、菩薩ではない」という文句に接して、自分が今まで自分を個人として認識していた事を知った。
 そして観照が起こったのじゃ。

 修行には階梯があるといえばあるが、それらはあまり言っても意味が無いものじゃ。
 お釈迦様は悟りを得た阿羅漢までの間に幾つかの段階を設けたが、自分はどこまで行ったと油断や慢心してしまうものもあるじゃろう。
 完全な悟りを得るまで、段階は追わぬ方が良かろう。

 人には向き不向きがあるが、一番重要なのはやはり止観の瞑想じゃ。
 心を止める集中の数息観と、心を観察する瞑想が最も重要である。
 毎日、行う瞑想はこの二つだけでも良い。
 自分が向かないと判った時も、集中力を養っていれば、他の瞑想を始めた時も、直ぐに深くまで入れるじゃろう。

 毎日の生活では、常に自分の心身を注意深く観察し、心に嘘をつかない事が大事じゃ。
  仕事の上で嘘をつかねばならなかった時や、恥ずかしい体験をした時も、心の中では自分は仕事の為に嘘をついた、恥ずかしい事をした、と素直に認めて、批判も肯定もしない。
 そのように心に嘘をつかず、心に陰を作らないようにすれば、己の心を真っ直ぐに見る事が出来る。
 修行の道は厳しいが、毎日行う者だけが、毎日進む事が出来るのじゃ。
 
2008-03-30 日 20:16:59 | URL | 鬼和尚 [編集]
ご回答ありがとうございました
ご親切なご回答誠にありがとうございました。ご回答を励みに修行しようと思います。

その上でもう一点質問させていただきたいのですが、
>心を止める集中の数息観と、心を観察する瞑想が最も重要である。
>毎日、行う瞑想はこの二つだけでも良い。
とのことですが、この二つというのはそれぞれ別々の瞑想として別々に行うのでしょうか?
それとも数息観をしながら心の観察も同時に行うのでしょうか?
観の行の項目などで自分の身体(手のひら)を観察する練習を教えていただきましたが、
心を観察する瞑想というのは具体的にはどのようなものでしょうか?

ご回答何卒よろしくお願い申し上げます。
2008-04-01 火 12:34:25 | URL | 乞食 [編集]
 数息観と観察は別々に修行した方が良い。
 数息観をしている時は数息観をしている、観察をしている時には観察をしていると、自分で把握して置くのが大事じゃ。
 自分がどの瞑想を行っているのか、ちゃんと理解していれば、心が乱れた時も数息観を行って、静める事が出来る。
 数息観を行った後に観察を行えば、心が集中して楽に出来るじゃろう。

 普通の者にとって、心を観察するのは難しいかもしれない。
 それというのも人は感情や思考などの心の動きに、自我を投射する故に、それらに巻きこまれてしまうからじゃ。
 しかし、外のものや、体の観察を毎日しっかりやっていれば、観察する意識が出来あがる。
 その観察の意識が途切れないようになれば、思考や感情が起こったときにも、巻きこまれないで、観察する事ができるようになる。
 そして、それらが自分ではなく、自分のものでもないと、知る事ができるようになるじゃろう。
 まずは基本である外の物や体の観察を、しっかりやっておく事じゃ。
2008-04-01 火 21:18:24 | URL | 鬼和尚 [編集]
ありがとうございました
ご丁寧なご回答くださいまして誠にありがとうございました。
頂いたご回答を日々の指針として毎日少しでも時間をとって瞑想してみようと思います。
また何か疑問の出てきた際には質問させていただくことがあるかと存じますが、よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。
2008-04-02 水 16:06:56 | URL | 乞食 [編集]
どういたしまして、又おいでなさい。
2008-04-02 水 20:05:59 | URL | 鬼和尚 [編集]
鬼和尚さん、質問があります。もしよろしければご回答されたく存じます。
最近、座禅を開始してしばらくすると、呼吸している自分を外から見ているような
不思議な感覚を経験をすることがあります。また同時に雑念が妙にはっきりして
苦労します。正しく座禅できているのでしょうか?
2008-04-30 水 13:52:00 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
 基本的に、瞑想をしている時にはいろいろと不思議な現象が起きたりするが、囚われない事が大事じゃ。
 特に初心の頃より、集中力がついて来る頃になると、さまざまな現象が起きたり、無意識に起こしたりするようになる。

 意識は肉体に制限されるものでは無い故に、肉体を離れた意識が感知されても、特に不思議は無い。
 何が起きてもそういうものだと、平常心でやり過ごすのじゃ。
 雑念もそれが悪いものだと思わずに、面白いものと思って眺めるくらいが丁度良い。
 眺めているうちに、それらは消えていくじゃろう。
 それらは正しく瞑想が出来て、集中力がついてきた証拠でもある。
 そしてそのような事が起こらないからと言って、修行が正しくないという事も無い。
 それらの現象に囚われず、姿勢にだけ気をつけて、修行を続けて行くのが良いのじゃ。
2008-04-30 水 22:50:49 | URL | 鬼和尚 [編集]
ありがとうございました。姿勢に気をつけます。
2008-05-01 木 11:18:08 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
どういたしまして、又おいでなさい。
2008-05-01 木 12:51:28 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2008-09-25 木 00:05:57 | | [編集]
縁があればいつかあえるじゃろう。
急ぐ必要は無い。
目覚めた者は常に心の中に居る。
そこに辿り付けば、わしにもあった事になるじゃろう。
2008-09-30 火 19:52:08 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2009-01-03 土 18:01:56 | | [編集]
自分が大事じゃ。
おぬしのやり方で良いのじゃ。
他人との付き合いは、少し距離を置く位が丁度良いものじゃ。

人間は生きていく上で多少とも妄想を必要とする。
それが慰安となる者には、必要なものじゃ。

肝心なのは自分自身が修行し、成長するという事じゃ。
その為に利用出来るものはすれば良い。
時には慰安や回り道も必要かもしれん。
それらを受けながら、自ら修行し成長して事が一番大事な事なのじゃ。
2009-01-11 日 10:43:48 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2009-01-11 日 11:45:25 | | [編集]
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2009-01-11 日 11:53:08 | | [編集]
返信できているのじゃ。
 きちんと送信できているのじゃ。なかなか便利な機能じゃのう。
 又おいでなさい。
2009-01-22 木 11:25:33 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2009-02-07 土 03:42:41 | | [編集]
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2009-02-23 月 22:54:10 | | [編集]
Re: 観察をするのじゃ。
 こんにちは。
 変化を恐れるという事がわかっているなら、すでに問題はあきらかじゃ。
 変化を恐れるならば、その変化を恐れる感情がどこから来るのか、原因を追求し、観察すれば良いのじゃ。

 変化を恐れる気持ちに巻き込まれず、あくまでも観察し続ければ、やがて消えていくじゃろう。 
2009-02-25 水 14:12:15 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: 放っておくのじゃ。
 こんにちは。

 みんな愛に飢えておるのじゃろう。
 そのような者は放っておくのじゃ。
 本人が修行しなければ、人の苦はどうにもならないものじゃ。
 ただありがとうと言って放っておけばよいのじゃ。
2009-02-25 水 14:18:57 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2009-03-19 木 11:26:30 | | [編集]
この状況はなんというのですか?
はじめまして。私は閉じたt目に、光を感じ、音を聞いています。
そして、南無阿弥陀仏を黙唱しています。不思議な偶然が多いです。
超能力もあります。

 この状況はなんといわれるものですか?

 南無阿弥陀仏
2009-03-20 金 23:28:07 | URL | あみだ [編集]
仏ですか?
 私は閉じた目に光を感じ、音を聞いています。、これは真理の体感だと断定できると思うのですが、貴方様からすると、私は仏にあたりますか?超能力も私は持っています。

 南無阿弥陀仏   王法
2009-03-22 日 01:55:55 | URL | あみだ [編集]
規制なのじゃ。
 今、規制中だから書かないだけじゃ。
 わしは本当はあまり喋らないのじゃ。
 教えるためにいろいろと書くがのう。

 想いが多くなれば苦も多くなるものじゃ。
 それは過去に執着する行為だからじゃ。

 身の回りを観察すれば、春になって咲き始めた花などを楽しむ事が出来るじゃろう。
 それが今、ここに居るという事じゃ。
 今、ここに居る事を楽しみにするが良かろう。
 
2009-03-23 月 12:32:20 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
雑念じゃ。
眼を閉じて見える光や聞こえる音などは、雑念の表れでしかないものじゃ。
集中力がついてくれば、それらはさらに実感できる映像や体験として感じられる。
さまざまな力も集中力によって得られる。

しかし、それに囚われれば修行はそこで終わってしまう。
それらのものがいくら集まっても、死を超える事は出来ない。
死を超えた境地は確かにあるものじゃ。
そこに至るまで雑念に囚われず、修行を続けるが良いのじゃ。
2009-03-23 月 12:39:24 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2009-03-23 月 20:38:22 | | [編集]
良かった
良かったのう。
気付きが多くなればそれだけ楽になるものじゃ。

規制中はほうっておいていいのじゃ。
みんなが坐るいい機会になるじゃろう。
2009-03-24 火 14:58:17 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2009-03-24 火 22:27:38 | | [編集]
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2009-05-01 金 03:05:05 | | [編集]
Re: 苦を観察するのじゃ。
暫くは周囲の観察を続けていても良かろう。
しかし、観察によって苦を滅する事が出来ると、確かに知ったならば、苦に囚われて逃げる必要も無くなる。 
苦を滅してこそ自由に生きる事も出来るのじゃ。
ニサルガダッタ・マハラジが私は在ると言えるのも、心の中を追求し、私でないものを滅していったからじゃ。
それは真摯な心の探求から生じた言葉じゃ。
心の探求が出来ない今、結論を出すべきではないのじゃ。

例えば苦は私であると言えるじゃろうか?
苦が私であるならば、苦が無ければ私も無くなるじゃろう。
そのような事があるならば、苦は私と言えるが、そうでないならば苦は私ではない。
私ではない苦に囚われる事も、恐れる必要も無い。
このように真摯に追求していった果てに、初めて在ると言える私が見出されるじゃろう。
2009-05-04 月 22:56:51 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2009-05-18 月 14:19:21 | | [編集]
Re: 集中力が必要じゃ
日常生活の中においても苦や自分の心を観察していくには、集中力が必要じゃ。
今は出来なくとも、集中力が身につけば仕事をしながら観察するという事も出来るようになる。
もとから人は仕事をする時でも、己の行動をコントロールするために、意識は肉体を観ている。
集中力がつければ、行動する肉体と観察する意識の両方を、観る事が出来るじやろう。

禅で「ただ行う」というのは行為に没頭し、我を捨てる修行の一つじゃ。
集中力を身につけるには全ての行いで、常に途切れる事無く集中していなければならん。
行住坐臥の生活の全てにおいて集中し続けるならば、坐禅をする時にも強く集中できるものじゃ。
そのようにして生活の全てを修行にする事が出来るのじゃ。

集中によって観察が出来るようになり、観察によって集中も強くなる。
そのようにして進んでいくのじゃ。
2009-05-19 火 20:09:42 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
悟った者は老子の説く「道」を理解できるのでしょうか?
老子を読むと道を理解することが魅力的に思えます。
しかし老子には道に至る方法論が欠けています。
鬼和尚さんが道について何か考えをお持ちなら教えて下さい。
2009-06-14 日 23:43:34 | URL | かしゃ [編集]
Re: 道もまた無じゃ。
 老子の道徳経は中国の人が書いただけに、感情的な面から入るように出来ておるのう。
 インド人が何でも論理的に考えるのとは対称的じゃな。
 感情的な部分に惹かれる者には魅力があるかもしれん。

 しかし、道もまた本来は無いものじゃ。
 ただ目標として修行させる為に、考え出されたものじゃのう。

 感情は論理よりも人の心に響くものじゃ。
 その言葉を味わいながら修行すれば、深く心の中に入っていくじゃろう。 
2009-06-16 火 20:04:46 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
鬼和尚様

今日7月20日はyahoo解禁日です。
にちゃんねるにお越しいただけませんか?
みんなお待ちしています。
2009-07-20 月 21:32:00 | URL | ななし [編集]
すぱむ対策なのか表示されないのでもう一回。

鬼和尚様
本日7月20日はyahoo解禁日です。
にちゃんねるでみなお待ちしてます。

よろしくお願いします。
2009-07-20 月 21:36:46 | URL | ななし [編集]
鬼和尚

今日は規制解禁日です。

みな待ってますよー。
2009-07-20 月 22:08:26 | URL | ななし [編集]
鬼和尚様

昨日7/20はYBB規制の解禁日でした。

皆首を長くして待っていますので、よろしくお願いいたします。

2009-07-21 火 10:40:46 | URL | ななし [編集]
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2010-01-04 月 14:11:19 | | [編集]
なによりも先ず母親の心が不動であり幸せでなければ子供も幸せにはならんものじゃ。
周りの状況に振り回されているばかりでは、いつまでたっても迷ってばかりじゃ。
周りで何が起ころうと、己の道を行く強い心が必要なのじゃ。
それがあって始めて困難な状況でも何をすれば良いのか、わかってくる。
心を落ち着ける瞑想などをすると良かろう。
そして周りの声ではなく、自らの心の声を聞くのじゃ。
そうすれば何が起こっているのか、そしてどうすれば良いのかわかるじゃろう。

子供の体に傷がつくほどの虐待があるならもはや警察に行くとよかろう。
保育所などはしばらく行かんでも良かろう。
最初にいじめにあって行きたくなくなっているようじゃ。
そのような子供にはむしろ家庭で、人との付き合い方を教えると良かろう。
言葉によって人と付き合い、コントロールできるようになれば、付き合いも面白くなってくるものじゃ。
いじめにもあわないようになるじゃろう。
2010-01-08 金 10:28:28 | URL | 鬼和尚 [編集]
異性とはどう向き合っていけばいいですか。

異性がおります。別れなければ悟れませんか?
2010-01-08 金 18:43:24 | URL | ドンマイ [編集]
普通に付き合っていて良いのじゃ。
そして心の変化を観察すればよい。
心も時間によって変化していくものじゃ。
はじめは好きだったのに次第に嫌いになったり、また好きになったりと、変化していく心の過程を観れば、執着も無くなって行くものじゃ。
執着が無くなればその時、どうすれば良いかわかるじゃろう。
2010-01-11 月 20:10:31 | URL | 鬼和尚 [編集]
ありがとうございます。

瞑想が進めば別れが訪れるということでしょうか。



釈尊が妻子にまったく執着していなかったとは

思えませんが、どうなのでしょう。



元気でいてほしいという望みは

持っておられたとおもうのですが。




自分の目の前で、子供が殺されることを

穏やかに見ていられることは、

ぼくにはできないです。



たとえば戦争になりそうになったら、

反対します。



それってぼくは平和に執着しているからです。


悟れませんか?


悟りというより、ぼくみたいな凡人は、

ある程度穏やかになれるよう努力するくらいでよいの

でしょうか。
2010-01-12 火 01:01:05 | URL | ドンマイ [編集]
全ておぬし自身が決めるのじゃ。
別れる事も別れない事も、悟る事も悟らない事も、全てはおぬしの意志によって決めるのじゃ。
時にはおぬしの意志どおりにならない事もあるじゃろう。
それも含めて己の力で出来る事を行っていくしかないものじゃ。
別れが来るなら来させる。
悟りが来るなら来させる。
それだけが行える全ての事なの゛ゃ。
2010-01-29 金 21:02:48 | URL | 鬼和尚 [編集]
はじめまして
はじめまして鬼和尚様

聖と申します...

心に愛を満たすと、物事がスムーズに流れていきます
「今」と「愛」を繋ぐと「怖れ」は消えています
「未来」や「過去」もなく
この体に、あたたかで、ほがらかな幸福感を感じます。

その状態から抜け出すと、今までどおりの怖れを感じます。
この先、おこる不遇の状況下でも
その状態に入れば心強く思いますが
身体の痛みを伴う状況下でも愛で身を満たせるのかは分かりません

私は悟ったのでしょうか・・・

という問いに

心の声は「部分的に」と申しております

お時間ございましたら、ブログを拝見して頂けると嬉しいです

失礼します
2010-01-30 土 02:02:16 | URL | [編集]
ありがとうございました。

2010-02-03 水 22:51:02 | URL | ドンマイ [編集]
おかげで気が楽になりました。ぼちぼちやります。

気づいていくことと、許していくこととは、

また全然ちがうんですか?
2010-02-05 金 22:18:36 | URL | ドンマイ [編集]
違うものじゃ。
許すことにはまだ許す己がある。
気付きは自分がやる事ではなく、やってくるものじゃ。
ただ受け入れるしかないものじゃ。
それ故に自分というものにも気付く可能性があるのじゃ。 
2010-02-08 月 20:30:55 | URL | 鬼和尚 [編集]
それは

瞬間瞬間気付きがやってくるよう訓練するっていう意味とは

また違いますか。

取り違えてますか。


何度もすいません。


最近自分の中で確固とした実感と思っていたものが、

実は妄想なんだと思えるようになりました。


ふと肩から怒りの念がウソみたいに取れる

ときなどにそう思います。


こうして普通にゆっくりしていられるだけでも、

煩悶していた時期を思い出すと、

とてもありがたいことだと感じます。


先日車に乗って音楽を聴いていると、

ふとぽろぽろと涙が出てきて、

とても幸せな気持ちになり感謝でいっぱいになりました。




次の日はまたイライラすることもありました。


あの感動も、肩からスーっと抜けていくものも

妄念なのでしょうか。


悟ったら泣かなくなるんですか?




悟りたいという気持ちがある以上は

悟れないとよく言われますが、


悟りたいです。


これからもご指導よろしくおねがいします。


2010-02-09 火 01:31:42 | URL | ドンマイ [編集]
観察を行うのが気付きを多くする修行じゃ。
そういうのも気付きと言えよう。
悟ってもまた気付きは訪れる。
喜びや楽しみが無くなる訳ではない。
ただ執着しなくなるだけなのじゃ。
執着無しに楽しめるようになるじゃろう。
2010-02-16 火 19:27:08 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-02-17 水 22:39:37 | | [編集]
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2010-02-21 日 22:10:39 | | [編集]
ユキ殿

おぬしも苦を受けているのう。
足が使えないのならいろいろと試して手でバランスを保てるようにすると良い。
両手を開いて足の上に置いたり、いろいろと工夫してみるのじゃ。
骨盤が正しく垂直に成っているかは手で触って確かめるのが良い。
呼吸については無理をせずに出来る限りの腹式呼吸でよいのじゃ。
椅子に座っていても背骨が真っ直ぐであれば良く、足の形は関係ないのじゃ。
苦が多ければ気付きも多くなるものじゃ。
頑張るのじゃ。わしがついとるぞ。
2010-02-22 月 20:35:41 | URL | 鬼和尚 [編集]
bluesky殿

慈悲の瞑想は世に在って人を人とも思わず他人を蹴落とす競争をしてきた者や幼い頃から無慈悲な者には良いものじゃ。
しかし、それが直接悟りに導くものではない。
生まれつき慈悲深い者にも要らないものじゃ。
お釈迦様は人を見て法を説いた。
人によっては要らない瞑想もあるものじゃ。
自分には慈悲が欠けていると思うならやってみると良いじゃろう。

ヴィパッサナー瞑想とは観察の事じゃ。
観察は最も重要な瞑想であり、人を直接悟りに導くものじゃ。
しかし、それ故に難しいものじゃ。
観察は考えたり、物事を思い出したりするのとは違うが、多くの者がそれを勘違いしておる。
極めて微妙なものである故に昔からの教えでさえも、判らなくなったりしておる。
特に縁起を観想しながら観察する微妙な教えは、心を操縦する集中力も必要になる故に難しいものになっておる。
じゃが一度それが出来るようになれば諸々の苦を滅し、煩悩を無くし、人を速やかに悟りに導く事の出来る優れた瞑想と言えるのじゃ。
人として生まれてこのような教えに会えるのは非常な幸運じゃ。
多くの金持ちや権力者が望んで得られなかった、不死の境地への道なのじゃから。 
2010-02-22 月 20:49:36 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-02-24 水 02:01:59 | | [編集]
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2010-02-24 水 07:48:46 | | [編集]
ユキ殿

重い荷を背負っていても、そのために坐る機会が多くなれば気付く事も多くなるじゃろう。
またおいでなさい。

Bluesky殿

観察は大事じゃがそれもまた手段に過ぎないものじゃ。
己を追及する真摯な姿勢を忘れなければ悟りはやってくるじゃろう。
またおいでなさい。
2010-02-25 木 20:05:02 | URL | 鬼和尚 [編集]
こんにちは
言葉とイメージは思考から産まれる同種のものでしょうか?
2010-04-01 木 09:43:32 | URL | sei [編集]
 言葉とイメージは記憶によって維持されるという点では同種といっていいじやろう。
 両方とも知覚によって認識され、記憶の対象となる。
 両方とも同じように記憶に依存した認識を支えるものと言えるのじゃ。
2010-04-06 火 19:52:01 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
鬼和尚天空 と 鬼和尚 と 小鬼ちゃん
は同じ方ですか?
2010-04-08 木 08:57:12 | URL | sei [編集]
鬼和尚天空と鬼和尚はわしじゃ。
小鬼ちゃんはわしではないのじゃ。
2010-04-11 日 20:46:06 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-04-13 火 14:55:05 | | [編集]
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2010-04-13 火 20:38:39 | | [編集]
鬼和尚様こんばんは。昨日秘コメで2度書き込んだ者です。
あのままでは鬼和尚様にご迷惑がかかると思い今回は表示モードで書き込みます。
私は他の方の2ちゃんねるの書き込みに影響された事もあり小鬼ちゃんの素性を鬼和尚様に尋ねました。それに対し鬼和尚様は避難所スレに「悟りを得た者が説けば天人や菩薩が助けにくるのじゃ。そのような世界を仏国土というのじゃ。」と書き込まれました。私は自分の予想に近い回答に大変納得し質問した事を少し後悔もしました。今またこのような事を書き込む事も心苦しいですが書かせていただきました。度々失礼致しました。
2010-04-14 水 20:03:54 | URL | 一読者 [編集]
許すのじゃ。またおいでなさい。
2010-04-16 金 13:49:50 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-04-17 土 00:52:40 | | [編集]
サティ(気づき)が起こったようじゃ。
自分を超えた存在があると知り、安心が生じておる。
まだサマーディには達していないが、それもまた進歩の表れじゃ。
しかし、それにも囚われることなく進むのじゃ。
2010-04-27 火 15:02:12 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-04-27 火 23:04:00 | | [編集]
すでに囚われてしまったならば、初心の頃を思い出し、初めて座る時のように修行に入るのじゃ。
体験を求めれば記憶を動かしている事になる。
体験を忘れ、初心の時のようであれば、かえってそれは戻って来るじゃろう。
それもまた体験に囚われない事を知る、と言う進歩となるじゃろう。
2010-05-03 月 22:41:54 | URL | 鬼和尚 [編集]
>鬼和尚天空と鬼和尚はわしじゃ。


名前を変えたりするのは、なにか意味があるのですか?
2010-05-04 火 21:53:30 | URL | sei [編集]
鬼和尚天空というのはフルネームじゃ。いかすじゃろう?
わっはっはっは。
2010-05-05 水 21:35:33 | URL | 鬼和尚 [編集]
アハハ
イカしてますね~☆
2010-05-06 木 21:14:47 | URL | sei [編集]
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2010-05-07 金 01:28:27 | | [編集]
      どういたしまして、またおいでなさい。
2010-05-09 日 21:15:26 | URL | 鬼和尚 [編集]
このように考えるのが良いのじゃ。
「不況だから自分のような人材が求められている」
「無職だからこれから良い会社に入れる」
「神仏に詣でたから心の安らぎを知る事ができた」
「悲観的な両親だから、積極的な考えがわかった」
等と良くない事があったからこそ、良い事があると考えるが良いのじゃ。
このような考えを変毒為薬という。
毒を変えて薬にするという。
そのようにマイナスの出来事をプラスに変える考えが大事なのじゃ。
それさえ身に付ければ世間において恐れるものは何もない。
何が起きてもそれをプラスに変える事ができるのじゃから。

疲れたのなら少し休んで神社仏閣を巡るのも良かろう。
疲れたままでは良い考えは浮かばないものじゃ。
ゆっくり休んでまた新たな気持ちで一番の希望に挑戦するが良かろう。
2010-05-09 日 21:54:35 | URL | 鬼和尚 [編集]
確かに悲惨な状況にあっても、元の性格が強い前向きと周囲に言われているだけあって、対になる側になるとそれが良く分かります。
極悪人だからこそ、仏の教えに触れて、仏教のトップになったり、
神道なら、スサノオみたいにガラリと善神中の善神になったみたいに。

その様な能力がありながら、世に活かせない自分に苦笑してしまいます。
家柄が死体とのお付き合いが強い警察一家で、私だけがその水に合わず、早くから神仏の近くの職に行こうとして、親に総掛かりで止められ、警察へ行けと暗に教育…でしたから。

和尚様の言う通り、ご縁のある神社や寺院を巡って、充電しようと思います。
その間に、和尚様の様な観音様の化身みたいな人から見出されたり、神職からお声がけとかあったら、その道に進みたいと思っています。
こちらの方が、ハードルは高いかもしれませんが、何だか性にあっている気がしています。
ある意味、充電という切っ掛けの旅ですね。

私も和尚様の様に、返信出来るような人に成りたいです。
ありがとうございます。
2010-05-09 日 22:11:27 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
ありがとうございます。
「変毒為薬」ですか、仰る通り真逆に考えると、誰よりも貴重な経験を得ていることに気付きました。
そうですね、各地を巡って充電し、新たな気持ちで希望達成に向けて歩もうとおもいます。
2010-05-10 月 00:07:53 | URL |   [編集]
私の考えが本当の前向きだからこそ、変毒為薬という貴重な体験することが出来ている訳ですね。
中途半端だったり、父のように悲観的な考えであったら、きっと別世界に行っているのも想像が付きます。

そうですね、疲れているのを取り払うため、期間を決めて諸国を旅してみようと思います。
鬼和尚様、ありがとうございます。
2010-05-10 月 17:23:18 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
なるほど、今まで楽天的で悲観的の対にあって、今回は大きく躓いたからこの貴重な経験をしている形ですね。

今は縁のある神社仏閣を巡って、充電します。
そして、以前よりも前向きで楽天的に希望達成へ歩もうと思います。

鬼和尚様、ありがとうございます。
2010-05-11 火 04:55:29 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
どういたしましてまたおいでなさい。
2010-05-11 火 20:20:10 | URL | 鬼和尚 [編集]
誰が意識を失っているのか
我々は眠りに就く時、意識を失いますが、誰が意識を失っているのですか?我々の本性が思考でも感情でもなく意識ですらないとすれば、我々は一体何者なのでしょうか?
2010-05-21 金 17:13:44 | URL | のつ [編集]
眠る時に意識を失うのは自我じゃ。

全ては名づけられない者なのじゃ。
名づけた時にそれは本質を失い、嘘になる。

認識は言葉とイメージによって成る故に、なにものかを感じれば名をつけたくなる。
名づけてイメージを記憶し、頭の中にしまって観念にする。

名づけられないものを知れば、認識の習慣によって名をつけて観念として片付けたくなる。
それでは観念から抜け出すことはできず、探求は不完全に終わってしまう。

言葉とイメージを超えた彼方に至るために、名づけることもイメージする事も出来ない、今ここにあるそのものを感じなければならないのじゃ。
なにものかであると言葉やイメージを抱いたならば、全て嘘であると判る。
語ることもイメージも無い時、安らぎがあり、寂静に帰るのじゃ。
2010-05-23 日 22:36:25 | URL | 鬼和尚 [編集]
困っています
嫌がらせをしたり、他人を貶めるような「邪悪なるもの」にどうしても関わらざるを得ない場合、どのようにすれば良いのでしょうか?

やはり、「慈悲の心」の力しかないのでしょうか。
2010-05-24 月 10:55:50 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
返答御礼
お返事いただき感謝致します。
2010-05-24 月 23:34:38 | URL | のつ [編集]
その通りじゃ。
邪悪なものには慈悲で導いてやるしかないのう。
しかし、それでも聞かない者にはなるべく関わらないようにして、遠ざかる事も良いのじゃ。
お釈迦様も罵詈雑言をするバラモンなどには何も語らず、去るままにしていた。
哀れなものであるが、自ら破滅に落ちる者はほうっておくしかないのう。
2010-05-30 日 21:27:47 | URL | 鬼和尚 [編集]
ありがとうございました。
2010-05-31 月 15:44:38 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
       どういたしまして、またおいでなさい。   
2010-06-03 木 21:17:04 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-06-06 日 18:18:05 | | [編集]
誰も己の心には嘘がつけないものじゃ。
嫌な事を無理やりやろうとしてもストレスがたまって駄目になったりするものじゃ。
勉強ができないのも本当は転職などを嫌がっているのかもしれん。
嫌な事を無理にしようとしても体が拒否したりして長続きはしないのじゃ。

先ずは自分の心を見つめ、本当は何をしたいのか、今の道は嫌なのではないかと問い掛けてみるのじゃ。
心の奥に隠れた本当の願望が見えてくるかもしれん。
嫌な事を自分に無理に強いるよりも、心に従って生きるのじゃ。
2010-06-07 月 20:54:02 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-06-16 水 10:50:35 | | [編集]
師は必要な時に現れるという言葉がある。
本当に必要な時が来れば、自ずから師とすべき者は見出されるのじゃ。
それまでは様々な者に巡り合い、人を見る目を養うのも良い事じゃ。
しかし、どのような師につこうと最後の門は、ただ一人で自ら開かねばならない事は知っておくべきじゃのう。
2010-06-21 月 14:42:56 | URL | 鬼和尚 [編集]
鬼和尚様

ご返信ありがとうございました。
しかし、内容には大変がっかりしました。

正師がこそこそする必要がどこにあるのでしょう?
百聞は一見にしかずです。
法を説く方に、いままでこちらから伺うという申し出を断られたことなどありません。

なぜ相対して頂けないのかご説明頂けないでしょうか?
2010-06-22 火 09:58:26 | URL | 梅小僧 [編集]
金や名声などを求める者ならばいつでも直ぐに会ってくれるじゃろう。
正しい師であればこそ容易には会い難いものじゃ。
昔の修行者は何年も師匠を求めてさまよったりしたものじゃ。

もはや己の心身すら塵芥に等しいと見る師は何も求めない。
ただ悟りを求める者の熱意が本物であるか見極めるために試すのじゃ。
その熱意は本当に悟りを求めるものじゃろうか?
その熱意は時期を待てずに消えていくものじゃろうか?
本当に悟りを求めているなら時期を待てない事があるじゃろうか?
真正な修行者ならばこれから何度も試しに会うじゃろう。
2010-06-27 日 22:55:38 | URL | 鬼和尚 [編集]
鬼和尚様のご指導を受けたい方はたくさんいらっしゃるみたいですね。
私もご縁が訪れる日を心待ちにしている1人です。
ご縁がありますように!

さてご質問なのですが、瞑想をしていると、体調に異変をきたすことってあるのでしょうか?
私は時折、瞑想後にひどい頭痛がすることがあります。また、ここのところ日常生活で、下まぶたのけいれんに悩まされるようになりました。
けいれんについては、ひどくなったら病院に行こうとは思っているのですが、なんとなく、瞑想と関係があるのではないかと感じているんです。多少なりとも気づきが生じて、これまで溜めていた怒りが出てきた、とか・・・。考えすぎでしょうか?
どのような身体的感覚や症状も、気にせずにただ観察すればよいのかも、とも思うのですが、体感してしまうがゆえにどうしても気になってしまいます。
アドバイスいただけたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
2010-07-12 月 21:22:52 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
瞑想の時に強く集中しすぎると目に力が入るものじゃ。
すると目の筋肉や神経が疲れて頭痛やまぶたのけいれんなどが起きるじゃろう。
目に力が入れば肩にも力が入る。

力を抜くのが肝心じゃ。
最初は意識して目から力を抜いたまま、集中するようにするのじゃ。
慣れれば無意識のうちに目から力を抜いたまま、集中出来るようになるじゃろう。
2010-07-13 火 11:52:23 | URL | 鬼和尚 [編集]
目に力が・・・。
うーん、言われてみれば、入っていたような気がします。
気づきを与えてくださってありがとうございます。ぜひやってみます。
早く鬼和尚様に会いたいです☆
2010-07-13 火 21:46:01 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
そうじゃ、やってみるのじゃ。
求めつづければいつか会えるじゃろう。
またおいでなさい。
2010-07-15 木 10:42:37 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-08-15 日 23:01:24 | | [編集]
すでにおぬしの心は答えを出しているようじゃのう。
誰も自分の心に嘘はつけないものじゃ。

お釈迦様は犀の角のように独り歩めと言った。
なにものも信じるなと言った。

誰かが師匠としての器も能力もないと知ったなら、後は自分を縛っているのは自分の心であると気づくがよいのじゃ。
修行とは自らの成長のためのものじゃ。
最初にこのように決めたからといって、それに縛られるのは心の解放を求める道とは言えないのう。
有名な者でも本当は、師匠としての力量がないと知ったのはよい勉強じゃ。
道を間違えたら、そこから間違いを正して本当の道を歩むのじゃ。
2010-08-17 火 20:14:19 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-08-18 水 23:49:56 | | [編集]
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2010-08-19 木 15:30:04 | | [編集]
鬼和尚様

最近このブログに出会い、大変感銘を受けた者です。
本来は難しい用語も多い仏教の教えを、
わかりやすく説いてくださって本当にありがとうございます。
これからまずは数息観から始めてみようという、本当に初心者ですが、
一歩ずつできることから続けていきたいと思っております。

ところで、悟りについて質問があります。
悟りに達すると、何事にも執着が無くなるとのことなのですが、
そうすると配偶者を持ち、子を成す事は基本的にしない、
できなくなってしまうのでしょうか?

自分自身が悟って、自分の人生に
全くそれが必要ないと思えるならばそれでもいいのですが、
そうなると全人類が同時にめでたく悟る日が来たら、
人類は滅亡してしまうのでしょうか?

人類にさえ執着せず、滅ぶに任せればいいのだとすると、
より多くの人が悟ることが、生き物としての人類の
ゆるやかな自殺になってしまうとしたら…と、怖くなってしまいます。

だからといって、悟らない人が苦の中で社会を維持してくれるそばで、
自分だけ一抜けするために悟りを目指す、というのも釈然としません。

それとも、悟りながら、執着は持たずとも、
家族や異性への自然な愛情や、社会へ貢献する関係を
はぐくむ道もありえるのでしょうか。

自分でも屁理屈で、本当にいやになりますが、
「全員が悟れたら、人類は、社会は、一体どうなってしまうのだろう?」
と一度疑問がわいたら、すっきりしなくなってしまいました。
悟りというものがそもそもわかっていないのかもしれません。

全く修行もしていない者の発する質問で、
ものすごく的外れだったら、申し訳ありません。
可能な範囲で、ご指導をいただけたらと思います。
よろしくおねがいいたします。
2010-08-19 木 15:49:14 | URL | でこぽん [編集]
こいぬちゃん。
己の心に言い聞かせるよりも、小さな心の声にも耳を傾けるのじゃ。
正しい師を求めつづければいつか会えるじゃろう。


2010-08-19 木 20:58:49 | URL | 鬼和尚 [編集]
Sae20100919
それは文化の違いに問題があるようじゃのう。
日本人は何でも正直に話すのが正しく、美徳だと思っている。
韓国人は国や家族のためには、あえて嘘をつくのが美徳だと思っているようじゃ。
嘘をついて仕事を変えても、まだ仕事を探して働いているだけ偉いものじゃ。
まだ自分のやりたい事が見つからず、模索しているようじゃ。
働いている限りは励ましたり、誉めてやってやりがいを与えてやるとよいのじゃ。
働かなくなったら、縁を切るのも仕方が無かろう。
不安定な仕事でも瞑想などをして不動の心で貯金をしていれば、大抵のことは対処できるじゃろう。

2010-08-19 木 21:06:06 | URL | 鬼和尚 [編集]
でこぽん
悟りを得れば執着は無くなり、大抵は結婚などもしないものじゃ。
人類は特に悟りを得た者が増えなくとも、おぬしの死と共に消える。
全てのものはやがて滅びる定めを負っているものじゃ。
人類というものも同じなのじゃ。
今、この時に人として生まれ、正しい法を知りえた事を喜び、修行に励むがよいのじゃ。
そうすれば人類が滅びても消える事の無い永遠の意識に辿り着くじゃろう。
2010-08-19 木 21:12:57 | URL | 鬼和尚 [編集]
ありがとうございます。
そうですね。確かに、自分の心はたくさんのことを教えてくれていると思います。
それをないがしろにしてきた自分の愚かさに改めて気付かされました。
鬼和尚様のお言葉を胸に、精進いたします。
どうぞ良きご縁がありますように。
2010-08-19 木 23:45:12 | URL | こいぬちゃん [編集]
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2010-08-20 金 09:08:48 | | [編集]
鬼和尚様

でこぽんです。お返事いただき、どうもありがとうございました。

人類がどうだなどと、自分でも大げさで困ったなどと思っていたのですが、
鬼和尚様のお答えはその視点を遙かに超えて、
宇宙視点からのご回答だったと思います。

「なるほど悟るというのは、視野が宇宙の高みまでのぼることなのだな」
と、自分の勝手な解釈ではありますが、
なんだかとても納得いたしました。

とりあえず人類のことは人類の生命力に任せることにして、
私は安心して自分の修行に取り組み、
まずは人として自分の心が少しでも綺麗になるよう、
励みたいと思います。

文字通り三日坊主だけは避けたいので、
まずは地道に、数息観を毎日の習慣として固定することが目標です!

このご縁に感謝いたします。
どうもありがとうございました。
2010-08-20 金 13:41:05 | URL | でこぽん [編集]
こいぬちゃん
そうじゃ、自らの心をそのまま受け入れ、認めるのが始めの一歩じゃ。
またおいでなさい。
2010-08-23 月 10:13:24 | URL | 鬼和尚 [編集]
ROSE2010
そのとおり韓国では嘘も思いやりなのじゃろう。

不動心とは心がけで身につくものではない。
数息観を毎日行えば自然に身につくものじゃ。
心がけだけでは忘れてしまうことがある。
日々の修行で身についたものは容易にはなくならないものじゃ。
それが身につけば、いかなる出来事が起きても、動揺せずに対処できるじゃろう。
2010-08-23 月 10:21:12 | URL | 鬼和尚 [編集]
でこぽん。
そうじゃ、実践が全てじゃ。
修行は決して無駄にはならないものじゃ。
またおいでなさい。
2010-08-23 月 10:22:45 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-08-23 月 14:24:37 | | [編集]

どういたしまして、またおいでなさい。
2010-08-24 火 21:12:14 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-09-02 木 21:04:14 | | [編集]
↑特に病気という事では無い。
また一つ自由になり、その新しい自分に適応しようとしている所じゃのう。
これから苦を一つ一つ滅し、自由になっていくたびに何度も起こる事じゃろう。
しばらく普通に生活して己を取り戻したら、また修行に励むが良いのじゃ。
何ものにも囚われずに進むのじゃ。
2010-09-08 水 22:02:18 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-09-09 木 08:51:32 | | [編集]
↑お大事にじゃ。
2010-09-13 月 19:50:55 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-09-15 水 18:44:49 | | [編集]
自分がやり易ければそれが正しい姿勢と言えよう。
しかし、机が無いと瞑想が出来ないのは少し不便じゃのう。
机が無くても出来るように、もう少し手の位置を工夫してみるのじゃ。
2010-09-19 日 22:32:32 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-09-20 月 10:17:21 | | [編集]
どういたしまして、またおいでなさい。

  
2010-09-25 土 10:21:08 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-11-25 木 14:51:09 | | [編集]
夫はまだ迷っているようじゃのう。
己がなにものか判らず、何をすればいいのかも判らないようじゃ。
まだ精神的に幼いのかも知れん。

まずは己がどのようなものなのか、知るのがいいかも知れん。
たいていの地方自治体には適正検査とか能力試験と言うものをやっている。
自分がどのような職業に向いているのか、どんな能力があるのか試験によって知る事が出来る。
そのようなものを受けてみるのも良いじゃろう。
そして自分が向いている職業がわかったら、職業訓練と言うのもやっておる。

そのようにして自分の力がわかったら、今度は目標と言うものを作るのが良かろう。
人間は目標や目的があれば頑張れるものじゃ。
とくに無ければただ一億円とか貯めて、お金持ちになりたいと言うだけでもよいのじゃ。
まずは一生の目的となる大きな目標を決め、それを実現するために小さな目標を決めるのじゃ。
そのようにして人生計画を立てる事が社会生活では大事じゃ。
それは夫だけではない。
自分も己を知り、人生をかける目標が出来れば変わり、それが回りの人間をも変えていくじゃろう。
2010-11-25 木 20:08:43 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-11-26 金 09:38:54 | | [編集]
それでよいのじゃ。
まずは普通の人間として社会で生きることが大事じゃ。
その後に世間の欲にふりまわさらるのが虚しく感じられたら、道を求めるのが良いのじゃ。
目標を持ち、それをかなえる経験が後の修行にも役立つものじゃ。
迷い道でも、回り道でも辿りつづければ、それがいつか本当の道になるのじゃ。
2010-11-28 日 21:58:27 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-11-29 月 09:49:48 | | [編集]
どういたしましてまたおいでなさい。 
2010-12-01 水 11:22:23 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-12-13 月 15:24:29 | | [編集]
悟りを得れば一切の妄想は無くなるじゃろう。
それまでに妄想を妄想と知るには、常に真実を求め、事実によって確かめるのが良かろう。
人間はすわって半畳、寝て一畳というように、肉体はそれほど大きくは無いものじゃ。
自分は巨人だと妄想しても、実際に計ってみればそこそこの身長と判る。
山も持ち上げるような力持ちと妄想しても、実際にものを持ってみれば50キロぐらいしか持ち上がらないことが判る。
そのように常に己を観察し、事実によって確かめていれば、妄想を妄想と知り、実際の己を知る事が出来るじゃろう。
2010-12-13 月 20:37:09 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-12-14 火 17:49:16 | | [編集]
そのように己という感覚が自我と言っても良いじゃろう。
その自我を滅した後、自我が無い事を認識するものがある。
それすらも滅した時に、真の悟りは訪れる。
自我が滅すれば、それを滅するのは容易になるものじゃ。
2010-12-14 火 20:31:54 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-12-29 水 23:21:41 | | [編集]
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2010-12-30 木 00:11:23 | | [編集]
瞑想の時間はそれぐらいでいいじゃろう。
進歩はそんなに早くは訪れないものじゃ。
むしろ自分では何も進歩が無いと思う時ほど進んでいるものじゃ。

想念を見ているのは認識じゃのう。
自我はそれに投射された言葉とイメージに過ぎないものじゃ。

サティは起こそうとして起きるものではない。
観察に励んでいれば自ずからやってくるものじゃ。
それによって苦は滅し、観念から離れることが出来る。
妄想から離れたのもまたサティと言える。
自分ではそう感じなくとも、確実に進んでいるのじゃ。
2010-12-30 木 20:07:17 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2010-12-30 木 20:43:21 | | [編集]
  どういたしましてまたおいでなさい。
2011-01-03 月 11:52:49 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2011-01-07 金 01:24:36 | | [編集]
姿勢は良い方がより悟りを得やすいというようなものじゃ。
それは集中力が強く長く保てるからじゃ。
姿勢が悪くとも熱意があり、どこまでも挫けない意志があれば、悟りは得られる。

肝心なのは己の本心を観て、己とは何なのかを追及する事じゃ。
インドのラマナ・マハリシという覚者は修行はしていない時期に、死を恐れ、死に行く己とは何かを追求して悟った。
そのように強い熱意と意志があり、どこまでも己とは何であるかを追及していけば、悟りは得られる。
そのような熱意や意志が無い普通の者には、集中力が必要になるのじゃ。
2011-01-09 日 20:36:07 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2011-01-10 月 02:09:20 | | [編集]
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2011-01-10 月 13:57:25 | | [編集]
Re: タイトルなし
過去の記憶は時間による制限も無く、連想によって起こったりするものじゃ。
似たような状況の音や匂いなどで呼び起こされるのじゃ。

今は認識に自我を投射している状態じゃのう。
それが無くなれば、サマーディに至る。
認識と想念をわけられるのは、観察が深くなったおかげじゃのう。
さらに精進するのじゃ。
2011-01-14 金 20:37:43 | URL | 鬼和尚 [編集]
Re: タイトルなし

どういたしまして、またおいでなさい。
2011-01-14 金 20:39:53 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2011-02-06 日 23:05:01 | | [編集]
鬼和尚様 質問があります
座禅していると肩が凝ってきます
姿勢を正しくしているつもりなのですが・・・・・
ちゃんとし座禅用の座布団を買ったほうがいいのでしょうか?
2011-02-14 月 18:31:30 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
Re: タイトルなし
> 鬼和尚様 質問があります
> 座禅していると肩が凝ってきます
> 姿勢を正しくしているつもりなのですが・・・・・
> ちゃんとし座禅用の座布団を買ったほうがいいのでしょうか?

胸を張って、肩の力を抜くようにしてみるのじゃ。
力を抜くほど、うまくなるのじゃ。
とりあえず家にある座布団などを使ってみると良かろう。
いろいろと試してみるのじゃ。
2011-02-14 月 21:08:16 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2011-02-16 水 10:11:00 | | [編集]
自分の本心が観えているのう。
良い観察じゃ。
多くの人間はたいてい己のことばかり考え、他人には良く見られたいと思うものじゃ。
それを変えようとするのは観察ではない。
それを恥じるのも観察ではない。

ただあるがままに観るのじゃ。
それを恥ずかしいとか、自己嫌悪が起こる事さえも観察するのじゃ。
変容はすでに表れているじゃろう。
自らの考えを省みる事ができた時、すでにそれを修正する反応が起きるものじゃ。
恥も嫌悪もまたあるがままに観るのじゃ。
そうすれば汚れは消えうせ、安らぎが訪れるじゃろう。
2011-02-17 木 19:57:18 | URL | 鬼和尚 [編集]
ありがとうございます。
また宜しくお願いしますm(__)m
2011-02-22 火 14:28:49 | URL | ユキ [編集]
どういたしまして、またおいでなさい。




2011-02-23 水 20:44:30 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2011-03-09 水 22:48:40 | | [編集]
特に悟りを得なくとも、心を修め、仔細に観察するならそのような妄想にも囚われなくなるじゃろう。
妄想はよく観察すれば現実ではありえないような特徴があるものじゃ。
人が空を飛んだとか、いきなり現れたとか消えたとか、現実ではありえないような事があれば妄想と知れる。
そのような妄想を妄想と知り、囚われなければ苦も無くなるのじゃ。
2011-03-16 水 14:19:29 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2011-03-21 月 10:20:41 | | [編集]
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2011-03-21 月 22:27:53 | | [編集]
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2011-03-22 火 22:14:00 | | [編集]
M.E
自分のやり易い方法でやればいいのじゃ。
何度も試し、時間をかけて自らやり易い方法を見つけ出すのじゃ。
それが自分のやり方になるじゃろう。
2011-03-24 木 13:18:34 | URL | 鬼和尚 [編集]
モモンガ

① 空であるとはどのような言葉や観念も無くす事じゃ。
 言葉や意識を持ち出せば、新たな観念を作り出すのみじゃ。
 先ずは空という法を感得するのじゃ。
 りんごを見たならば、それはりんごという言葉を無くすためにりんごでは無いと観る。
 果物と言う観念を無くすために果物ではないと観る。
 有り無しの観念を無くすために有るものではなく、無いものでも無いと観るのじゃ。
 般若心経に詳しく書いて居るように、全ての観念と言葉を無と観る、空と見なすのが空というほうなのじゃ。
 
② 影響は出るじゃろう。
 それ故に真の修行は昔から人里離れた所で、一人でやるべきなのじゃ。

③ 日常でも瞑想中でも全ての時間において観るのじゃ。
 そうすれば速やかに修行も成就するじゃろう。

④ 日常で認識できない故に潜在意識の一つと言っていいじゃろう。
 それは記憶そのものではなく、記憶に依存した認識と言えるじゃろう。
 その本体は本来の認識そのものなのじゃ。 
2011-03-24 木 13:30:33 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2011-03-25 金 00:00:28 | | [編集]
Re: タイトルなし
熱心なのはいい事じゃ。
実践が全てじゃ。

① そうじゃ、認識したものを否定するのじゃ。
 人の心身は習慣によって成り立っている故に、繰り返して行えば確実に作用するのじゃ。

② 自らの見たもの、聞いたもの、認識したものを、無と見なせば自然に全ての観念は空となるのじゃ。
 その他に深く囚われているような観念や執着があれば、それもまた強く無と化して行かねばならんじゃろう。
 それによって執着を離れ、観念から解放されるのじゃ。

③ 観察するという事は多くの者にはかなり難しいものじゃ。
 試しに手の平を観察しようとしても、五分もすれば全く別の事を考えていたりするじゃろう。
 そのために集中力を養う止も必要になるが、これにも時間がかかるものじゃ。
 空とか縁起の法は、それほど集中力が無くてもかなり早く効果が期待できるのじゃ。
 習慣や心の習性を利用している故に。

④ わしは困らなかったが、周囲の者には常識が無いと言われていたのう。

⑤ 言葉やイメージはわかる。
 しかし、それを唯一絶対のものとして他人が囚われている事が不思議に思えるのじゃ。
 本当は意味が無いものを、人はなぜそんなに信奉するのかと思うのじゃ。
  
⑥ 悟りを得た者同士には完全なコミュニケーションがある。
 お互いに妙観察智を持っている故に、ほんの僅かな所作によっても意志が伝わる。
 以心伝心と言うものじゃのう。
 悟りを得ていない者とは言葉による不完全なコミュニケーションしかないものじゃ。
2011-03-29 火 11:22:57 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2011-04-04 月 16:03:50 | | [編集]
それがサマーディの入り口なのじゃ。
味わう時は味になる。
集中によって知覚の対象と一つであると感じるのじゃ。
さらに精進じゃ。
2011-04-08 金 12:29:38 | URL | 鬼和尚 [編集]
質問です。

今、教育関係の仕事をしていますが、
悟った人から見て、子供にどのような教育をしけいけばいいでしょうか?
アドバイスをお願い致します。
2011-04-16 土 10:14:44 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
単なる知的好奇心ですみませんがどんな仕事をしているんですか?
なんとなくですが、大勢の人に向かって話す職業のような気がしました

あと、厭離というのはゲシュタルト崩壊と呼ばれる現象を含むと思いますが、
悟った後、文字を読むとき困らないのでしょうか
くだらない質問ばかりでごめんなさい
2011-04-17 日 00:31:32 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
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2011-04-17 日 19:37:17 | | [編集]
Re: タイトルなし
> 質問です。
>
> 今、教育関係の仕事をしていますが、
> 悟った人から見て、子供にどのような教育をしけいけばいいでしょうか?
> アドバイスをお願い致します。

子供に自分自身を客観的に観る事を教えるといいじゃろう。
自分とはどのようなものか、自分の性格とか行動とかがどのようなものであったか、批判も肯定もせずにただ観察するようにすれば、どのような分野でも役に立つ教育になるじゃろう。
2011-04-20 水 11:20:26 | URL | 鬼和尚 [編集]
Re: タイトルなし
> 単なる知的好奇心ですみませんがどんな仕事をしているんですか?
> なんとなくですが、大勢の人に向かって話す職業のような気がしました
>
> あと、厭離というのはゲシュタルト崩壊と呼ばれる現象を含むと思いますが、
> 悟った後、文字を読むとき困らないのでしょうか
> くだらない質問ばかりでごめんなさい

わしは運送業じゃ。

悟った直後には文字を読む気も無くなるものじゃ。
もはや不要なものじゃ。
それで困るという事はもう無いのじゃ。
人に教える時に文字を使おうとすれば使えるのじゃ。
2011-04-20 水 11:24:48 | URL | 鬼和尚 [編集]
他人の行いによって心が乱れると言うのは、まだ他人に依存し、執着する心があるからじゃろう。
お釈迦様はこのように言っておる。

50 他人の過失を見るなかれ。
他人のしたこととしなかったことを見るな。
ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。

常に観なければならないのは己の心であり、己の行いだけなのじゃ。
それを心掛けていれば他人の行いによって心が乱される事も無くなるじゃろう。
2011-04-20 水 11:49:48 | URL | 鬼和尚 [編集]
以前、質問しました教育関係の仕事をしているものです。
お答えてくださってありがとうございます。


また質問があるのですがよろしいでしょうか?

今は、都会で働いていますが、
そろそろ実家に戻り仕事をしていきたいと思っています。

ただ実家では仕事も無く、特に技術や経験があるわけではないので、
実家で仕事が見つかるかどうか不安です。

探せば営業という仕事はあるとは思いますが、次の理由でどうしても
営業という仕事を選択したくはありません。

・自分も良く知らない商品を人様に売ること。
・ノルマノルマで、お客が満足しようが不満であろうが数字さえあげたらいいところ。
・経営陣の目先の利益だけを追求して、顧客に対して心遣いが杜撰になっているところ。
・顧客と接している時と社内で、営業マンの顔がガラリと変わり不誠実に感じるところ。

以前に、営業の仕事をしていたので上のことが気になり、
営業の仕事をしたいとは思いません。

世間では、「家族を養うために嫌な仕事(僕の場合でいうと営業のこと)に就く」という考えがありますが、
この考え方も好きではありません。
「自分も好きなことをして家族も養っていく」という考え方で生きていきたいのですが、
なかなか世間では受け入れにくいですし、我侭なのか?と自信を持つことができません。

どうしたらいいでしょう?何かアドバイスを頂けたらと思います。
2011-04-20 水 16:11:29 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
それでいいのじゃ。
例えば50キロしか持てない人間に100キロの荷物を持ち上げる仕事をしろと言っても無理じゃろう。
そのように人には出来る事と出来ない事があり、向き不向きもあるものじゃ。
自分が出来る好きな仕事をすればよいのじゃ。
それが出来ているならば、特に生活を変えなくても良いのじゃ。

実家とか財産なども、人のためにあるものじゃ。
そのようなものを守るために人があるのではない。
どのように守ろうとそのような物はいずれは消えていくものじゃ。
そのような物に囚われず、自分を自分の主として生きるのじゃ。


2011-04-23 土 22:23:20 | URL | 鬼和尚 [編集]
瞑想について
はじめまして、はむと申します。
先日鬼和尚さまのブログに出会い、読ませていただいております。

今までやってみたくても、瞑想や観察をどのように行っていったら良いのか分からなかったのですが、ブログを読ませていただいて、どのように何を意識して行うのかということがよく分かりました。本当にありがとうございます。

まだ何も分からない未熟者です。どうぞ宜しくお願い致します。

さてここ数日ほど、数息観の瞑想を行いつつ日常の中での自我の観察を行っています。瞑想していると何も考えていないような静かな領域があり、また言葉やイメージなどの雑念がポコポコ出てくる領域があるように観じています。

おそらく集中出来ている時は、静かな領域から自我を認識しつつ観察しているように感じ、集中が甘い時は自我の領域に大部分が取り込まれているような感じがしています。こういった感覚は正しいのでしょうか?

また、姿勢について、まっすぐを意識して座っていると、ある位置で頭頂部や尾てい骨、眉間の間がピリピリと痺れる感覚が生じます。背骨に電気が走った感覚ではないのですが、ここが快の位置であると捉えてもよいものでしょうか?

ただ、このピリピリ感は座っているとだんだん大きくなってきます。クンダリニーというものもあると聞いているので、それが少し怖いです。

いくつもご質問させていただきました。どうぞ宜しくお願い致します。
2011-04-25 月 13:03:18 | URL | はむ [編集]
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2011-04-29 金 16:33:51 | | [編集]
Re: 瞑想について
> はじめまして、はむと申します。

それでいいのじゃ。
ちゃんとできておる。
やがて全て己で制御できるようになるじゃろう。

姿勢についてはさらに研究するのじゃ。
首や肩の力を抜き、肉体の作用に身を任せるのじゃ。

一つ一つの現象に囚われない事が肝心じゃ。
もっと多く経験を重ねれば、かつて自分の感じていた事の理解が進むじゃろう。
2011-04-30 土 09:18:01 | URL | 鬼和尚 [編集]
Re: 数息観について
数息観をしてる最中は呼吸に集中するのじゃ。
数をかぞえるのが面倒になったら、かぞえるのを止め、呼吸にのみ集中していいのじゃ。
それを随息観と呼ぶ。
呼吸に集中しきるとサマーディの状態になるじゃろう。

その時、呼吸が止まったりするじゃろう。
意識して呼吸しなくてはいかんのじゃ。
2011-04-30 土 10:12:27 | URL | 鬼和尚 [編集]
悟りを開いた後に積極的な文化活動をする歴史的人物が多々居ますが
彼らは生悟りなのでしょうか
2011-04-30 土 18:50:00 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
ありがとうございます
ありがとうございました。
工夫しながら、とにかく毎日続けるように、努力します。
2011-05-02 月 12:15:36 | URL | はむ [編集]
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2011-05-04 水 13:36:02 | | [編集]
Re: タイトルなし
> 悟りを開いた後に積極的な文化活動をする歴史的人物が多々居ますが
> 彼らは生悟りなのでしょうか

特に生悟りというものでもないじゃろう。
人に教えるためにそのような事をするのは、悟った者にもあるものじゃ。
詩とか歌とかを作ったりした者もよく居るのじゃ。
2011-05-07 土 13:09:53 | URL | 鬼和尚 [編集]
Re: タイトルなし
少しノイローゼのようじゃ。
一度休んで公園などで自然にふれてみたりするといいじゃろう。
木の葉も一枚一枚観察してみれば、他とは違うものじゃ。
それを観て安らぐのじゃ。
過去や未来を考えるのではなく、今を感じるのじゃ。
2011-05-07 土 13:15:45 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2011-05-13 金 11:29:16 | | [編集]
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2011-05-14 土 09:41:53 | | [編集]
脳以外の肉体にも記憶はあり、肉体を離れてもあるものじゃ。
それを記憶として解釈するのは脳であるがのう。
2011-05-14 土 20:58:34 | URL | 鬼和尚 [編集]
今は無力に見えても毎日修行を続けていけば、心は静まっていくのじゃ。
やがて何ものにも動じない不動心が身に付くじゃろう。
それまで精進じゃ。
2011-05-14 土 21:14:16 | URL | 鬼和尚 [編集]
相談させてください。
初めまして。tactyと申します。
2CHで他の相談者さんへの回答を拝見させていただき、自分の悩みと重ねて涙を流してしまいました。

私は16の時に遊び歩いていて名前も顔も知ってる人にレイプされました。誰にも言う事ができずに性に奔放になり、大人になり、地元を出てその傷を誤魔化すために自ら風俗に入りました。

母にはDVの父との離婚戦線でピリピリしていたので相談できません。
友人にもこんなこと言えませんでした。

気付けばそのまま28歳になりました。
彼氏も友人も沢山でき、新たに真っ白な仕事ではないですが、高校の時の友人と会社を始めようと思っています。

それが急に死にたくなってしまったんです。
これから楽しい事も行きたい場所もたくさんあるのに、です。
亡くなった友人の事ばかり思い、身辺整理をして、飼っている犬達の寿命がきたら誰にも居場所を教えずに死にたいと。
何故か涙が止まらなくて、涙の理由もわかりません。
自分がわからないんです。

こんな事が今までに無くて、今まで抑えていた感情は爆発したみたいに出てくるのに、それを言葉にしようとすると支離滅裂になるんです。

そして今までの事を何故か彼氏と母親に伝えてしまいました。 
相手も人間なのに私は自分可愛さに大切な人を2人も傷つけました。

彼には家庭環境の事や風俗の事を話していましたが、具体的に話したのは初めてでした。「間違いは誰にでもある。みんなそんな自分と戦ってるんだよ」と一緒に泣いてくれました。

母には仕事を誤魔化していましたが、「だから何!甘いのはtacty、涙が出るのはのは助けてほしいからでしょう。くだらない。それしかないと思ってるなら死ぬしかない!」と、その通りですよね。想像通り怒られました。
でも泣かない母が泣いていました。

実の娘が、今まで普通だった娘の口から風俗・レイプ・死にたいなんて絶対言うべきではなかった。
切った後一度だけ掛けなおしましたが出てくれませんでした。
私は母が大好きなのではなくて自分が一番だったと気付きました。

自分のことが汚くて醜くて嫌い過ぎて苦しいのです。
自分で最後の家族である母まで無くしたと思っています。

死にたい気持ちはすぐにじゃなくてゆっくりでいいから捨てろと彼に言われましたが自信もありません。


私はどんな心で生きれば良いのでしょうか。

長文駄文、大変失礼しました。





2011-05-16 月 19:23:14 | URL | tacty [編集]
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2011-05-16 月 20:06:45 | | [編集]
①心を静かに重低音のように貫いている「心境」?のようなものも、観察し滅することができますか
②動物は言葉を使いませんが、言葉が無意味な物ならば、やはり偶然に考えが行き着いて悟ってしまうことはあるのでしょうか
そこらへんを歩いている犬猫にも悟りを開いているものがいるのでしょうか
③また、街を歩くなどして悟っている人間に出会う確率ってどんなもんなんでしょうか

表現力がないのと、そもそも的外れであるかもしれないので、質問の意味が伝わらないかもしませんがそのときは飛ばしてください
よろしくお願いします
2011-05-18 水 13:54:03 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
Re: 随息観について
 囚われがなくなったのならば、煩悩が滅したと見ていいじゃろう。
 記憶はあるが囚われなければそれでいいのじゃ。

 呼吸を観ているものがあるならば、それに集中するのじゃ。
 呼吸はそれに達する手段に過ぎないものじゃ。
 呼吸を数えるのは呼吸に集中する手段であり、呼吸に集中するのはそれを観るものに達する手段であったのじゃ。
 そこまできたならば呼吸に対する集中すらも無くしていいのじゃ。
 観るものとの一体化がサマーディへの入り口になるじゃろう。
2011-05-20 金 20:54:19 | URL | 鬼和尚 [編集]
① その心境を滅しなくていいのじゃ。
 むしろ呼吸よりもそれに集中するのじゃ。
 観るものとの一体化がサマーディの入り口なのじゃ。

② 犬や猫も賢いものがおるものじゃ。
動物にも悟っているものがあるかもしれん。

③ 出会う確率は少ないじゃろう。
 しかし、縁があれば会えるかもしれんのじゃ。
2011-05-20 金 20:59:31 | URL | 鬼和尚 [編集]
瞑想を長年すれば頭脳も明晰になるのですか?
お釈迦様もそうであったようですが、明晰な頭脳とは
智恵を得たこととはまた違う現象なのですか?
2011-06-12 日 19:37:54 | URL | 白蛇 [編集]
Re: タイトルなし
そうじゃ、瞑想を長年すれば集中力がつく故に頭脳も明晰になるじゃろう。
しかし、それは悟りよって智恵を得たこととはまた違うものなのじゃ。
悟りによる智恵は自我を離れた事による平等性智、記憶による認識を離れた事による大円鏡智などじゃ。
それは自我や認識の誤りがある限り得られないものなのじゃ。
2011-06-22 水 19:45:18 | URL | 鬼和尚 [編集]
鬼和尚様、こんにちは。

私は今30代で家に引きこもってます。毎日ボーッとしてます。数年前に仕事のしすぎでうつ状態になりました。日中の大半は過去の記憶をもとにあることないこと妄想にふけってます。
何をしようにも集中力が続かない為テレビすら見る気しません。その為仕事をする自信もありません。
瞑想をしようと思っても集中力が続きません。病院に行って薬をもらって集中力を一時的に回復させることが可能であれば、その状態で瞑想すれば良いのでしょうか?
今の状態で生きてて何になるのかわかりません。今は両親のおかげで1日3食食べて風呂に入って眠れてます。贅沢な生活ですが、今だけだと思います。今できることは、瞑想であり、最大のチャンスと思っても瞑想できない自分に歯がゆさを感じます。私は集中できないことを言い訳にして瞑想してないだけなのでしょうか?
2011-07-11 月 14:35:21 | URL | 名無し [編集]
瞑想をするのはいい事じゃ。
以前にうつになったために、一つの事に集中しすぎる事に恐怖があるのかも知れんのう。
毎日やれば五分ぐらいでいいのじゃ。

うつには心と体の原因があるものだという。
肉体を健康にするヨーガなども研究してみると良い。
重要なのは自己管理なのじゃ。
以前は仕事をやりすぎたためにうつになった、という事はストレスなどの管理が間違っていたと言う事じゃ。
ストレスが貯まるならば、発散する方法も知らなければならんのじゃ。
自分の心と体を管理すればかえって元よりも、大きな能力を発揮できるじゃろう。
2011-07-17 日 19:29:16 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2011-09-12 月 18:15:49 | | [編集]
人が感じる事と実際は違うものじゃ。
人を〇したりすれば確実に酷い目に会うじゃろう。

本来外部も内部も無いものじゃ。
人の体も呼吸や食べ物や空間を通じて繋がっているのじゃ。
全ては名づけられない一つのものなのじゃ。
ただ自らの目的に向かって生きるのじゃ。
2011-09-13 火 10:39:09 | URL | 鬼和尚 [編集]
その時の状態を伝えるための苦肉の策でして、別に変な優越とかを感じたりしているわけではないのです
しかし、あれは自己の胎内だと思いましたが、「全てが一つ」だと聞くと胎内でない別のどこかだという気もします(伝えにくいですが)
その全てというのは本当にこの世のあらゆる全てということですか?
2011-09-15 木 19:41:40 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
そうじゃ、全てじゃ。
観るもの観られるもの全てを含むものじゃ。
天も地も入れた全てなのじゃ。
2011-09-24 土 14:14:43 | URL | 鬼和尚 [編集]
迷惑コメントにはいって見逃していたのじゃ。すまんのう。
tacty

おぬしも苦労してきたのう。
しかし、良い彼氏がみつかってよかったのじゃ。
汚れとは心の中にあるものじゃ。
例えば服が汚れていたとして、洗えば汚れは落ちるじゃろう。
しかし、神経質な者が未だ汚れていると考えれば、汚れているようにみえるものじゃ。
母親も弱い人間じゃ。距離を持った方が良い事もある。
彼にも全てを話したのならば、もはや懺悔をして許されたと見てよい。
後は自分が自分を許すのじゃ。
過去の行為について告白し、二度としないと誓えば許されるのじゃ。
自分を許すと、声に出して言うが良い。
あらゆる事について自分を許すと、宣言すれば心も軽くなるじゃろう。
2011-10-13 木 11:32:44 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2011-10-23 日 11:26:03 | | [編集]
正直が最高の作戦と言う格言があるのじゃ。
嘘をついたりすると、いつばれないかといろいろと気を使い、ついにばれてしまった時には非難されて何もかもおしまいになるものじゃ。
最初から正直に話していれば、何も気を使わず、どうどうとしていられる。
非難されることも無いのじゃ。
そのように最初からどんなに自分に不利でも、正直に何でも言う事が最高の作戦と言えるのじゃ。

他人に忠告する時にも同じなのじゃ。
いろいろ意見したりするより、自分の経験した事だけを正直に語るのじゃ。
それが一番、他人の心に響くものじゃ。
同じようには行かないかもしれんが、必ず何か気づく事があるじゃろう。
2011-10-23 日 19:47:52 | URL | 鬼和尚 [編集]
眠っていると急に意識が戻って瞑想状態になることが最近たまにある。
それも普段の瞑想では体験できないような静で深い感じがする。
鬼和尚氏なぜでしょう?
2011-10-24 月 19:57:56 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
鬼和尚さん

今、幸運にも自分の好きな仕事をしていますが、
給料が安く、とてもじゃないですけど家族を養えそうにありません。

男としてそれはコンプレックスがある一方、
職がないよりかましと思っている自分もいます。

どうしたらいいでしょうか。
2011-10-26 水 08:34:01 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
眠った時は自我を忘れているからのう。
そちらの方が深い境地に入れるのじゃろう。
眠りには瞑想の真髄があるものじゃ。

好きな仕事なら続けたらよい。
副業をするとか、独立を考えるとかいろいろ手段はあるものじゃ。
好きな仕事ならば他人の知らない専門知識とか技術で儲けたりもできるのじゃ。
いろいろ試してみて確固とした経済基盤を築くのじゃ。
2011-10-28 金 14:46:03 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2011-11-10 木 13:46:38 | | [編集]
迷っておるようであるから即断するのじゃ。
普通に今の婚約者と結婚するが良い。
無理に母親の言葉に従おうと思うのが執着なのじゃ。
それは母親に依存し、その承認を過大なまでに欲しがっている事を意味するのじゃ。
幸福は金の多い少ないで計れるものではないのじゃ。
望まれた者と和する事こそ金よりも貴重な幸福の道なのじゃ。
明らかに間違った考えを抱く母親を、正しく導くのが慈悲と言うものじゃ。
速やかに今の婚約者と結婚し、間違った考えを持つ母親を正しく導くが良いのじゃ。
2011-11-12 土 21:10:30 | URL | 鬼和尚 [編集]
ありがとうございます
鬼和尚様

お礼がおそくなり、すみません。
本当に考えすぎ悩みすぎの混乱状態にありました。
お答えを読んで、迷いが消えました。
おかげさまで、近いうちに入籍する予定です。
結婚しても、少しずつでも日々、精進してまいります。
本当に、ありがとうございました。
2011-11-29 火 17:13:36 | URL | ねここねこ [編集]
いい事じゃ。
またおいでなさい。
2011-11-30 水 21:18:00 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
・一人でいる時は暇だな退屈だなと思ってしまいます。
自分を観察してみると、刺激が欲しい、自分を忘れるくらい楽しいこと、集中したいとありました。どうしたらそういった欲がなくなることができるでしょうか。

・二人以上いる時は、自己が生まれて、好み、信念が生まれて、会話することにより、他人に影響を受けると考えております。
二人以上いる時、会話している時でも悟りの状態になることは可能なのでしょうか。

よろしくお願いします。
2011-12-07 水 17:37:02 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
 そのような思いがどこから起こるのか、さらに自分の心の中を深く観察してみるのじゃ。
 原因からそのような思いが起こり、原因が無ければそのような思いも無いと観察するのじゃ。

 一度、真の悟りを得たならば何人で居ようと関係なく、そのままであるじゃろう。
 それは外から影響を受けて変わる事は無い、永久の変化なのじゃ。
 
2011-12-09 金 10:27:18 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
私は男で今まで仲の良かった女の子が急に冷たくなって目すら合わせてくれません。
その子は嫌いな人の目を見ることができないらしく、今後どうその子と接すればいいか
分かりません。どうすればよいでしょうか?
2012-01-28 土 19:03:09 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
しばらく距離を置く方がいいのう。
無理に追いかけようとすると、ますます怖がられて嫌いになるじゃろう。

つらいかも知れんが、しばらくはおぬしの方からもなるべく話し掛けたりしないで、連絡もしないようにするのじゃ。
そうすると向こうから連絡が来たりするものじゃ。
それが人間の心理と言うものじゃ。
2012-01-30 月 21:27:52 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
幸せの価値観
修行を続けていると、いかに世の中が欲で満ちあふれているかがわかってきました。
そこで出てきた問題なのですが、友人のほとんどが欲望のままに生きているなあと言うことが見えます。
以前は私も同じような状態だったので一緒にいて楽しめたんですが、幸せの価値観が変わってからは、相手の話を聞き流してしまいます。

価値観の違う友人と楽しくつきあうにはどうすればいいんでしょうか?
2012-02-05 日 01:28:31 | URL | カエル [編集]
それは仕方の無い事じゃ。
知識が増えたり、修行が進むに連れて修行者は一般の者とは違ってしまうものじゃ。
今まで多くの修行者がそれを経験してきたのじゃ。
孤独に耐えて進んだ者だけが悟りを得たのじゃ。
すでに欲望の虚しさを知った修行者は、例え修行を止めたとしても、もはや欲に喜びを見出す事は無いじゃろう。
お釈迦様はこのように言っておる。
78、悪い友と交わるな。卑しい人と交わるな。善い友と交われ。尊い人と交われ。

修行者は友を選び、孤独に耐えて進むしかないのじゃ。
2012-02-05 日 21:31:07 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
数息感について
友人についての質問にお答えいただき、ありがとうございました!

他にも質問があります。

先日、数息観をしていたときのはなしです。
はじめは、長く強めに呼吸をしながら数を数えていました。だんだんと集中してきたなと感じたくらいで、息が少し苦しくなりました。すると自然に呼吸をしているのかしていないのかくらいの浅い呼吸に切り替わりました。そして、息を止めたいという衝動がきたので、それに身をまかせてしばらく息を止め、浅く呼吸をするということを繰り返しました。
浅い呼吸に切り替わったくらいから、全身が熱くなり、目にはうっすらと涙が、手は汗ばみ、からだは岩になったように動かなくなりました。
思考もほとんど止まったようになりました。
数十分後でしょうか、からだがかたまってしまうような怖さが出てきたところで数息感をやめました。

これは瞑想が進んできたと言えるのでしょうか?

いくらでも座っていられるような感覚があるときは、長時間座るべきなんでしょうか?
からだがかたまってしまうような恐怖があります。

よろしくおねがいします。

2012-02-05 日 23:56:52 | URL | カエル [編集]
進んで居るのじゃ。
サマーディの入り口までやってきておるのう。
怖がらずにその感覚に身を任せるのじゃ。
深く静かな境地に至るじゃろう。
2012-02-09 木 12:51:19 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2012-02-09 木 17:32:21 | | [編集]
数息感についての質問にお答えいただきありがとうございました。

怖がらずに座るこころを見つけようと思います。
2012-02-09 木 21:49:02 | URL | カエル [編集]
はじめまして
はじめまして。しんと申します。
僕は時より死の恐怖にかられることがあります。
正確には死そのものへの恐怖と言うより
死に至る過程への恐怖と言った方がいいかもしれません。
自分が病院のベッドで癌の痛みと死の恐怖にうなされながら孤独に死んでいく姿を想像してしまうんです。
ただの妄想に過ぎないと思って忘れようとしても、頭にこびりついて離れないことがあります。
それに、実際問題、癌で死ぬ人は多いわけですから全くの妄想とも言えないと思うんです。
色々な本を読んだりして、自分の中にある不安をある程度癒すことができる
るようになっても、この病気で死んでいくことへの恐怖だけは消し去ることができません。
悟りを得るとこういった恐怖もなくなるのでしょうか?
2012-02-15 水 02:09:55 | URL | しん [編集]
ソワカちゃんは今の宗教とか思想の用語を使って居るから何かに惹かれるのじゃろう。
いずれ何も思わなくなるじゃろう。
自らの心の中に変わらぬものがあるのじゃ。
2012-02-15 水 20:22:03 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
カエル

どういたしまして、またおいでなさい。
2012-02-15 水 20:22:49 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
しん

 悟りを得れば死の恐怖も消えるじゃろう。
 苦を滅する瞑想を行えば、その恐怖だけを消す事もできるのじゃ。
 このブログに書いてある記事をいろいろと読んでみると良いのじゃ。
2012-02-15 水 20:33:18 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
ありがとうございます
お答えいただきありがとうございます。
じっくり読んでみたいと思います。
2012-02-15 水 23:19:14 | URL | しん [編集]
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2012-02-16 木 05:22:59 | | [編集]
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2012-02-23 木 14:44:57 | | [編集]
しん

そうじゃ、読んで見るのじゃ。
実践すれば必ず効果があるじゃろう。 
2012-02-23 木 21:18:41 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
ソワカちゃんに何かを感じるのならば、それはおぬしの心の中に原因があるのじゃろう。
それはわしにもわからない事じゃ。
自分の心の中に何故それを感じるのか追求してみるのじゃ。
常に追求しつづけるならば、忘れた頃に答えが出るじゃろう。
2012-02-23 木 21:40:21 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
悟空

こちらこそよろしくなのじゃ。
2012-02-23 木 21:43:28 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2012-02-26 日 21:32:22 | | [編集]
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2012-02-29 水 02:08:55 | | [編集]
何度も瞑想を行えば苦は完全に滅するじゃろう。
もし完全ではないならば、他に原因があるのかもしれん。
苦は複数の原因から起こる事もあるのじゃ。
さらに自らの心を探求するのじゃ。

大方は小さい頃からの教育によって能力が制限されておるからのう。
それを外されると能力が元に戻るものじゃ。
その教育も危険を避けるために。全ての能力を使わないようにするものであるがのう。
2012-02-29 水 19:03:21 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2012-02-29 水 23:46:03 | | [編集]
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2012-02-29 水 23:55:57 | | [編集]
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2012-03-01 木 01:52:20 | | [編集]
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2012-03-01 木 03:09:01 | | [編集]
他の方の参考にもなるかもしれないので表示ありで書き込みます。
お陰さまでだいぶ苦が減りました。
今日も数日前なら100のダメージを受けていた所が20くらいのダメージだったように思います。
残り20のダメージを受けたのは何故なのか、解明し、悟りを深めたいと思います。


2012-03-03 土 18:42:16 | URL | 悟空 [編集]
どんなに深い無意識の原因も、観察していけば滅して行くじゃろう。
その原因そのものは変わらなくとも、原因から起きる心の働きを変える事が出来るからなのじゃ。

苦の原因は大体そのようなものじゃ。
人によって違うが考えすぎる者などは、思想や観念の矛盾なども苦の原因となる事もあるじゃろう。
肉体そのものの痛みや病もあるのじゃ。
さらに死の苦を逃れようとするには悟りを得るしかないものじゃ。

心や己の性質まで観るのはいい事じゃ。
己の本心を観る事が出来れば悟りも近いのじゃ。
2012-03-04 日 14:53:44 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2012-03-06 火 03:28:17 | | [編集]
そうじゃ、そのような行いをしたり、思ったりする原因を一つ一つ己の心の中に探すのじゃ。
そして原因から生じた言動や思想の観察をすれば、必ずそれは滅するじゃろう。
すでに何人もこのお釈迦様が教えられた苦を滅する法によって利益を得ている。
おぬしも自らの変わっていく事を恐れず、心の中を観察してみるが良い。
必ず苦は滅するじゃろう。
2012-03-08 木 22:26:59 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2012-03-09 金 03:16:30 | | [編集]
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2012-03-09 金 17:23:27 | | [編集]
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2012-03-09 金 22:07:22 | | [編集]
和尚様。
ありがとうございます。
これから自分をひたすら観察する気になりました。
ひたすら自分と向き合うことでしか、究極的な問題解決や幸福には至れないのですね。
2012-03-11 日 02:00:36 | URL | いぬだいすき [編集]
どういたしまして、 またおいでなさい。
2012-03-14 水 22:24:13 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2012-03-19 月 07:21:07 | | [編集]
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2012-03-20 火 05:52:11 | | [編集]
いい事じゃ。
慈悲を行うのも修行じゃ。
またおいでなさい。
2012-03-28 水 11:14:45 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
平歩青天

見逃していたのじゃ。すまんのう。
お釈迦様の教えではシャマタという集中力を鍛える瞑想と、観察のヴィパッサナーを二つとも行うように言っておる。
数息観などの集中力を鍛えていないと、なかなか観察だけは出来ない者じゃ。
集中力があれば観察も深まり、己の心を制御する事も出来るのじゃ。
最初に数息観などをして、心が静まったら観察をして見ると良いのじゃ。

幻覚剤などは体を悪くするばかりでたいした効果は無いものじゃ。
姿勢を正しくするだけで、いくらでも深い瞑想に入れるのじゃ。
健康にも良いのじゃ。
薬をやる暇があれば姿勢を研究すれば良いのじゃ。
 
2012-04-03 火 20:06:12 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
鬼和尚 様
シンイチと申します。
いつも勉強させていただいております。
はじめてコメント投稿致します。
修行について質問させて下さい。
日々、坐禅や歩行など止観の瞑想を始めて一年近くなります。
坐禅をする時は家の内壁に面して座っています。
だんだん集中力が高まってくると、呼吸があるのかないのかわからないくらいになり、身体が動かない感じになります。
そして、眩しい感じが強まり、光の残像のようなものが見え始めます。
残像が視界に広がっていき、万華鏡を見ているような感じです。
その間は、特に何も考えず、『見えている』と思っていることが、多いですが、思考が完全停止しているわけではないような気がします。
その時によりますが、このような状態が20分から1時間くらい続きます。
これがいつものパターンなのですが、普段は、後述するような身震いなどはありません。
サマーディにこだわるつもりはないのですが、このような状態からさらにレベルアップするとどういう状態になるのでしょうか?
また、さらに瞑想を深めるにはどのような点に気をつければ良いでしょうか?

このような状態が電車の中で起こったことがあります。
知り合いが危篤になった時のことです。
苦が和らぐよう慈しみを念じていました。
同じように目の前が眩しくなり感覚がなくなるような感じがしました。
身震いするような感じもしました。
普段座っているときとは違う感じでした。

同じく、家で坐禅しつつ同様に慈しみを念じた時にも、一度だけ身震いするような感じになりました。
この身震いするような感覚は何なのでしょうか?

なお、平日は毎朝30分ほど座っています。歩行は1時間ほどです。休日は、1時間から2時間座ります。

長文失礼します。
よろしくお願いします。
2012-05-12 土 13:41:42 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
更に深くなれば光が光景に見えたり、人に見えたりするようになるかもしれん。
言葉も話したりするかもしれんが、それらは雑念である故に相手にしてはいかんのじゃ。
それに囚われると力はあるが迷いの内に戻る行者病になってしまうのじゃ。
囚われなければ自他の境界が消えた無念夢想のサマーディに入るじゃろう。
サマーディの間、呼吸が止まったりするが恐れずに身を任せるのじゃ。

そこに至るにはさらに上体の力を抜き、腰腹には力を入れ、腰腹の力を以って上体を支え、操るようにするのじゃ。
難しいかも知れんが、体の導くままに任せれば自然にそこに至るのじゃ。

身震いは感情による気の上昇じゃのう。
芸術的な音楽や絵などを見て感動した時にもそのようになるものじゃ。
すでに気が上昇し易くなっていることを示すのじゃ。
2012-05-15 火 12:58:56 | URL | 鬼和尚 [編集]
鬼和尚様
シンイチです。
ご指導ありがとうございます。
一点質問させてください。
『行者病』とはどのようなものでしょうか?
文脈から察するに、これに陥ると修行が停滞してしまうように思われます。
よろしくお願いします。
2012-05-15 火 20:39:19 | URL | シンイチ [編集]
和尚さん
修行をすればするほど世間と価値観がズレてしまい苦が生じるのですが
この苦は修行で克服できるのでしょうか
2012-05-22 火 14:29:10 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
Re: タイトルなし
シンイチ

行者病とはある程度、集中力がついた者に起こる病じゃ。
瞑想中に神仏が見えて、「おぬしは悟った」とか「世界の王になった」とか自分に都合の良い事を言うのを真に受けてしまい、自我肥大に陥ってしまうのじゃ。
集中力があるから普通の者が知れない事を知ったり、不思議な事も出来るようになるから、ますます自分が偉いと思い込み、他人の言う事も聞かなくなる。
そうして却って真の悟りへの道を閉ざしてしまう病気なのじゃ。

真の目覚めには一切の言葉もイメージも無く、それを支える記憶による認識さえも無いものじゃ。
2012-05-26 土 20:03:12 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
鬼和尚様
ご回答ありがとうございます。
姿勢についてのコメントなど再読し、姿勢を研究して見たいと思います。
ここ2週間ほど自分を見つめる時間を得ることができました。
悟ると何かが大きく変わるのではないか?という期待感に
囚われていた自分を発見しました。
また、「修行しているのだから心が強くなければならない」という
観念に囚われている自分も発見しました。
負荷をかけつづけたり心理的不快感を感じ続ければ心も疲れます。
今まで、自分の心に気づかずにいたことを思い知りました。
なんだか、自分の心身に対して配慮がなさすぎて申し訳ない
気持ちになりました。
何ものにも囚われることなく修行を続けようと思います。

鬼和尚様、引き続きご指導よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
2012-05-28 月 18:23:01 | URL | シンイチ [編集]
Re: タイトルなし
 その苦も克服できるじゃろう。
 苦とは常に自らの心にあるものじゃ。
 自らの心を整えれば苦が滅しない事は無いのじゃ。
2012-06-02 土 21:03:58 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
シンイチ

良い事じゃ。
自らの心に気づくほど楽になっていくものじゃ。
またおいでなさい。
2012-06-02 土 21:05:40 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
このブログで修行をしている者です。
記憶云々ではなくて性格が生き辛さの原因の様な気もします
性格を変えようとかなり努力しましたが本質的な部分は変わらない様な気がします
と言うのも私の性格とはそれこそ毎日部屋に篭って瞑想して居るような性格で
およそ実務的な事に疎いのです。あと他人と強調するのが苦手で、結婚なども苦痛です。性格を変えようと努力してきましたがもう、努力にも疲れ果てました
アドバイスをお願いいたします
2012-06-06 水 21:30:36 | URL | サイモン [編集]
サイモン

 そのような性格も原因が判れば変えられるのじゃ。
 性格もまた習慣によるものであるからのう。
 実務や人付き合いを避ける心境があるようじゃ。
 そのような心境がどこから起こるのか、原因を探してみるのじゃ。
 原因が判ればそれを滅する事も出来るのじゃ。

 しかし、特に目標と関係無い事ならば、無理に性格を変えようとしなくても良いのじゃ。
 それもまた個性であるからのう。
 自らの人生の目標から必要な事を選んだら良いのじゃ。
2012-06-12 火 20:55:36 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
電磁波の有害性についてどう思いますか
気分が悪くなったりする人もいるようですが
2012-09-02 日 06:03:39 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
確かに高圧線の近くに住む者などは影響があるようじゃ。
人体も神経電流があるから影響は受けるのじゃろう。
交通事故とか病気に気をつけるように、そのようなものに対する予防も必要じゃろう。
しかし、あまり気にし過ぎると、それが苦になったりするから一定の予防をしたら、後はあまり気にしない事じゃ。
肉体もまたいつかは壊れる仮の宿なのじゃ。
健康なうちに修行して安心の境地に行くと良いのじゃ。
2012-09-09 日 14:42:54 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
坐禅中の騒音について
はじめまして。いつも勉強させてもらっています。

坐禅修行を初めて1ヶ月程度です。
現在、朝・昼・夜に各20~30分座っています。
昼の坐禅について質問です。

今近くで工事をしており、その騒音が激しく集中できません。
心を乱される様を観察しようとするのですが、それも上手くいかないようです。
このような場合はどうすればいいのでしょうか?
耳栓などを使用しても構いませんか?

よろしくお願いします。
2012-09-26 水 14:35:06 | URL | まっさー [編集]
鬼和尚さん

善いことをすれば善いことが起こると思います。

自分にとって善かれと思っていたことが、相手にとって苦痛に思っていたようで、腹立たしく感じました。それで観察したところ善いことをしたのに、相手に苦痛に思う、自分にとって善いことではないことが起こることに腹立たしく感じていることに気付きました。

善いことをすれば善いことが起こる。お釈迦さんも言っているこの言葉もやはり幻、幻想なのでしょうか?

よろしくお願いします。
2012-09-28 金 22:29:05 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
親が生活習慣病まっしぐらの怠惰な生活をしています。このままだと病気になるだろうとアドバイスをしても聞く耳を持たないどころか、なぜ自分が怒られるのかわからないという反応です。頭の中がごちゃごちゃで人の話を聞けないようです。
他人を変えられないのはわかるのですがこのまま放置しておくのも気が引けます。
ヒントがありましたらお願いします。

2012-09-30 日 23:10:26 | URL | たけし [編集]
Re: 坐禅中の騒音について
まっさー

 耳栓をしても良いのじゃ。
 それは座りやすいように座布団を敷くのと同じような事じゃ。
 自分がやり易いように工夫しても良いのじゃ。
2012-10-01 月 21:25:51 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
小鬼ちゃん

そのような事は昔から良く言われておるものじゃ。
経典にも報いとは直ぐに来るものではなく、灰の中の火のように見えなくとも萌え続け、いつか燃える火のように表れると書いて居るのじゃ。
自分が慈悲の心で行った事ならば、相手には悪い結果になったとしても、いずれは善き報いがあるじゃろう。
安心して善き事を続けたらよいのじゃ。
2012-10-01 月 21:36:06 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
たけし

他人を動かすのはなかなか難しいものじゃ。
目標を決めて10キロ痩せたら何か買ってやるとか、褒美をやる手段もあるのじゃ。
なぜ自分がそこまでやらなければならないかと思うかも知れんが、そこまでやれば善事を行ったと言えるのじゃ。
2012-10-01 月 22:02:35 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
鬼和尚さん

ありがとうございました。精進します。
2012-10-02 火 07:51:35 | URL | まっさー [編集]
褒美ですか。思いつきませんでした。
ありがとうございました。
2012-10-02 火 23:50:06 | URL | たけし [編集]
小鬼です

また質問を。

だだをこねている子どもに勉強を、
やる気を感じられない人に仕事を、

人に教えても思ったようにやってくれません。
ほおっておいてもいいのですが、それは慈悲がある行為だろうかと疑問に感じます。

また勉強も仕事も、それは社会という枠組みの一つの幻想であると観て、その幻想を無理やりに人にさせなくても・・・という気持ちもあります。
こういった人たちにはどのような対応をしたらいいのでしょうか。
2012-10-03 水 20:55:01 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
Re: タイトルなし
まっさー

どういたしまして、またおいでなさい。
2012-10-10 水 19:10:43 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
たけし

どういたしまして、またおいでなさい。
2012-10-10 水 19:16:41 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
小鬼ちゃん

先ずは自らの迷いを滅するのじゃ。
それが社会の中の幻想によるものでも、本人のためになると思えば厳然として行うのじゃ。
そのようにして自他の利益を計るのが慈悲というものじゃ。

人に行いをさせるには、いろいろと技があるものじゃ。
何かをしたらこのような褒美があるとか、仕事をしたら誉めてやるとか、いろいろとやってみるのじゃ。
結果が良くなくとも努力に対して誉めてやると掠るのじゃ。
人を動かすにもいろいろと技があるから、良く調べて学んでみると良いのじゃ。
2012-10-10 水 19:23:53 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
初めまして。
以前悟りについて色々調べていたところ、こちらのブログに辿り着きました。
読ませてもらいましたが本当に理に適っていて、素晴らしいブログだと思います。
ところで鬼和尚さんは昔2チャンネルにいらっしゃったということですが、もう2チャンネルには書き込みしたりしないのですか??
2012-10-13 土 21:11:25 | URL | 猫 [編集]
Re: タイトルなし


書いているのじゃ。
相談のスレなどに今も毎日来ておる。
検索してみるのじゃ。
2012-10-16 火 09:30:55 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
レスありがとうございます。
早速相談のスレを見てみます。
2012-10-18 木 22:06:52 | URL | 猫 [編集]
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2012-10-21 日 02:02:30 | | [編集]


そうじゃ、さがしてみるのじゃ。
またおいでなさい。
2012-10-25 木 18:14:49 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし

そうじゃ、先ずは自分の問題を解決しなければいかんのじゃ。
どうしてもと頼まれれば手を貸すぐらいでいいのじゃ。

多くの苦を抱えていても一つ一つ滅して行けば、いずれ楽になるものじゃ。
先ずは判り易い、父親から叱られたから他人から怒られるのが怖く、その記憶が無ければ他人から怒られるのも怖くないと観察してみると良かろう。
一つの苦が滅しただけでも世界は変わるものじゃ。
必ず自らの道が開かれるじゃろう。
2012-10-25 木 18:19:23 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2012-10-31 水 22:29:16 | | [編集]
Re: タイトルなし
修行者K

 それで良いのじゃ。
 自らの修行に専念するのじゃ。
 その者はおぬしと母上に甘えているだけなのじゃ。
 外では誰にも隙を見せないようにしているために、そのような話をする事が出来ないのじゃろう。
 他人に好かれないからおぬしや母上にかまってくれとか、幸せにしてくれとか、努力を認めてくれとか、友人が居ないからおぬしや母上だけが理解者であるとか、そのように甘えているだけなのじゃ。

 そのうち嫁が出来れば同じように甘えるじゃろう。
 嫁から愚痴ばかり言うと相談されたら同じように言ってやるとよかろう。
 気にせずに修行に専念するのじゃ。
2012-11-04 日 20:57:39 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
和尚様

返信ありがとうございます。
また何かあればよろしくお願いします。
2012-11-04 日 23:54:22 | URL | 修行者K [編集]
こんにちは
初めて投稿させていただきます。あたまと申します。

ここ最近ずっと考えていることについて質問させてください。

私の知り合いにムスリムがおります。
とても考え方の柔軟な人だと、私は思っています。
しかしこの人とイスラームの話になった際に、やはりどうしても相容れない部分がある。私は今「仏教ファン」のような立場なので、当たり前といえばそうなんですが。

具体的にどんなことが問題になるかというと、大きく三つあります。

1 人間のエゴは、なくしようのないものか
2 人間のエゴや苦しみは、人間の成長のために欠かせないものか
3 人間は本当に、全能の神アッラーによって「試されて」いるのか

神の存在は、論理的に否定することが出来ないと、私は思っています。神を否定する論理を作るのもまた神である、という論理が可能だからです。

しかし、全能の神がいるかいないかで、エゴの意味が変わってきます。
神がいて、人間にエゴを与えて、その扱い方でもって人を「テスト」しているのだ、とそのムスリムの友人は言います。だから、エゴをなくすという仏教は「邪道だ」と。

それに、エゴをなくすなんてことは無理だし、人の生き方として不自然である。エゴや苦しみがあるから、人は成長するし、人生は豊かになる。たまに自殺する人もいるけれど、それも全て神の思し召しである、と友人は言います。

確かに、悟りを開いていなくても、なんとか苦しい苦しい言いながら、幸せに死んでいく人もけっこういますよね。


私はどう考えているかといいますと、以下のような具合です。
神の存在は否定も肯定も出来ない。もしかすると私の思考も行動も全部神がさせているのかも知れない。
でも苦しみという現実は、神の有無と関係がない。
神をイメージするということ、それもまたエゴによるものであり、そのエゴを捨てることで安らかな、あるべき状態に至れるのだとしたら、やはり私は仏道を行くべきではないか、と考えています。

鬼和尚さんはイスラームと仏教について、どのように考えていらっしゃいますか。
お聞かせいただけましたら、幸いでございます。
2012-11-09 金 21:46:38 | URL | あたま [編集]
どういたしまして、またおいでなさい。
2012-11-12 月 20:25:27 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: こんにちは
あたま

1 人間にはエゴが無いのじゃ。
 それは言葉とイメージによる幻想でしかないからのう。
 それを己と思うことで苦が生じるのじゃ。
 自分というイメージを守ろうとする苦、自分に必要だと考えるものを欲しがり、得られない苦などが起きるのじゃ。

2 赤子はエゴが無くとも成長するじゃろう。
 成長は肉体の働きであり、エゴとは無関係なのじゃ。
 
3 人間は本当に、全能の神アッラーによって「試されて」いるのか
 全能と言うものが矛盾した観念でしかない故に、それを人が作り出した幻想と知るが良いのじゃ。
 全能の者に作れない物が、作ることが出来るかと聞けば、作れてしまえば作れない物ではなく、作れなければ全能ではない。
 そのように全能とか全知の神とは昔の人間が作り出した、幼稚で矛盾した観念に過ぎないものじゃ。

 昔、1人の科学者が神と言う概念は必要ないと言ったのじゃ。
 すでに科学の範囲でも神は必要ではないのじゃ。
 神はあっても無くても、人が苦を原因から観察すれば、それは無くなる。
 神がいてもいなくても、人が自我の幻影を見破り、認識をも滅すれば悟りに至る。
 それは観念でしかない神を超えることでも在るのじゃ。
 お釈迦様が悟りを得たら、世界の創造主であるブラフマンが下僕として仕えに来たと言う伝説が、それを象徴しているのじゃ。
 どこにいるのかわからない神を考えるより、今自らの心を観察する事で、確実に苦は滅し、悟りへと至る事が出来るのじゃ。
 誤った観念に惑わされず、自ら試して道を行くのじゃ。
2012-12-01 土 18:33:41 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
心をなくして、顔だけ笑顔を浮かべて、楽しく実績が上がる仕事が出来るのだろうか?

前の職場では、そういったやり方をして、どんどん孤立していって、
特に引き止められるわけでもなく、辞めた。

友人は、みんなから寄せ書きを書いてもらい、頼りにされている中、辞めていった。

その違いはなんだろう。友人がうらやましい、というか周りの人のその差別感が腹立たしい。
僕はもう3社目だ。どこでも仕事が、仕事上の人間関係がうまくいかない。
人から信頼されている感じがしない。辞めても、あっそうって感じ。
信頼する、されるから仕事が成り立つ。だからこれはまずいと思っている。

以前、鬼和尚が2chで言ったように、社会では仮面をつけて幻想のもと仕事している
というが、そうやってもうまくいかなかった。直観的にうまくいきそうにない。

どうやって、うまく社会でうまく立ち回っていけるか、
そして笑顔で仕事をしていいか教えて欲しい。
独りだったらいいが、養う家族がいる。

会議で、テーマに沿った話をするのではなく、関係のない内輪の雑談で終わっている時がある。
それは会議に出席した人に対して、時間の無駄だし失礼だ。
そして、会議では一人が一方的に話をしている。相手の考えややり方を聞かずに
どうやって一致団結してうまくできるというのだろうか?

そんな感じで会議が馬鹿らしくなってしまい、ずっとだんまり、
心を失くして、顔だけ笑顔が浮かべて楽しくない。

一方的に話す人もいるんだからと、大きな心で認めてあげたらいいのだろうか?
それとも自分は純粋なのだろうか?仕事というものに求めすぎているのだろうか?

顔だけ笑顔が浮かべてた自分を見ている人も、楽しくないだろう。
そして信頼もされないだろう。

笑顔でいたい。周りに無財の七施を行いたい。どうしたらいいだろう。
困ってます。


支離滅裂で、落ち込んだ気持ちをただただ綴ってみました。
一貫していないと思いますが、
鬼和尚!元気の出るアドバイスを頂戴したく思います。
2013-01-11 金 15:28:13 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
Re: タイトルなし
おぬしもコミュニケーションが上手く行かないようじゃのう。
コミュニケーションも普通の勉強と同じように、学んで実践する事で身につけることが出来るものじゃ。
コミュニケーションについて書かれた本を読んだり、周りの者を観たりして学び、実践して身に付けていくのじゃ。

他人に優しい言葉をかける事も施しの一つなのじゃ。
何でも良いから周りの者を誉めてやったりするのじゃ。
服がきれいだとか、靴が良いとか何でも良いのじゃ。
そのような言葉が人間関係の潤滑油になるのじゃ。
誉める言葉が無ければ口を開くなと言う格言もあるぐらいであるからのう。
そのように実践したり学んだりして、コミュニケーションを身につけるのじゃ。
2013-01-15 火 20:47:23 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
小鬼ちゃんの言うことはよく解る気がする。
何のために人に優しくするのだろう・・・と以前はよくおもった。
何ともいえない焦燥感。

人と比べないようにしても

人に親切にしても

我慢すればするほど

損してる気がして。

けれど人に親切にして僅かながら返ってくる

温かい思いはあった。

それすら返ってこず

逆に裏切られたりもした

傷つけば、億劫になり

ありがとうと感謝されたら鼻がたかくなる


心は素直です。


自分に嘘はつけない

つけたとしてもそれに何の御利益もないと思う。

そもそも僕も、小鬼ちゃんも

なぜそう苦しい思いをするのか

そもそも僕らは何故そう思うようになったのか

そもそも何処から出発したのか

そもそも、そもそも。

そもそもをないがしろにしたら

その先の道で光を失うのかもしれない。

僕らはその途端に盲目になってしまうのだろう。

今、気付けてないことは有るんだ。

それに気づければ

真っ暗な道にも街灯は灯るのかもしれない。


そもそも盲目にならないようにするには

僕らは何をしたらいいのか。


和尚は言う。


心を見よと


共に参りましょう。

ただただ

虚しく、豊かに。
2013-01-15 火 22:43:47 | URL | sei [編集]
禅病
どうしても悟りたく、毎日坐禅をしています。

最近、瞑想が深まると呼吸がほとんど止まったように感じられるよう
になっていたのですが、先日瞑想中に突然大きなエネルギーが尾てい骨から
わきおこり頭頂部にむかって、上昇して来ました。

そのときは大きな快感を感じたのですが、その日以来、瞑想をしていなくても丹田にエネルギーが周り、身体がものすごく熱くなったり、寒くなったり、突然漠然とした不安に襲われるようになってしまいました。全く仕事に集中できず、特に夜寝るときになると症状がひどく、眠れません。

また、これ以上症状が悪化するのが怖く、坐禅が停滞しています。
このような症状に対処する方法があったら教えていただけませんでしょうか。






2013-02-21 木 05:51:34 | URL | さとし [編集]
それは所謂クンダリニーが上昇した状態なのじゃ。
いろいろと対処の仕方があるのじゃ。

気が頭に上って眠れない時等は、自分が滝を浴びているというイメージをして、新鮮な水が体の中まで通って下に流れていくと思えば気が下がるのじゃ。
白隠が行ったように薬が体の中を下りていくイメージするのも良いのじゃ。
ただ単に気が下に下りていくとイメージするだけでも出来るようになるのじゃ。

或いは胸式呼吸なども役に立つのじゃ。
息を吸った時に胸を膨らませ、息を吐いて胸を小さくしながら気が下に下りていくとイメージするのじゃ。
気が余っている時は眉間や胸の中央に集中してみると良いのじゃ。

いろいろと試してみると良いのじゃ。
2013-02-21 木 13:39:50 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
和尚様、

大変貴重な情報を教えていただき感謝いたします。

特に心臓部に集中することにより、身体の気のバランスがとれたようで、仕事にも
集中でき、よく眠れるようになりました。

このような些細なことで心が動揺してしまわないよう、また数息観からやり直そうと思います。

2013-02-25 月 23:46:19 | URL | さとし [編集]
良かったのじゃ。
どういたしまして、またおいでなさい。
2013-03-03 日 20:10:50 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
はじめまして
鬼和尚 様
ゆみと申します。

相談です。
自分がどう生きたいのかわかりません。
素直な気持ちがわかりません。
見つけるには、どのような方法がありますか。
ご存知でしたら教えてください。

もうひとつ
自立するための手立てもご存知でしたら教えてください。

よろしくお願いいたします。
2013-03-19 火 12:43:54 | URL | ゆみ [編集]
Re: はじめまして
先ずは自分を受け入れ、自分の心に正直になるようにしなければならん。
他人に話さなくて良いから、自分には自分の心の嫌な所や醜い所などを知り、それを受け入れ認めるのじゃ。
誰でも理想の自分と、今の自分と違ったりしているものじゃ。
今の自分の性格や体質などを正直に見て、それを受け入れるのじゃ。
そうすれば自分が何を好み、何が嫌いか判るじゃろう。
そして好きな事や、それに関する事を自分の生き方にすると良いのじゃ。

自立する仕事も好きな事やそれに関する事ならば、長く続けられ楽しくやれるものじゃ。
自分が何に向いているか、知りたい時は能力試験などを受けてみると良いのじゃ。
各地方自治体でやっているのを受ければ、自分を知る助けにもなるじゃろう。
職業訓練なども無料でやっていたりするから、自分の好きな仕事と関連するようなものがあれば、受けてみると良いのじゃ。
2013-03-19 火 20:53:37 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
鬼和尚 様
ご返答ありがとうございました。

「自分がどう生きたいのか」が定まることは、自我の完成とイコールですか?
私はまだ自我が全然完成していないように思います。
自我を作る方法をご存知でしたら教えてください。

あと
鬼和尚様がご返答してくださった「自立」というのは「経済的や社会的な自立」というように捉えてよいのでしょうか。
精神的な自立をする手立てがありましたら、併せてご返答お願いいたします。
2013-03-20 水 10:11:15 | URL | ゆみ [編集]
Re: タイトルなし
ゆみ

「自分がどう生きたいのか」が定まることは、自我の中核となるが、未だ完成とはいえないのじゃ。
 自我はあってもそれが死による限界があると気づく時、自我は完成したとも言えるのじゃ。
 わしが自立というのは経済的や社会的な自立でもあるが、精神の自立にも繋がるのじゃ。

 旅をしたりして人と離れ、一人になって自分とは何かと考える事が自我を作り、精神的にも自立するのに役立つじゃろう。
 そばに常に人が居れば依存は続き、自立は難しいのじゃ。
 一人になり、孤独を味わえばそこから自分というものがどのようなものであるかわかり、自分だけで生きる覚悟も固まるのじゃ。
 孤独は誰にも辛いものであるが、自立するには欠かせないものであり、自分を知る機会にもなるのじゃ。
2013-03-28 木 15:34:55 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
鬼和尚 様

わかりやすいご返答をありがとうございます。

旅をしても旅が終わればまた依存してしまいます。
一人でいても携帯電話などがあって、一人ではないという不確かな安心感があります。
家には常に人がいます。

孤独を感じても、依存できるものがそばにあると、私はそちらに流されます。
すぐに孤独から逃げられます。

自立をするために、依存できるさまざまなものを手放し、自分が孤独を十分に味わえる環境を整えることが必要なのでしょうか。
2013-03-29 金 12:00:09 | URL | ゆみ [編集]
Re: タイトルなし
ゆみ

 そのような環境を整えることも良いことじゃ。
 旅をしたり、何度も孤独で居れば、人は変わってくるものじゃ。
 旅でも何でもたった一人で何事かを成し遂げたという経験があれば、人は自立していくじゃろう。
 一人でも生きていけると自信がついた時、自立は出来ているのじゃ。 
 
2013-03-31 日 21:17:47 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
鬼和尚 様

ありがとうございました。
2013-04-02 火 15:22:46 | URL | ゆみ [編集]
これだけ働く理由
鬼和尚 様

はじめましてjihi4541と申します。
長文失礼します。余裕のあるときにお読み頂ければ幸いです。

さっそく悩みですが、「働く気になれない」「どうにかして働く気になりたい」というものです。
以下、義務だろうと思って自己分析をしております。混乱しております故、当てになさらずアドバイス頂けると幸いです。

■症状
プログラマとして毎日9時から22時までサボることなく働いております。
この時間帯は習慣や周りの目もあって、怠けることなく働けております。
ですが22時を過ぎて会社に誰もいなくなると、気が緩み働かなくなってしまいます。

先々週は、納期が厳しいという実感があり、焦っていたお陰か、24時や1時までも働けていました。
それが、ここの所、気が緩んでしまっています。(相変わらず納期が差し迫っているのにも関わらずです)

あまつさえストレスの為か、ここ最近は暴飲暴食をしております。
先々週までは小欲知足のもと1日1食、慈悲の実践のもと菜食を通していたのが目も当てられない始末です。

■治したい動機
このままでは納期が守れずお客さんに迷惑をかけてしまいます。
なによりも、そのことでお客さん、上司から叱責されることを恐れています。怒られるのが怖い。これが一番の動機です。

■原因
「怒られるのが怖い」という「働く気」を促す気持ちがあります。
と同時に、「もう怒られてもいいや」という気もあります。
「なんでここまで働かないといけないの」という怒りもあります。

省みるに「働く気になれない」原因は次の2点だと思います。
1.「働く気」に反する気持ちがあるため
2.「働く気」を促す気持ちが弱いため(焦りが弱い。現状認識が甘い)

1の原因は「慈悲の瞑想」をすれば取り除けるように思います。
2の原因は「現状認識をしっかりする」「慈悲の瞑想で新たな動機を作る」ことで解消できると考えました。

■処置と経過
それで実際、対応してみようとしたのですが、2の原因の所でつまりました。
まず「現状認識をしっかりする」というのは具体的に何をすればいいのかというところで詰まりました。
・納期を守らないことで、どれだけお客さん・上司・社会が困るか、ということを具体的に知ればいいのでしょうか。どうしたらそれが知れるのでしょうか。

次に「慈悲の瞑想で新たな動機を作る」ですが、「お客さんのために」という気持ちを育てようとしているのですが、これっぽちもそういう気持ちが湧いてこないので困っています。
自分の作ったソフトでお客さんが助かっている姿がまるで思い描けません。
視点を変えて、自社内に慈悲の視点を移しても、うまくいきません。自分は新人見習いであり、さんざん周りに助けてもらいながら開発をしている状況です。ほとんど会社の役に立っている実感がありません。自分は給料を盗んでいるんだ、会社に借金をしているんだと思っています。(前の案件では赤字を出してしまいましたし)

怒られることはあっても、喜ばれたことはありません。見習いとはそういう立場であり、その事自体は受け入れています。
問題は、じゃあどういう動機で今働くのか、ということです。

「一分一秒でも早く一人前になって、会社や社会に対しての負債を無くし、役に立てるようになろう」と思うことでしょうか。そう思えればいいのですが、どうすれば思えるのでしょうか。


人生の最終的な目標は「幸せになること」「幸せであること」つまり「苦を無くすこと」と思っています。
「暴飲暴食をしたら苦しくなるよ」「欲は苦を生むよ」と知識として分かっていても、それを行動に反映するだけの実感が伴っていません。
「慈悲の心を持てば幸せになるよ」と知識としてわかっていても、それを行動に反映するだけの実感が伴っていません。
「人の役に立てば幸せになるよ」と(以下略)。
何をすればいいか、何をしていいか、何を優先してしなければならないか、右も左も分かりません。

仏教はスマナサーラ長老の本で知識を入れました。頭で理解しても実践が伴っていません。
大変混乱しております。どうすればいいのでしょうか?

■その他思っていること
「上座仏教修道会で出家したいな」とか思って出家の計画を思い描いたりしました。この行為は仕事から逃げているだけだと思います。
同様に「慈悲の瞑想をしよう」と思って、行動に移そうとしたとき、またしているとき、それがただ仕事から逃げたいからしているだけなのか、「するに足る理由があってしているのか」分からないときがあります。
その他の瞑想についても同様。
目の前にある仕事をすることと、瞑想と、どちらを優先していいか分からなくなります。

瞑想をしなければ心が荒んで結果として、仕事をしていなかったりします。
かといって「瞑想をするから今は仕事は置いておこう」と仕事をしないことを正当化するのも問題に思えます。結果として仕事をしていないのだから。
何をもとに判断すればいいのでしょうか?

■まとめ
Q1. 現状何を優先してすべきでしょうか?その判断材料は?
Q2. 「心を育てること(瞑想、仏教の勉強)」と「社会的な義務(仕事)」への時間の分配に何か良い方針はあるのでしょうか?
Q3. 人は(幸せであるために)何を一番優先して行動すべきなのでしょうか?(解脱すること?じゃあ在家は何を行動の指針、人生の目標にしているの?(在家で解脱はできないとして))

今までスマナサーラ長老の教えを鵜呑み・信仰に近い形で取り入れていました。
結果として、身に沁みていない考えなので、実践が続かず破綻しました。

どんな教えも、とりあえず真偽を留保した状態で信仰する。その上で、実験・検証して結果を見て、本当に信仰する。
というのはかなり身が折れるなと、仏教の厳しさ・正しさを感じております。

長文で申し訳ないですが、アドバイスをお願いします。信仰したい、藁にも縋りたい思いで相談しております。混乱しております。
以上です。
2013-04-04 木 03:06:24 | URL | jihi4541 [編集]
Re: タイトルなし
ゆみ

どういたしまして、またおいでなさい。
2013-04-04 木 22:32:24 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: これだけ働く理由
jihi4541

Q1. 現状何を優先してすべきでしょうか?その判断材料は?

 おぬしは働きすぎじゃ。1日13時間も働いておる。
 明らかに働きすぎなのじゃ。
 疲れた体と心が休息を必要としているのじゃ。
 これ以上無理をすればうつ病とか過労死する恐れもあるのじゃ。
 そのような会社は辞めるが良かろう。
 社会的にも労働基準法違反であろう。
 心と体の要求を受け入れ、休むが良かろう。

Q2. 「心を育てること(瞑想、仏教の勉強)」と「社会的な義務(仕事)」への時間の分配に何か良い方針はあるのでしょうか?

 仕事をしていてもその自分を観察すれば常に修行している事になるのじゃ。
 同時にやれば良いのじゃ。
 疲れたら止めれば良いのじゃ。

Q3. 人は(幸せであるために)何を一番優先して行動すべきなのでしょうか?(解脱すること?じゃあ在家は何を行動の指針、人生の目標にしているの?(在家で解脱はできないとして))

 自分を自分の主として己の心と体を養うが良かろう。
 他人に怒られるのが恐いとか、客が金を儲けるためにという理由で心身を疲れさせてはいかんのじゃ。

 在家でも悟れるのじゃ。
 お釈迦様もマハリシも仏教の出家僧ではなかったのじゃ。
 
 今のおぬしに最も必要な事は、自分の主となり、心と体の要求に応える事じゃ。
 上司や長老の言葉ではなく、疲れて混乱している自分の心と体の声を聞くのじゃ。
 ヴィパッサナーとは己の心身を観察し、その状態に気づく事なのじゃ。
 今のおぬしには自分の心身の状態が見えておらず、更に心身に無理をさせようとしておる。
 例えば10の力しか持たない者が、100の荷物を持とうとすれば体が壊れるだけじゃろう。
 今、10時間以上も働き、更に働かなければならないとする社会的な要求は、明らかに破滅への道となっているのじゃ。

 なぜこんなに働かなければならないのとかというおぬしの疑問こそ正しいのじゃ。
 誰も肉体の制限以上に働く事は出来ないのじゃ。
 社会の法律さえもそれを認め、労働者を守るために労働時間を制限しておる。
 心身が破壊されてしまえば、修行も何も無いのじゃ。
 今のおぬしは言わば社会的な洗脳状態にある故に、もっと働かなければならないとか、瞑想や何かで働く気にならなければならないとか思わされておる。
 自らを観察し、それに気づく事が自分を知ることであり、真の修行なのじゃ。
2013-04-04 木 23:04:02 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
覚者の中には特に瞑想や修行をせずに悟りを得る者もいるようです。

臨死体験や何らかの出来事がきっかけで覚醒することもあるようですが、私のような大多数の一般人にとっては、そのような機会に出会うことも そこから悟りに至る洞察を得るほどの状態にはないと思うのです。

だからこそほとんどの人は、悟りに至るためには瞑想や禅などの修行により 集中力や洞察力を高め、自ら悟りに近づく必要があると思うのですが、この考えは正しいでしょうか?

修行など必要ないと語る人もいますが、本や経典を読むだけでは思考の範疇を超える
ことはできないのではないかと感じ始めたのです。
2013-04-30 火 18:01:25 | URL | 修行者K [編集]
Re: タイトルなし
修行者K

そうじゃ、正しいのじゃ。
マハリシも修行法などは何も知らなかったが、死に行くものを観察して悟りを得たのじゃ。
お釈迦様も止観は知らなかったが、七日間座って悟りを得たのじゃ。
本当に真摯に死を超えたものを追求するならば、それだけでも悟りは訪れるのじゃ。
何故ならば悟りは外から来るものではなく、心の中から訪れるものであるからのう。
大地の如くすでに心の基盤として在るものに、気づけば良いだけなのじゃ。
2013-05-02 木 16:04:17 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
ありがとうございます。

死を超えたいという意思を忘れずに
気づきを高め、真理を見出せるように
修行を続けていきたいと思います。
2013-05-02 木 22:36:23 | URL | 修行者K [編集]
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2013-05-08 水 21:13:03 | | [編集]
Re: タイトルなし
修行者K

どういたしまして、またおいでなさい。
2013-05-13 月 14:45:03 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
れもん

 そのようになるには原因があるものじゃ。
 特に自分を良く見せようとか、相手に気に入られたいとか、そのように思っていると失敗しないようにしようとか、何か気に入るような事を話さなければいけないとか思って却って緊張してしまうのじゃ。
 そのような原因から、緊張が起こり、その原因が無ければ緊張も起こらないと自分の心を観察するのじゃ。

 自分をよく見せたいとか、気に入られたいと言うような原因が消えたならば、緊張する事も無くなるじゃろう。
 それで消えなければ他にも原因を探してみるのじゃ。
 心から生じた原因が行ないに出るのじゃ。
 正しい原因が判れば緊張も無くなるじゃろう。 
2013-05-13 月 14:52:24 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2013-05-13 月 21:35:44 | | [編集]
Re: 原因
れもん

苦の原因は観察によって自らの心の中から探し出せるものなのじゃ。
先ずはその苦そのものを観察してみるのじゃ。
それが最初の観察なのじゃ。
現にある苦をどのような苦であるのか、詳細に観察し、分析してみるのじゃ。
人に執着し、会えないのを苦しむ愛別離苦なのか、それとも違うのか、心の中に観察するのじゃ。
それは気づく事によって頭でも理解されるのじゃ。

原因を消すとか、消そうとか思わなくて良いのじゃ。
ただ原因から苦が生じると観察するのじゃ。
観察が出来れば原因も結果である苦も消えるのじゃ。

集中と観察によって、苦と苦の起こる原因と苦が滅した状態の観察を正しく行なう事により、一切の苦は滅するじゃろう。
少しずつでもそれらを観察し、正しい原因に気づき、日々行うならば苦も滅していくじゃろう。
大きな枯れ枝の山も、小さな火が一つ着けば忽ち燃えてなくなるように、多くの苦も観察していけばやがては無くなり楽になるものじゃ。
自らの本心を観察し、苦を滅していくのじゃ。
2013-05-24 金 13:03:07 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2013-05-26 日 22:41:42 | | [編集]
れもん

どういたしまして、またおいでなさい。
2013-06-02 日 20:43:10 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2013-11-06 水 13:30:51 | | [編集]
Re: 背骨の歪み
さとし

それは姿勢が乱れていても自然な身体の動きにまかせた方が良いのじゃ。
首や頭が動くのも肉体を治そうとする働きであるからのう。
動くままにして置けばゆがみも直るじゃろう。
無意識に身を委ねる事も学ぶと良いのじゃ。

2013-11-15 金 18:51:37 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2013-11-25 月 22:44:21 | | [編集]
Re: タイトルなし
さとし

 三昧の入り口にまで来たようじゃのう。
 経験に囚われず初心のまま、ひたすらに集中すれば忘我も訪れるじゃろう。
 またおいでなさい。
2013-11-28 木 21:11:56 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2013-12-11 水 12:07:36 | | [編集]
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2013-12-21 土 23:36:46 | | [編集]
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2013-12-24 火 17:43:27 | | [編集]
Re: タイトルなし
さとし

普段でも気が頭に上るのは、下腹に力が入っているからなのじゃ。
意識して腹の力を抜いて生活すれば、気が昇らなくなるのじゃ。
或いは胸に集中するなどしてコントロールすると良いのじゃ。
気もコントロールが出来るようになるものなのじゃ。
2013-12-29 日 13:00:01 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2013-12-30 月 00:41:18 | | [編集]
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2014-01-02 木 23:52:03 | | [編集]
Re: 心の病(神経症)
メンヘラjk

 先ずは今やっている瞑想などは全て止める事じゃ。
 すでに何年もやっていて悪化するばかりであるから無意味なのじゃ。

 そして自分を責めたり、虐待したり、強制したりする事を止めるのじゃ。
 真の大乗仏教は自他の利益をはかるものじゃ。
 自分を責めたりしていては自分の不利益をはかる事になり、真の大乗仏教ではないのじゃ。
 自分の心の働きをよく観察して、そのような働きを注意して止めるようにするのじゃ。

 更に肩の力を抜いてリラックスする事を学ぶのじゃ。
 寝ていても座っていても良いのじゃ。
 全身の力を抜いてリラックスするのが真の瞑想の始まりなのじゃ。
 住居や体も清潔にすればよりリラックスするのじゃ。
 このようなことをやってみるのじゃ。
2014-01-07 火 21:22:41 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
 さとし
 
 どういたしまして、またおいでなさい。
2014-01-07 火 21:25:11 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2014-01-08 水 12:54:18 | | [編集]
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2014-01-17 金 02:01:06 | | [編集]
Re: タイトルなし
メンヘラjk

どういたしまして、またおいでなさい。
2014-01-24 金 20:40:56 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
れもん

 好きな相手が居るなら告白して付き合ったらよいのじゃ。
 お釈迦様の教団には夫婦の者達も修行していたという。
 付き合いながらも修行できるじゃろう。

 とにかくメールでもするようにして多く話し告白するのじゃ。
 駄目でも修行に専念できるから良いのじゃ。
 付き合えずに愛別離苦が起きたらその苦も滅する事が出来るのじゃ。
2014-01-24 金 21:07:19 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
「自分も世界も、RPGゲームの中に登場するキャラと世界のように、架空の存在であり、実際には存在すらしてないものであり、すべてに主体(中の人・物)は存在しない。生死や言葉や思考や感情や感覚なども含め、すべての変化は主体なしに自動的に起こっているようにみえるだけのものであり、本当はなんの意味も重要性も力も有していない」

昔RPGゲームが好きだったのでこのように観想しているのですが、なにか問題点や改善点などはありますか?このまま続けても大丈夫でしょうか?
2014-02-15 土 23:42:12 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
観想法や数息観をしているせいなのか、夢でも意識がはっきりとしてきました。
そして夢の中で死ぬことがあったのですが、死後しばらく、肉体も精神もなにもなくただ意識だけが知覚されている状態が続いた後、突然違う夢の登場人物になっていたという体験をしたことがあります。

この世の死と生まれ変わりもこの体験と同じようなものなのでしょうか?
それと、そのとき意識を知覚していた働きが阿頼耶識というものですか?
2014-02-16 日 00:13:09 | URL | ゲーム [編集]
鬼和尚さん、私が感じる「自分」とは、自意識の感覚のことだと気づきました。
目覚めているときや夢を見ているときには大体いつも自意識の感覚がありますが、
夢を見ていない眠りの間は自意識の感覚がないので、その間は「自分」がいません。
この自意識の感覚を滅するために、ひたすらこれだけを注視しようと思っているのですが、このやり方は誤りでしょうか?何かアドバイスいただければうれしいです。
2014-02-18 火 22:32:11 | URL | ゲーム [編集]
Re: タイトルなし
名無し

それでも良いのじゃ。
そのまま続けるのじゃ。
囚われが無くなるじゃろう。
2014-02-23 日 20:29:10 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
ゲーム

そのようなものじゃ。
それが阿頼耶識と言えるのじゃ。

2014-02-23 日 22:19:17 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
ゲーム

そうじゃ、それを観察したら良いのじゃ。
その自意識がどのように起こるのかとか、どのような原因から起こるのかとかを観察するのじゃ。
それが出来れば自我も滅するじゃろう。
2014-02-24 月 19:17:18 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: 和尚様のお知恵を拝借させてください。
masa

 人が異性を求めるのは子孫を残そうとする本能であるのを忘れてはいかんのじゃ。
 それを忘れて我慢しすぎると痴漢とか変態行為に走ってしまうのじゃ。
 その安全弁として発散するのは良いじゃろう。

 そのエネルギーは適切に貯められれば、創造的な活動のための力となるものじゃ。
 ①人に優しくするためにも役に立つじゃろう。
 ②現状の生活に不平、不満を抱かずに身の程を弁えた生活を送ることにもエネルギーは役に立つじゃろう。

 更には本来異性を求めるためのものであるから、コミュニケーションの能力を磨いて恥かしさや躊躇いを越えて子孫繁栄のための活動を行うエネルギーにもなるじゃろう。
 要するにそれは極端な抑圧を行うべきではなく、適切に管理されるべきエネルギーであるという事なのじゃ。
 それを常に心掛けて管理に勤めるのじゃ。
2014-03-01 土 21:47:51 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
返信が遅れて申し訳ありません。

ありがとうございました。
和尚様の言葉を参考に管理勤めます。

また、ご教授ください。
2014-03-09 日 20:02:25 | URL | masa [編集]
ある人に同情してしまったことがありました。
その人は完全に自業自得だったのですが、それを含めてやたら哀れでした。
何かしてやりたいと思ったら、訳の分からない恨み悲しみ疎外感を感じました。
半日鬱でグデグデでしたが、それを感じる理由らしいものが無かったので不思議でした。
もしかしてこの感情は同情した人のものでは?と思い、自分のものではないと気づいた瞬間スカーンと心が晴れました。
他人の感情を共有するということはあるのでしょうか?
あと感情は着てるTシャツのようなものであるとよくわかりました。

自業自得の人間を助けようとするのは、カルマ回収のチャンスを与えようとしてる宇宙への反抗になるのではと思っています。
宇宙摂理の邪魔をして地獄へ行くのはもうまっぴらです。
逆に宇宙摂理のお手伝いになっていれば偽善でも天へ行くことが出来るのでしょう。
ですが、我で考えて行動している人間に判断は難しいと思います。
自分にも我があるので目の前の人がカルマ回収中なのか単なる事故で助けるべき人なのか瞬時に判断できなくて悩んでいます。
2014-03-15 土 12:40:47 | URL | ブブ [編集]
Re: タイトルなし
masa

そうじゃ、適切に管理するのじゃ。
またおいでなさい。
2014-03-24 月 21:47:19 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
ブブ

 他人の感情を共有するということもあるじゃろう。
 あまり強く共感してはいかんのじゃ。
 自分の修行を優先するが良いのじゃ。
 
 命に関わるぐらいならば一時助けたら良いのじゃ。
 
2014-03-24 月 21:57:53 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
ずっと前に相談しました子鬼です。

また相談に乗ってください。
仕事していく上で無駄な会議が耐え難い苦痛です。
それで自分の心を観察してみました。

・会議はくだらないと上司にいっちゃいけない。
・ずっと座っていなくてはいけない。
・上司の分かりきった説明を聞かなければならない。
・正直な考えを言ったら、怒られるから我慢しないといけない。
・終わったあとに得るものがなく、時間の無駄ひいては人生の無駄
・話をしても相手に理解できるだけの頭と度量がないので、沈黙しなければならない。
・年上は尊いので尊重しないといけないし、それに逆らってはいけない
・真理に間違ったことを延々と聞かされるのは苦痛である。(売り上げさえあげればいいんだ。顧客のことは知らないみたなこと)
・その状況で正論をいえない、自分の非力さがみじめ。


・・・と観察してみると、でるわでるわでびっくりしました。
特に年上という存在(すぐ怒られそうだ、怖いという気持ち)と、会議中の不自由さにかなり縛られ感がありました。

自由というのは自分が決めるのもとどこかで聞いたことがあります。
ですが、他人から左右されている感じがどうしても否めません。

これから、どのような心の持ち様でどのような態度でどのような行動があればいいでしょうか?助言おねがいします。
2014-05-14 水 19:15:18 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
Re: タイトルなし
子鬼

 そのような状況でも自分に出来る事があるじゃろう。
 それを探して行うのじゃ。
 頭の中で先の計画を立てるとか、やる事に優先順位をつけるとか、演説する者や他人を観察するとか、やれる事は幾らでもあるじゃろう。
 それを行えば自ら主体的に行う事になるのじゃ。

 他人の行為に感情を持つだけならば、それは反応で生きているだけなのじゃ。
 反応しかしないならば、全て他人に任せた行いしか出来い、他人を主とする事になるじゃろう。
 どのような状況でも自分で考えて行うならば、反応ではなく主体的に自らを主とする事が出来るのじゃ。
 そのように考えて実行してみるのじゃ。
 
2014-05-31 土 12:29:36 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2014-06-29 日 00:47:48 | | [編集]
Re: 仕事が出来ない
くに

 一度に多くの技を覚えようとしてはいかんのじゃ。
 一度に多くの事をしようとしてもいかんのじゃ。
 同じ事を何度も間違えるならば、その仕事を完全に覚えるまで練習するのじゃ。
 素早く正確に出来るようになってから、別の技を習うのじゃ。

 忙しい時ほど真っ先にやるべき仕事を一つずつ行っていくのじゃ。
 全てをやろうとしてはいかんのじゃ。
 そして忙しい時ほど正確に行うのじゃ。
 どこに行っても忘れずに練習してみるのじゃ。
 
2014-06-29 日 21:47:53 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2014-06-29 日 22:25:12 | | [編集]
Re: 仕事が出来ない
くに

 おぬしが一つずつでも正確に仕事を覚え、一人前になれば良くなるじゃろう。
 今は全力で仕事を覚える以外にすべきことはないのじゃ。
 誰でも一万回は行えば何でも上手くなるものじゃ。
 専心して行うのじゃ。
2014-07-11 金 21:53:14 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2014-10-08 水 21:29:21 | | [編集]
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2014-10-09 木 16:37:12 | | [編集]
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2014-10-16 木 02:59:26 | | [編集]
Re: 昨日、質問した者です。
> 不死の境地の意味がわかりました。


そのようなものじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
2014-10-16 木 21:03:27 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: 間違えていたら指摘お願いします。
> 認識を滅していくと、行き着く先は、何もない。

 そうじゃ、何も無いで良いのじゃ。
 言葉にすれば何も無いのじゃ。
 そこに悟道があるのじゃ。
 無認識に至るのじゃ。
2014-10-16 木 21:05:03 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2014-12-28 日 17:43:24 | | [編集]
Re: 記憶に関して
 ななし

 記憶とは人の持つ能力のひとつ過ぎないものじゃ。
 それが自我の元となっている故に自己同一化も強いのじゃ。
 見る能力が己ではなく、己のものでもないように記憶も己ではなく、己のものでもないのじゃ。
 目が開いていれば主体無く自然にものが見えるように、記憶も主体無く自然に記録する働きを持っているのじゃ。

 
2015-01-02 金 19:35:06 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
精神安定剤
精神安定剤・抗うつ剤を服用しているのですが、瞑想してもよいのでしょうか。
それとも、服用をストップしてからしたほうがよいのでしょうか。
アドバイスをお願いします。
2015-01-25 日 16:41:18 | URL | 名無し [編集]
Re: 精神安定剤
 名無し

 瞑想してもよいのじゃ。
 心が鎮まったら薬はやめて行くと良いのじゃ。
 体操や気功やヨーガなどもして体を健康にするのも良いのじゃ。
 いろいろ試してみるのじゃ。
2015-02-01 日 20:11:49 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
記憶に関連して
記憶が記録する能力であることはわかりました。
では、雑念が沸いてくるのは、何が原因でしょうか?心ですか?
記憶の情報を元にして、何かが再生しているように思えるのですが…
例えばなんですが、肉体が病身であるため、食事制限をしています。
観察をしていると、食べたいものでないにも関わらず、頭にイメージが沸いてすぐに消えていくという事が起こっています。
以前はそれを自分の食べたいものと誤解して、食べては苦しむというアホな事をしていました。
2015-02-20 金 01:34:33 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
Re: 記憶に関連して
ななし

 雑念は自分という観念から生まれるのじゃ。
 自分に関する記憶が瞑想中にも蘇ってくるのじゃ。
 そしてそれを自分のものと思ってしまうのじゃ。
 自我が忘れられるだけでも観念は停止してサマーディに入れるのじゃ。
 精進在るのみなのじゃ。
2015-02-24 火 20:35:00 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2015-04-22 水 05:14:19 | | [編集]
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2015-05-01 金 09:02:01 | | [編集]
Re: タイトルなし
ゆーじ

 違うのじゃ。

 「サマーディ」は忘我にまで至った精神の集中状態なのじゃ。
 「自我の観照」は観察によって自我のありように気づく事なのじゃ。

 サマーディによって自我の観照も起こりやすくなるが、必ず起こるとは限らないのじゃ。
 最後に必要なのは強い意志と勇気なのじゃ。
2015-05-01 金 20:54:07 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: はじめまして
 S
 優先して自分を幸せにするとはものを買う事ではないじゃろう。
 自らの心を先ず整えなければ他人に施す事も出来ないから、それを優先する事じゃな。
 
 それはおぬし達にはもはや何の報いももたらさないじゃろう。
 夫にはローンを払わなければ成らない環境をもたらすじゃろう。

 おぬしはもはや夫にはかまわず、自らの収入を増やす工夫をすると良かろう。
 自らの能力を全て見直して、出来る事を探すのじゃ。
 おぬしにはまだまだ埋もれている能力があるじゃろう。
 収入と資産を増やして安楽になると良いのじゃ。
 金持ち父さん貧乏父さんの本なども読んでみると良いのじゃ。

2015-05-01 金 21:07:28 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2015-05-01 金 22:43:05 | | [編集]
Re: ありがとうございました
S

 良かったのじゃ。
 次は自分の心を育てると良いのじゃ。
 またおいでなさい。

2015-05-02 土 19:31:13 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2015-05-06 水 18:25:26 | | [編集]
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2015-05-16 土 00:19:01 | | [編集]
Re: 鬼和尚様へ
ATDX

 更に進むと良いのじゃ。
 欲によってではなく、知性によって、正く向けられた意思によって悟りに進むのじゃ。
 人には今が安楽でもやがては老病死の苦を受ける定めにあるのじゃ。
 それを知性で察知して、一切の苦がない状態にまで進めようとするのが正しく向けられた意思と言えるのじゃ。
 そのように欲によってではなく、知性と正しい意思によって悟りの道を進むと良いのじゃ。
2015-05-24 日 19:43:39 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
ヒロ

 二人とも悟っていないのじゃ。
 商売がしたいようじゃ。
 つぼを買わされないように注意するのじゃ。
2015-05-24 日 20:08:12 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re2: 鬼和尚様へ
鬼和尚様

ご多忙のところ、レス頂きありがとうございます。
ご指摘の項目をしっかりこころに受け止め、更に工夫を重ねてその火を
絶やさないようにいたしたいと思います。

2015-05-25 月 06:24:15 | URL | ATDX [編集]
Re: Re2: 鬼和尚様へ
ATDX

 そうじゃ、日々精進すれば悟りは向こうからやってくるのじゃ。
 またおいでなさい。
 
2015-06-02 火 21:24:43 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
教えてください
瞑想などを家族や友人に勧めるのは良いことなのでしょうか。
彼らの多くは悟りなどに興味を持つ人々ではありませんが、
自分が愛する人々に幸せになってほしいという気持ちがあります。
彼らに勧めることはよいことなのか、それとも余計なお世話なのか、
なかなか自分で判断できないでいます。アドバイスをお願いいたします。
2015-06-09 火 00:39:51 | URL | ななし [編集]
鬼和尚様 またお知恵をお貸しください。

10年前、自分自身のあり方に大きな疑問があり、
紆余曲折ありまして、「自分の心がくだらないことを考えるなら、
生きとして生けるものが幸せでありましょうに」と心の中で念じることを
続けてきました。
10年くらいずっと電車のなかでも時間があれば念じてみたり、風呂のなかで
念じてみたり、少し時間があれば念じてきました。

その成果として以前と比較して人に優しくできているのを実感できますし、
人からmasaさんは優しいですねといわれることが多くなりました。
何より心に安定感がでてきたことを実感しています。仕事上でもプラス面が
たくさんありました。

ここからが今回のご相談なのですが、最近、自分自身のあらたな課題?というか
改善すべき点として現状に不満を抱きやすい、現状に満足せずに過度に何かを求めてイライラすることが多い傾向があることがわりました。

私自身は単純な言葉を心のなかで念じるスタイルのほうが向いているような気がしますので、現状に不満を抱かず感謝する心の習慣を定着させるフレーズ等を鬼和尚様がご存知でしたらご教授ください。

この先10年は感謝の念を成長させることを主眼において生活していきたいです。
よろしくお願いします。
2015-06-13 土 11:14:57 | URL | masa [編集]
Re: 教えてください
ななし

 善いことなのじゃ。
 テレビや本などで医者や専門家が健康法を教えているのと同じなのじゃ。
 瞑想は心と体を健康にしてくれるものじゃ。
 どんどん教えたら良いのじゃ。
2015-06-15 月 16:06:07 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
masa

 善いことじゃ。
 今此処に無い事や無い物事を見ずに、今此処にある物事を見て感謝するのじゃ。
 そして感謝の心を持って「ありがとうございます」と言うだけで良いのじゃ。
 ありがとうという言う機会があれば何時でも逃さず、感謝しながら言えば満足はひとりでに起こるじゃろう。
 
2015-06-15 月 16:13:07 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2015-06-21 日 23:50:48 | | [編集]
Re: タイトルなし
ヒロ

どういたしまして、またおいでなさい。
2015-07-03 金 12:34:44 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2015-11-01 日 11:55:08 | | [編集]
Re: タイトルなし
妙信

 投稿出来ていないのじゃ。
 コメントには無いのじゃ。
 バグかも知れん。
 大事な話はメモにして保存しておくと良いのじゃ。
 
2015-11-02 月 15:37:32 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2015-11-02 月 22:18:08 | | [編集]
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2015-11-05 木 19:28:33 | | [編集]
Re: タイトルなし
 妙信

 観察とは自分の本心を観る事なのじゃ。
 本当に感じている事や認識している事をありのままに受け入れ、心の反応を観るのじゃ。
 方法だけを機械的に繰り返しても無意味なのじゃ。

 親から虐待を受けた者は親に対して正しく偉いものと言うイメージがあるから、虐待を受けた自分が悪いものであるという罪悪感を持ったりするのじゃ。
 自分を責めたり、悪いものとか汚いものとか思うのじゃ。
 そして更にその事を観ないようにしているのじゃ。
 そのような心の働きから、それら諸々の苦や不安や障害が起こっていることをありのままに観察するのじゃ。
 そうすれば無くなるじゃろう。

 親もまた完璧なものではないのじゃ。愚かさや欲から間違った事もするのじゃ。
 あたかも虫が迷って体に止まったり、針をさして血をすうようなものじゃ。
 虫がそのようにしても心に残らないのは、そのようなものとイメージがあるからなのじゃ。
 正しく偉い親が同じ事をすれば、罰を受けたと感じるのはそのイメージのためなのじゃ。
 そのような事も観察によって気づくのじゃ。
2015-11-22 日 20:28:18 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
名無し

 そのように匿名にすれば誰にも見えないのじゃ。
 わしの答だけが見えるじゃろう。
 気にせず質問すると良いのじゃ。
2015-11-22 日 20:32:24 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2015-12-22 火 18:44:10 | | [編集]
Re: おはこんばんちは
龍華

 心の奥を覗けばそこにわしは居るのじゃ。
 見えないのは未だ奥まで見ていないからなのじゃ。
 早く来ると良いのじゃ。
2015-12-26 土 20:09:09 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2016-01-28 木 20:10:42 | | [編集]
Re: タイトルなし
箒木

 不還果というものはないから誰もなれないのじゃ。
 真理も阿羅漢もないから誰も得られないのじゃ。
 おぬしの本心は異性を求めているのじゃ。
 自らの本心を認め、受け入れなければ何の意味も無いのじゃ。
 異性を求めてナンパでもすると良いのじゃ。
 本心を偽るよりはましなのじゃ。
 自分が本当は何をしたいのか、本心に訊ねて随うしかないのじゃ。
 それが本当の修行の始まりなのじゃ。
2016-02-01 月 20:15:27 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2016-02-02 火 08:21:54 | | [編集]
目的と手段
仏教を学ぶ目的とは、悟りを得ることなのですか?
悟りを得ることは一般人には難しいと思いますが、悟りを得ずに仏教を学ぶことはできますか?

また、仏教を学ぶということは、このホームページで書かれている様な、数息観を行ったり、ものを観察する訓練をすること、自我の観察をすることなどだと思いますが、
それらを愚直に実践するだけでいいのでしょうか?
2016-02-06 土 18:06:11 | URL | 通りすがり [編集]
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2016-02-09 火 23:21:43 | | [編集]
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2016-02-10 水 12:44:02 | | [編集]
Re: タイトルなし
箒木

 善かったのじゃ。
 何度でも来ると良いのじゃ。
 またおいでなさい。
2016-02-11 木 18:45:00 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: 目的と手段
通りすがり

 お釈迦様が教えたことは、悟りを得る方法の他に、善事を行い福楽を得る方法もあるのじゃ。
 善い事をすれば今の世で善い報いがあり、死んでも善い所にいくのじゃ。
 それもまた仏教の実践なのじゃ。

 苦を滅する方法も実践すれば楽になるじゃろう。
 そのように実践し、今福楽を得て、死んだ後にも善い所にいけると安心するのも良いのじゃ。
 
2016-02-11 木 18:59:41 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
不肖の弟子

 そのような事情ならばやめたらよいのじゃ。
 関わっていてはもはや身を養う事も出来なくなるからのう。
 もっと自他の利益になる所で長く勤めたら良いのじゃ。
 またおいでなさい。

 
2016-02-11 木 19:08:42 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: よろしくお願い致します。
石川

 そのようなところは辞めたら良いのじゃ。
 仏門に入った意味が無いのじゃ。
 単なる葬儀屋の下請けなのじゃ。
 仕事をしながら修行したほうが余程増しなのじゃ。
 そもそも何故仏門に入ろうとしたのか、初心を思い出し、真摯に道を求めるが良いのじゃ。
 もはや禅定の仕方は知っているであろうから、独り道を求めるが良いのじゃ。
2016-02-11 木 19:13:29 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
ありがとうございます。
頑張って探してみます。
2016-02-11 木 19:39:19 | URL | 不肖の弟子 [編集]
悟りに関する特集番組をしています
悟りへの道 という 悟った人に話を聞く番組を 3年近く放送しています

もしよろしければ 鬼和尚さまも 出でいただくことは できないでしょうか?

よろしくお願いします。

スピリチュアルTV http://spiritual-tv.com/
2016-02-26 金 12:20:18 | URL | 小泉義仁 [編集]
Re: タイトルなし
不肖の弟子

 そうじゃ、自ら探すのじゃ。
 またおいでなさい。
2016-03-03 木 14:31:15 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: 悟りに関する特集番組をしています
小泉

 おぬし自身が実践し、人々に伝えていくのじゃ。
 それが真の悟りへの道なのじゃ。
 
2016-03-03 木 14:51:24 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2016-04-16 土 01:08:14 | | [編集]
Re: タイトルなし
名無し

 今の環境を詳しく書くとよいのじゃ。
 今の環境が過去の報いであるためにそれを知れば過去もわかるのじゃ。
 自分で見てもよいのじゃ。
2016-04-20 水 21:47:03 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2016-05-02 月 21:02:49 | | [編集]
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2016-05-13 金 19:00:54 | | [編集]
Re: タイトルなし
名無し

 そのように思うのも心に苦があるからなのじゃ。
 それを受け入れどのような苦であるのか観察してみるのじゃ。
 自分のミスが受け入れられないとか、怠慢による結果が受け入れられないとかそのような苦があること観察するのじゃ。 
 それが自己イメージと離れているから受け入れられないのかも知れん。
 そのような原因がわかれば変えられるのじゃ。

 環境が善いものならば過去に善いことをしてきた報いじゃろう。
 今の自分の行いによる報いを受け入れるのじゃ。 
 それもまた家族や周囲の期待によるものかもしれん。
 誰一人老病死の苦から逃れられないこの世では、ただ悟りを得るために修行すべきだけなのじゃ。
 その過程で苦がなくなるならば善いことなのじゃ。
2016-05-19 木 19:32:41 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
箒木

 そのように自分を責め、自己憐憫に陥るのも原因があるからなのじゃ。
 そのような親にしつけられたとか、なのじゃ。
 原因がわかれば、観察によってなくすこともできるのじゃ。
 原因から苦が起こり、原因が無ければ苦が起こらないと自分の心を観察すれば苦もなくなるのじゃ。
 そのように苦を滅し修行が進むに連れて楽になっていくようにするのじゃ。
2016-05-19 木 19:50:04 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2016-05-20 金 07:39:28 | | [編集]
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2016-05-27 金 04:39:45 | | [編集]
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2016-05-29 日 01:15:51 | | [編集]
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2016-05-31 火 02:48:50 | | [編集]
Re: タイトルなし
箒木

 そうじゃ、そのように記憶からものごとを同じとする瞬間を観察するのじゃ。
 しかしそれは自我があると困難であるから、先ずは自分というものを認識する瞬間を観察すると良いのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
2016-06-02 木 12:50:50 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
龍閃

 悟って居ないのじゃ。
 自らを主として自らの心を観察するのじゃ。
 ただひたすらにそれを行えば迷う事も無くなるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
2016-06-02 木 13:08:13 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
名無し

 神職であったようじゃ。
 武人のような事もしていたようじゃ。

 何かを得るためにはそれを得るために正しい知識が無ければならないのじゃ。
 富を得るためには数学とか、お金に関する正しい知識が必要なのじゃ。
 異性を得るためにはその心を得るために正しい知識が必要なのじゃ。
 権力を得るためには人心収攬の為の政治的知識が必要なのじゃ。

 そのように欲しいものを認めた上で、正しい知識を学び、実践する事で何事も得られるのじゃ。
 何も欲しくない振りをして居れば何も得られないのじゃ。
 そのような知識を得て実践すれば、この世で十分なものが得られるじゃろう。

 その上で善いことをすれば幸運によって得やすくなるじゃろう。
 瞑想によって集中力が上がれば、知識を実行するときに役に立つじゃろう。

 善いことをすれば自らの心が報いるのじゃ。
 施せば施されるじゃろう。
 そのように自らに報いるからなのじゃ。

 真言や祈りは集中力を増す効果があるじゃろう。
 善事を行う事には及ばないのじゃ。
2016-06-02 木 13:19:13 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
名無し

 それには自己イメージを正しいものにする事が最も効果があるのじゃ。
 自分が積極的で、誠実で成功するに相応しいものという自己イメージがあれば、自然に成功にまい進するのじゃ。
 宗教による価値観も役には立つじゃろう。

 宗教本を読んでも意味は無いのじゃ。
 お金に関する正しい知識があれば金持ちにもなるのじゃ。
 金持ち父さんの本を読んでみると良いのじゃ。
 所謂「自己啓発」というジャンルの本を読めば、そのような願望に役立つ事が学べるじゃろう。
 検索などをして探して見ると良いのじゃ。

 ヨーガなどもそのようなものに役に立つ技が学べるじゃろう。
 最初に知識が無ければ何も出来ないのじゃ。
 多く学んで実践すれば欲しいものも得られるのじゃ。
2016-06-02 木 13:27:19 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2016-06-02 木 14:05:44 | | [編集]
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2016-06-03 金 21:06:37 | | [編集]
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2016-06-04 土 23:59:35 | | [編集]
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2016-06-06 月 23:28:35 | | [編集]
Re: タイトルなし
箒木

 観察を行えば自分に気づく時が訪れるじゃろう。
 常に自分というものを追求していく事も必要なのじゃ。
 日常でも観察し続けるならば、その役に立つじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。
2016-06-20 月 12:30:46 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
名無し

 肉体の機能を高めるには呼吸法が効果的なのじゃ。
 ヨーガや気功法などの呼吸法を行えば、精力が肉体に溢れるようになるのじゃ。
 その上で筋肉を増やすトレーニングなどをするとよいのじゃ。
 ヨーガや気功法にも筋肉を増やす技があるのじゃ。
 呼吸と共に体を動かせば、無理なく筋肉も増やせて健康にも成るのじゃ。
 
 内臓が健康になれば食事も多く食べられるのじゃ。
 豆腐などを食べると良いのじゃ。

 小食であれば大抵の者は健康になり、そのために運も開けるのじゃ。
 不健康では運も逃げていくのじゃ。
2016-06-20 月 12:40:58 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
名無し

 異性を遠ざけているのはおぬし自身のコミュニケーション能力が低いからなのじゃ。
 テレビの芸人などを研究して人との会話の仕方や喜ばせ方を学んでナンパに励むのじゃ。
 医者も金儲けばかりしていたら福楽はこないじゃろう。

 じさつすれば今より苦しくなるじゃろう。
 人は自らの行いによって相応しいところに生まれるのじゃ。
 自分の肉体を壊せば、その行いによって更に苦しいところに生まれるじゃろう。
 今の世で頑張れば良いのじゃ。

 ほんの少し勇気を出してナンパに励むと良いのじゃ。
 百人に声をかければ二人は話が出来るというのじゃ。
 百人に断られるつもりで実践するのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。

 美しい肉体、イケメンになるにはほんの少しの金が要るだけなのじゃ。
 美容整形で少し眼を変えるだけで大抵イケメンになるというのじゃ。
 ナンパの役に立つじゃろう。
 それだけの勇気が足りないだけなのじゃ。
 実践すれば人生が変わるじゃろう。
2016-06-20 月 12:51:40 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
ありがとうございます。毎日工夫して精進します。
2016-06-20 月 20:44:32 | URL | 箒木 [編集]
Re: タイトルなし
箒木

 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。
2016-07-02 土 20:09:23 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2016-07-06 水 03:23:48 | | [編集]
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2016-07-09 土 10:06:37 | | [編集]
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2016-07-13 水 19:23:27 | | [編集]
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2016-07-14 木 22:07:16 | | [編集]
Re: タイトルなし
名無し

 自分を傷つければ報いにより今より醜く不自由な肉体に生まれるじゃろう。
 過去の記憶から今の反応が起こる過程を観察すれば、その影響もなくなるのじゃ。
 苦滅の法の記事を読んで苦を滅する法を実践するのじゃ。

 今の行いの報いが来世にでるのじゃ。
 行ないの結果だけが来世に報いるのじゃ。
 選ぶことも出来ないのじゃ

 今そのような生活なのは心の中に原因があるからなのじゃ。
 自分では見ようとしなかった原因が心の中にあるから、逃避としてそのような生活になったのじゃ。
 人が怖いとか、自己イメージが傷ついたとかが原因じゃろう。
 
 試験に落ちて優秀な自分というイメージが傷つき、絶望したことが原因で何もする気が無くなったのじゃろう。 
 過去のカルマなどは今の肉体と環境のみなのじゃ。
 適正な能力と努力によって試験に合格していればそのような自己イメージが傷つくことも無く、やる気もあったことじゃろう。
 今の自分の意志と行ないが、最も今の環境を作り出す原因となるのじゃ。

 試験に受からない自分を受け入れ、新しい自己イメージを作ればよいのじゃ。
 自己イメージが傷ついているから異性にも自信が持てず、逃げているのじゃ。
 過去世などは関係ないのじゃ。
 今の自分の本心を受け入れ、自己イメージを革新すれば身の程を知り、人間の格も大きくなるじゃろう。
 全ては自己イメージが原因なのじゃ。

 心を落ち着けて記憶を辿れば前世も自分でみれるのじゃ。
2016-07-18 月 20:05:25 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
>三摩地

 そのような癖も記憶から来るものじゃ。
 最初に行なったときに喜びがあったから、再び得ようと思うのじゃ。
 そのような記憶から今の喜びを得ようという衝動があり、その記憶が無かったときには衝動も無かったと自分の心を観察するのじゃ。
 完全に観察できればその癖も消えるのじゃ。
 何度も観察して完全に滅するがよいのじゃ。
2016-07-18 月 20:11:46 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: 小悟と大悟
天泣仙人

 かなり進んでいるのじゃ。
 大悟に達すれば智恵が生じ、自然に究極の境地であると教えてくれるのじゃ。
 もはや他人に教えられることも無いのじゃ。
 どのような境地であってもその境地を観るものがあれば、未だ大悟徹底ではないのじゃ。
 観るものがなくなって本来一切無二なのじゃ。
 悟っても悟らなくとも精進あるのみなのじゃ。
2016-07-18 月 20:30:54 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
初陽

 それはクンダリニーがあがった状態なのじゃ。
 座っていれば自然に起こるものじゃ。
 気が多くなるからさまざまな能力も発揮できるが、恐れる必要も無いのじや。
 正しい姿勢でいれば気が頭の中央にあるブラフマランドラ(梵天の座)に入り、自然にサマーディに入れるのじゃ。
 眠れなくなったら気を下に下げる方法を行なうのじゃ。
 冷たい滝の水を浴びて気が下に下がるイメージをするとか、胸や足に集中すると気が下がるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
 
 
2016-07-18 月 20:36:46 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2016-07-19 火 08:49:39 | | [編集]
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2016-07-19 火 20:22:06 | | [編集]
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2016-07-31 日 03:45:07 | | [編集]
Re: タイトルなし
天泣仙人

 善かったのじゃ。
 迷った時は常に自分が老病死を克服したか、確認してみると良いのじゃ。
 特に死を超えていなければ全ての修行も境地も何の意味も無いのじゃ。
 無我を観るものをも滅して究極の悟りに至るまで精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。
2016-08-02 火 11:37:07 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
初陽

 そのまま修行して座れば常に確実にサマーディに入れるようになるのじゃ。
 更に自分の心身を観察し続けていれば、サマーディの中でも観察が出来るようになるじゃろう。
 その時、自我を観ることも容易になるのじゃ。
 自我が観られたならば厭離が起こり、無我に至るじゃろう。
 無我を観るものさえ観察などで滅したならば、真の大悟徹底に至るのじゃ。
 それまだ精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。
2016-08-02 火 11:41:08 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
名無し

 そのような状況では親や親戚兄弟との関わりが先ず疑われるのじゃ。
 優秀であると誇示する親とか兄弟に対して、依存する故に自ら駄目な自分を演じているのじゃ。
 親とか兄弟もおぬしの役割によって、優越感とか必要とされている喜びを得ているのじゃ。
 そのような状態を共に依存する共依存と呼ぶのじゃ。

 それもまた互いの孤独感などが原因なのじゃ。
 本当は能力があっても親兄弟などから離れることが恐ろしいから、駄目な自分のイメージをつくり、そのイメージのまま無意識に行動してしまうのじゃ。
 大人になれば離れなければならないという恐れがあるから、異性にも自分から近づかないようにしているのじゃ。
 おぬし自身もかなり判ってはいるが離れるのが恐ろしいから、わからないふりをしているのじゃ。

 それが全ての原因なのじゃ。
 依存による駄目な自己イメージが原因とわかって少し癒えたのじゃ。
 全て自らの力なのじゃ。

 そのような心の働きを観察するのじゃ。
 ただ観察できるだけで変わっていくじゃろう。

 今からでも普通に生活できるようになるじゃろう。
 積極的な自分をイメージするのじゃ。
 ナンパ俳優とか芸人などを自分のイメージと取り替えるだけでもかわるのじゃ。
 おぬしは今日からナンパ師なのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
2016-08-02 火 11:58:23 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
イメージ
これは、「私の場合」ではあるのですが

自己イメージを操作するのは、中々難しいですよ。

私の場合ですが、目の前の異性も、自己もあらゆる状況も、イメージであるがゆえに、実体は無いと捉えること(イメージをイメージととらえる。イメージの世界を一旦捨てる。)で、対象や状況に対して、在る程度自由に振舞うことが出来るようになりました。



2016-08-18 木 21:28:21 | URL | 悟空 [編集]
Re: イメージ
悟空

 善かったのじゃ。
 さらに精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。
2016-09-02 金 21:06:41 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2016-09-05 月 12:16:43 | | [編集]
Re: タイトルなし
初陽

 それらはいずれも気が頭に上ったときに起こる現象なのじゃ。
 長く座っていれば自然に起こるものじゃ。
 ヨーガではクンダリニーがあがったというのじゃ。

 しかし、それはヴィパッサナーによって起こる効果とは違うものじゃ。
 観察ではなく、気による効果なのじゃ。
 それに囚われれば観察による効果を知らないままになるじゃろう。
 観察ではどのような内光もなく、ただひたすらに自らの本心を観察することで、苦を滅するだけなのじゃ。
 観察による効果を望むならばそれに囚われる事無く、観察に励むのじゃ。 
2016-09-19 月 18:34:14 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2016-09-21 水 04:24:20 | | [編集]
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2016-09-21 水 20:23:28 | | [編集]
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2016-09-22 木 09:54:25 | | [編集]
初めして
鬼和尚さん、本心を観続けることで、自我が落ち、認識を滅する事が出来るのですか?
2016-09-24 土 11:49:47 | URL | とっしー [編集]
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2016-09-25 日 19:05:02 | | [編集]
Re: タイトルなし
見習い

① 自我とは観念なのじゃ。
  記憶によって維持されている言葉とイメージなのじゃ。

 ② それでよいのじゃ。
   自我を滅し、認識をも滅することなのじゃ。

 ③ 認識が記憶に依って機能している状態なのじゃ。
   記憶に汚染されているとも言えるのじゃ。
   それは本来の状態ではなく、それを滅して本来の認識に至るのじゃ。

 ④ まだ観念があるからなのじゃ。
   完全な悟りを得れば観念は無くなり、言葉やイメージに囚われることもなくなるのじゃ。 
2016-10-02 日 19:16:36 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
 名無し

 許すのじゃ。
 またおいでなさい。
2016-10-02 日 19:17:55 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: 初めして
とっしー

 そうじや、ただひたすらに本心を観察することで、自我は滅し、認識も滅するじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。
2016-10-02 日 19:19:40 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
 見習い

① 自我が滅していればそれは容易に滅することができるのじゃ。
 ただ無我となってもその状態を認識している能力が在るのじゃ。
 それに気付き、観察するか、空であると観想すればよいのじゃ。
 そうすれば認識も滅するのじゃ。

② 自我と認識を滅する作業を行えばそれだけで悟りは訪れるじゃろう。
 というより自我というものに確かに気付いてしまえば、それだけで無我になるのじゃ。
 自我が自分だけでなく、ただの観念妄想であったとわかるからのう。

③ それは人と話をするためには仮にでも自我が必要であるからなのじゃ。
  無我のままでは人と話すこともできないのじゃ。
  主語が使えなくなるからのう。
  仮の自我かあれば自我からの観点も度々生じるのじゃ。
  しかし既に悟っているから次々に滅することができるのじや。

④ いらないじゃろう。
  それも実は自我の強化をするための罠となるじやろう。
  否定することでも自我が実在することを証明し続けることになるからのう。
  存在しないものは否定も出来ないはずであるからのう。
  ただ自分を空と観ることのほうが容易じゃろう。
  空であればあることはなく、無いことすらないのじゃ。

⑤ ないのじゃ。
  ただ自我が観られただけで観照は訪れるのじゃ。
2016-10-02 日 19:37:53 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2016-10-07 金 07:05:34 | | [編集]
Re: タイトルなし
見習い

 ① 違うようじゃのう。
  無我になった状態で既に主体や他はないのじゃ。
  見ている者はおらず、ただ機能があるのみなのじゃ。
  最後には主観も客観も無いのじゃ。
  観照もただ単に自我の気付きであるから崩壊もなにもなく瞬時に終わるものじゃ。
  輝く意識なども無いのじゃ。
  オショーとかクリシュナムルティの本を読むとよいのじゃ。

② そのようなものじゃ。
  例えば道端のひもを蛇と思い込んでいたものが、正しくひもとわかっても人々には蛇と説くようなものじゃ。
  存在しないものもそれを未だ認識する者にはわからない故に、あえて謬見をもって説くのじゃ。

③ 自我を持つのも習慣によるものであるから今までと同じく自分があるつもりで日常を送るのじゃ。
  そうすれば仮の自我も身についてくるのじゃ。
 
④ それは人によって違うのじゃ。
  認識にどのように気付くかは本人しだいであるからのう。
  無我を見ているものがあると気付く者も居るじゃろう。
  りんごを認識してその縁起から気づく者も居るじゃろう。
  全て本人しだいなのじゃ。

 ⑤ 気付きは本来一瞬で起こるものじゃ。
   道端の蛇が本当は紐であったと正確に見れば一瞬で気付くようにのう。
   しかし、それを正確に見る為には、人によっては恐れがあるために何度も見なければならないことも在るじゃろう。
   そのような違いがあるのじゃ。   
2016-10-20 木 21:12:52 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2016-10-25 火 22:40:46 | | [編集]
ご回答ありがとうございます。「観照の崩壊」という現象についてはまだ自分の中で不明瞭な点があります。
ネット上で、ある程度「観照の崩壊」という現象について触れられていた記事があるので、下にリンクを貼らせていただきます。

https://resonanz360.com/2013/01/24/greg-goode-interview-2011-4/

上に貼ったリンク先の記事の中でグレッグ・グッドさんという方が観照の崩壊が起こった時のお話をされていますのでその記事の中からそのことが話されている箇所を引用しようと思うのですが、引用文は行の先頭の文字を二つ空けることで引用部分とそれ以外の自分の文とを明確に区別しようと思ったのですが、ここへ書き込むにあたり先頭の文字を二つ空けるということが機能的になのか、不可能である、ということがわかったので引用箇所は『』(=二重かぎかっこ)でくくることで代用させてください。

以下、引用です。↓

『Q. この観照の崩壊が起こったとき、エネルギー的な現象というものはあったのでしょうか? なにか特別なことは起こりましたか?

A. 崩壊はふいに起こりました。自己と他者の間の分離も、客観性というものも、そのすべてがでっちあげだということを、完全に認識したときに起こったんです。観照ですら、でっちあげだったんです。親切に見せかけてはいますが、信用詐欺のようなものです。

観照は、もともと不安定なものです。確かに、あらゆるものが分離しているという主張が嘘であることを、観照によって見抜くことができるというのは事実です。でも、この認識が可能になるのは、観照が、これは非常にとらえづらいことですが、まったく同じように分離をつくりだすからなんです。

そのことがわかったとき、信用詐欺が明らかになりました。それはあたかも、見るものと見られるものとの間の「隔たり」が意識に変わったという感じでした。

一瞬のうちに、観照とそれに対して現れる現れという構造が分解してしまいました。エネルギー的な現象はありました。火花か熱の流れが指から心臓に流れ込み、それが頭のてっぺんから飛び出すという感覚です。

そのエネルギーの流れは90分ほど続いてから落ち着いて、そして消えました。その後も、分離が戻ることはありませんでした。観照という形態には他の二元性もつきまとっていました。たとえば、「これ・・・これ・・・これ」という感覚や、現れては消えていくという感覚、そして何かがあってそれが見られているというような感覚です。こうした感覚も消えてしまい、二度と戻りませんでした。そのどれもが永久に消えてしまいました。』
(引用は以上です。)出典 グレッグ・グッドのインタビュー 2011年 (4)/resonanz360
https://resonanz360.com/2013/01/24/greg-goode-interview-2011-4/

上記の記事では、「観照の崩壊」という現象はそれが起こる時には上記のようなエネルギー的な現象も伴う、と書かれています。
また、上記の文章と同じ出典元のまた別の文章の中に、観照の崩壊が起こって初めて主体と客体という構造が完全に解消する、という感じのことも書かれています。

以下、そのような箇所を含む引用です。↓

『Q. あなた自身の場合、「観照の崩壊」はどのように起こったのでしょうか? なぜ起こったんだと考えていますか?

A. そうですね。私が観照の崩壊と呼んでいるのは、主体と対象 (客体) という構造が完全に解消することです。見られているという感覚と、見ているという感覚が完全に消えてしまうこと、なにかが現れているという感覚が完全に落ちてしまうことです。

「ゾーン」体験とか、「日没」体験 (訳注: 日没に夢中になり、自分がいるという感覚がないこと)、オーガズム、あるいは拡張したいわゆる大洋的な感覚のように、主体と対象の区分が一時的にあいまいになることがあります。そうした経験は、「崩壊」という言葉によって私が表現していることではありません。そのような一時的な現象は、よくあることです。そのような経験は、生じたとしても、必ず終わります。それは、ここでいう「崩壊」とは違うんです。

私の場合、きわめてしっかりと高次の観照に確立するということをとおして、崩壊が起こりました。その頃、それと同時に、観照という問題それ自体のなかに、素晴らしい気持ちよさと優しさと共に浸されていたんです。観照はとても甘美なもので、そこでは実体は感じられていませんでした。でも、経験が完全に非二元的であるようにも感じていませんでした。この観照ということに関する疑問を解くことによって、何かを得ようとしていたわけではありません。ただ、光に引き寄せられるように、その問題に没頭していました。観照について探究することは、とかげが温かい岩の上にひっついているようなものでした。結果として、穏やかに、歓びとともに、観照は解消しました。

この探究は必ずしも必要であるわけではありません。というのは、観照の崩壊はそれ自体で勝手に起こるからです。』
(引用は以上です。)出典 グレッグ・グッドのインタビュー 2011年 (4)/resonanz360
https://resonanz360.com/2013/01/24/greg-goode-interview-2011-4/

また、別のサイトにも似たような体験を書かれていらっしゃる方がおられます。

その方が書かれていらっしゃることについて、以下、引用です。↓

『自我が「苦しんでいる自我」「考えている自我」をなんとかどうにかしようとして、また苦しんでいる・・・まさに終わりなき自作自演劇場です。

ほとほと疲れた私は、もう自分の力でどうにかしようとするエネルギーを失っていました。「もうすべてを受け入れよう」すると、心を縛りつけていた縄がするするとほどけたのです。

浄化の旅をスタートして11ヵ月、2012年4月16日の夜明け前のことでした。

浄化ワークをやっていると突然、お腹のあたりから、ビリビリビリビリッ!!と音が鳴りだして、強い電気のような感覚が全身に走りました。ドキドキドキドキ・・・と心臓の鼓動が聞こえ、私は一切何も考えられなくなりました。

すると・・目の前で見えているものが、パァーーーーーーっ!と明るく輝いて見えてきました。見るものすべてが、とても大きくなって迫ってきます。聞こえる音は、ものすごく大きく鮮明に響いて、まるで、自分の中で、ガンガン鳴っているような感覚でした。いつもの部屋が、突然、まったく別の空間に変わったように、すべてがとんでもなく「リアル」に感じるんです。そしていままで感じたことがないような、喜びと温かさが自分の中から湧きあがってきたのです。

「存在している」という感覚はあるのですが、「私」という個人の感覚がありませんでした。

この突然やってきた体験で、はっきりとわかったこと。それは、“私”なんてどこにもいないということです。自分もいないし、他人もいません。誰一人、何一つ“個”と呼べるものは、存在していませんでした。

それが“それ”であるが、それは“それ”ではないという感じです。自他の境目もなくなり、全体と一つになっている感じです。いえ、正確に言うと、「全体」も「一つ」もありませんでした。「すべては幻」、私が生きてきた35年の人生は、脳が創り出していた幻想の世界だったわけで、その世界を「私は現実だ」と思い込んでいたんですね。(中略)

【体験後の変化】
体験前の自分とは、明らかに“何か”が違いました。あの、いつも違和感を感じていた「私」がいないんです。何かが終わって、何か始まった・・そんな感覚がありました。
不安や恐れ、虚しさ、そんなものがまったくなく、まるで、別人でした。どんな感情がやってきても、跡形もないという感じになりました。性格が変わってしまったわけではないのですが、今に意識が留まっていて、冷静で、すべてが他人事みたいな感じです。でも、深いところで、熱く込み上げてくる何かがありました。』
(引用は以上です。)出典 私の旅/saraswati room
http://www.saraswati-room.com/

一番最初と二番目に引用した文に書かれてある通りに観照の崩壊という現象が確かに存在するのなら、そのようなエネルギー的な現象を経て、その直後に、主客という感覚が消え、そして初めて「すべてが自分である(=どこにも「私」といえるものがない)」ということが体感としてわかる状態になる。
一番最初と二番目に引用した文の中で書かれていることを自分なりにかいつまんでまとめるとそのような感じになると思うのです…

よって質問としては

質問 1
鬼和尚としてはこの「観照の崩壊」という現象の存在についてはどう思われますか?
この現象は一体全体何なんでしょう?

質問 2
一番最後に引用させていただいた方の体験を読む限り、その方の体験も、グレッグさんの言われる「観照の崩壊」という現象と全く同じものでしょうか?

質問 3
どこかの時点で鬼和尚も既に例に漏れず「観照の崩壊」が起こっていた、ということですよね、エネルギー的な現象も伴ったであろう鬼和尚の観照が崩壊した体験って覚えておられますか?もし、今でも記憶にあり、覚えておられるならそれもお聞きしたいです。

以上です、よろしくお願いします。
2016-10-30 日 09:18:34 | URL | 見習い [編集]
Re: タイトルなし
初陽

 善い事じゃ。
 それは観察が無意識的に行われているのじゃ。
 どんな技でも最初は意識して心身を動かすが、慣れれば無意識的に出来るようになるのじゃ。
 観察もそのように続ければ無意識的にできるのじゃ。
 それこそ望むべきことなのじゃ。
 この先に恐れずに心身の全てを観察に委ねれば悟りもやってくるじゃろう。
 ほんの少しでも恐れがあればとまるじゃろう。
 自分でとめることも出来るのじゃ。
 自ら望む道を行くのじゃ。
 
2016-11-01 火 12:54:01 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
見習い

質問 1
 それらは単に気が頭に上ったときに起こる意識の変化のみなのじゃ。
 わしの言う観照とは自我を滅する気づきであるからそれとは全く違うのじゃ。
 気が上ったことによりサマーディを一時的に味わった事を、観照の崩壊とか名づけているだけなのじや。
 それもまた妄想であり、囚われれば魔になるものじゃ。

 質問 2
 そのような一時的な意識の変性状態は同じものじゃろう。
 
質問 3
 そのようなものはないのじゃ。
 ただの妄想なのじゃ。
 エネルギーがあると認識しただけでも主体と客体の分別があり、妄想を離れていないとわかるのじゃ。
 ただ一時的に気が頭に上っただけで、本当は離れてもいない主客の観念を離れたと妄想しているだけなのじゃ。
 だまされないようにするのじゃ。
 オショーとかクリシュナムルティの本を読むと良いのじゃ。
   
2016-11-01 火 13:33:50 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2016-11-10 木 12:05:59 | | [編集]
そうですか、鬼和尚はそう思われるんですね、鬼和尚としては、「主体と客体」という感覚から離れることができるのは認識を滅した後ではなくて無我になった時点、無我の段階で、である、ということですか?
2016-11-10 木 19:36:02 | URL | 見習い [編集]
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2016-11-12 土 08:04:11 | | [編集]
Re: タイトルなし
初陽

 クンダリニーはサマーディを起こすためのものなのじゃ。
 それ以上には行かないのじゃ。
 サマーディも自らの本心を観察する事がなければ悟りには到達できないのじゃ。
 止観を行えば悟りを得るには十分なのじゃ。
 迷わず進むのじゃ。
 
2016-11-21 月 17:27:36 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
見習い

 そうじゃ、自我がなくなれば主体から離れ、客体からも離れるのじゃ。
 観照とは自我が観念であると気づくものであるから崩壊など起こらないのじゃ。 
 例えば道に落ちている縄が蛇だと気づいたならば、遠くへ去ってもその事実は消えないようなものじゃ。
 自我が観念であったと気づく事は崩壊などせず、事実として悟った後も人に教えることが出来るのじゃ。
2016-11-21 月 17:31:14 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
龍氣

 特に悟りを求めなくとも良いのじゃ。
 善事をして苦を滅すれば安楽になり、福楽も付き従うじゃろう。
 仏陀も他人を頼らないように適当なことを言うじゃろう。
 自らの本心を観察して見極める事だけが必要なことなのじゃ。
2016-11-21 月 17:34:22 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
ありがとうございます。
確かに自分で決めなければどこにもいけません。
自らをよりどころとします。
2016-11-24 木 12:14:18 | URL | 龍氣 [編集]
ということは自我が観照されたとき=無我に至った瞬間に主客という感覚も消える、または主客という感覚から離れられる(なぜなら主体という自我が観られたから)。
ということでしょうか?
2016-11-30 水 18:07:49 | URL | 見習い [編集]
Re: タイトルなし
龍氣

そうじゃ、自らを主として進むのじゃ。
 またおいでなさい。
2016-12-02 金 21:44:14 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
見習い

 そうじゃ、無我になれば主客の観念から離れられるのじゃ。
 主体が無いからのう。
 サマーディに入っても主客は一時的に無くなるのじゃ。
 実践によって確かめるのじゃ。
2016-12-02 金 21:46:14 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
はじめまして。「肴はとくにこだわらず」というサイトから来ました。

28歳の男ですが、人生がうまくいった試しがなくて、生きるのが度々嫌になります。
世間に対しての自分は、相変わらず惨めなままですが、自分の内面?は中々飽きさせないようで、「もう読むものや、知ることにあまり興味ないな。」と思ってた矢先に、新たに道が見えてくる感じがします。

鬼和尚様のブログは、今、古い順から読ませてもらっています。

ここ2ヶ月くらいですが、「肴はとくにこだわらず」のサイトに結構影響を受けて、チベット体操と、座禅に取り組んでいます。

質問なのですが、
座禅中、特に背中から冷たい汗が伝って落ちる感覚があるのですが、何なのでしょうか?
暑くもなく、寒くもない状態で、実際に体から水分が出ているようではないのです。
すぐにそこを触っても、皮膚はさらっとしています。
ネットで調べても、それらしい前例が無いので、何だろうと毎回不思議に思います。
気が流れているのだとは思いますが、この状態は大丈夫なのか気になります。

よろしくお願いします。
2016-12-04 日 04:53:13 | URL | わた [編集]
なるほど、ということは以前私が引用させていただいた中で、グレッグ・グッドさんがおっしゃられていた「観照の崩壊」という
ことについてのお話を引用させてもらった際に話の中で言われていた「観照が崩壊することで主客の感覚が消えた」みたいなお話は、鬼和尚のおっしゃる「自我が観照されれば(=無我になれば)主客という観念、感覚が消える」ということとぴったり符合するのではないでしょうか? 

グレッグさんの言う「観照」という言葉の定義は鬼和尚の定義する「観照」という言葉とはまた別の定義かもしれません、そうであればそのようなエネルギー的な体験を経た後に主客という感覚が消えていた、という体験は鬼和尚がおっしゃっている自我の観照である、ということが言えないでしょうか?

グレッグさんが

「その体験の後にはもはや分離が戻ってくることはありませんでした」

というようなことをおっしゃっているところから、私としては彼が単に意識が変化した状態になったというよりはむしろ鬼和尚のおっしゃる自我が観られて主客が消えるという「観照」が起こったのではないか、と思っているのですがどうでしょうか。

もしそうであれば、
グレッグさんのおっしゃる「観照の崩壊」=鬼和尚のおっしゃる「観照」ということにもなると思いますが、、
2016-12-11 日 04:33:13 | URL | 見習い [編集]
Re: タイトルなし
わた

 瞑想をしているとさまざまな不可思議な体験をするものじゃ。
背中に気が通ると熱かったり、冷たかったりする感触があったりするのじゃ。
 座ることで上昇した気が頭の中で変質し、冷気に変わって降りているのじゃろう。
 それほど気にしなくて良いのじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。
2016-12-19 月 14:14:22 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
見習い

 観照とは自我を観察し、厭離することなのじゃ。
 今まで自分と思っていたものが観念と気づき、認識する一切が変容するような感じを受けるものじゃ。
 更にその後にそれに気づいていてる認識さえも滅して、大悟徹底なのじゃ。
 その境地にとどまるならば小悟に止まるのじゃ。
 分離もまた観念に過ぎず、習慣によって使える道具でもあるのじゃ。
 今目の前に実践すべき大いなる道があり、迷う必要も無いのじゃ。
 自ら実践して全てを明らかにするのじゃ。
2016-12-19 月 14:35:56 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
鬼和尚、わかりました、ご回答ありがとうございました。
2016-12-25 日 18:54:03 | URL | 見習い [編集]
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2016-12-27 火 21:23:32 | | [編集]
Re: タイトルなし
見習い

 どういたしまして、またおいでなさい。
2017-01-02 月 13:54:24 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
ruo

 無量義経の無量義とは量り知ることもできないほどの意味があるということなのじゃ。
 それが自分の感覚と同じとおぬしが感じるならば、無量の意味の中の一つ同じとしてよいのじゃ。
 経を読めばいろいろと気づく事が多いものじゃ。
 これからもどんどん経を読んで精進するとよいのじゃ。
 瞑想などもしてみるとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
2017-01-02 月 14:31:34 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
はじめまして。数息観を始めたばかりの者です。
①「恐れ」
②「正しさへの執着」
③「数息観及びそのときの体験」
について質問させて頂きたいと思います。
長文になるかと思われますが、何卒ご容赦ください。

私にはちょっとした物事でも考えすぎる癖があり、ここ数年慢性的に様々な恐れを感じています。この恐れもあり、現在に集中できないことが多々あります。
私はそういった恐れを「思考」によって観察しており、「自分は生きてゆけない」などと本気で信じ込むことはないのですが、思考や感情を含めた全的な感覚としては、「自分は生きてゆけないのでは」といった様々な恐れが依然拭えません。
そこで、最近鬼和尚のブログを知り、数息観を始めました。
「様々な恐れ」の内容はその時々で本当に様々ですので、ここでは二つの恐れについて質問させて頂きます。

①恐れ
・非難・怒りに対する恐れ
私には非難や怒りに対して恐れている部分があります。それは自分が直接非難される場合に限らず、非難を受けた人の悩みを見聞したり、他人が非難を受けている場面に直面したりといったときも、まるで自分が非難を受けているかのような感覚になります。これは、非難されている人の性格や性質について、自分との共通点(本当にそうかは怪しいのものですが)を見出してしまい、自分もそのうち非難され得るのではないかと恐れることが一因のように思われます。直接関係のない他人の物語に自分が巻き込まれてしまうような感じです。また自分が直接非難された場合には、自分の思考や置かれた状況を徹底して分析し、「自分は罪悪感を持つ必要はないのだ」と頭で納得しようとしてしまいます。疲れるにも関わらずこの頭で納得する作業に執着してしまいます。結局全的な感覚としては恐れが残ったままです。この恐れとどのように付き合えば良いのでしょうか。

・身体の特定部位への危害に対する恐れ
私は生まれてこの方トラウマになるような怪我を負ったことはありません。にも関わらず子供の頃から特定部位への危害、とりわけ自分の胸に何かが突き刺さることに対して恐れを抱いており自分でも不思議に思っています。もちろん、そのような状況にはなりかけたことすらありません。しかし、胸の中心辺りを触られたり、テレビで心臓手術のドキュメンタリを見たりすると胸の辺りを守ろうと体が緊張してしまいます。また、この恐れのせいで仰向けの姿勢では安心できません。天井から何か鋭いものが落ちてきて自分の胸に突き刺さるという妄想をどうしてもしてしまうからです。手首に関しても胸ほどではないにせよ同様の恐れがあります。原因不明の恐れではありますが、解消する術はあるのでしょうか。

②正しさへの執着
先ほどの非難の話とも関連して、私には正しさへの執着があるようで、自分の思考内容に勘違いがあることを放っておくことができないようです。自分や他人が非難された(またはその話を聞いた)場合にも、置かれた状況や非難する・される側の事情を考えて、非難がどの程度正当かをかりそめにでも判断しなければ落ち着かないのです。「A(特定の人物)が悪いのだ」と考えることも、「Aは悪くないのだ」と考えることも、どちらも勘違いだと考えるあまり、両者のバランスをとった判断を下そうと躍起になってしまいます。
これは高校生の頃にインターネットなどで世の理不尽についての情報に触れたことがきっかけのように思います。そういった理不尽を肯定せず、かつ受け入れて生きねばならないという考えにとりつかれ、そのためには正しい思考が必要だと判断し、「勘違いの余地の無い思考」に執着するようになってしまったのです。この思考を何とかする術はあるのでしょうか。

③数息観及びそのときの体験
・数息観
おおまかに言えば、坐して呼吸の数を数え、雑念が浮かんでも放っておくという方法であったかと思われますが、この雑念のせいで頻繁にどこまで数えたかが曖昧になってしまいます。どこまで数えたかが曖昧になった場合、また1から数え直していますが、これは続けてゆくうちに上達するのでしょうか。また、先ほどの「胸に何かが刺さる恐れ」が数息観中に現れて思わず途中でやめてしまうのですが、これは仕方のないことなのでしょうか。

・数息観中の体験
私は数息観中に様々な雑念が浮かんでくることを感じました。後で思い返してみると、これらの雑念は普段の思考や妄想等とはだいぶ異なる質のものであるように感じます。意識があり数も数えているにも関わらず、夢のようなまったく脈絡のない光景・イメージが次々と浮かんでは消えてゆくのですが正体は何でしょうか。「光景やイメージの内容」と「自分の思考や記憶」は一見すると全く関連が無いため、なぜこんなものが浮かんでくるのか非常に不思議に思います。

長文失礼致しました。
私は少しだけ仏教の内容を知ってはいるのですが、まだ鬼和尚のブログを読み始めたばかりです。そのため、既にブログ内でお書きになっている内容と質問が重複しているかもしれませんが、どうかご回答よろしくお願い致します。
2017-01-26 木 04:41:04 | URL | 眠気眼 [編集]
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2017-02-01 水 19:02:37 | | [編集]
Re: タイトルなし
眠気眼

 実践するのはよいことじゃ。
 実践する者だけが進んでいくじゃろう。
 観察は思考ではなく、認識によって行うのじゃ。
 観察した対象を否定も肯定もせず何も考えることなく、ただそれがあるとだけみるのじゃ。
 そうすればうまくいくじゃろう。

 ① 非難されることに恐れがあるのは、親や教師などに非難されたき於くが原因かもしれん。
   そのような記憶を探してみるのじゃ。

   胸や手首への傷害に恐れがあるのは映画やテレビや演劇、小説、漫画などの影響かも知れん。
   そのようなものでも自分が恐れを感じれば、苦の原因ともなるものじゃ。
   そのような原因も探してみるのじゃ。

 ② その執着も非難への恐れから起っているのかもしれん。
   正しければ非難を受けることもないと思う故に正しさを求めることもあるのじゃ。
   非難への恐れが無くなれば、その執着もなくなるかもしれん。
   よく観察してみるのじゃ。

 ③ 数を忘れても何度も数えなおすとよいのじゃ。
   上達すれば忘れることもなくなるのじゃ。

   恐れが起るのもよくあることなのじゃ。
   それも雑念として流し行けばよいのじゃ。
   雑念は記憶から起るものじゃ。
   今まで意識していなかった潜在意識の内容が見えることもあるのじゃ。
   囚われなければ何の障害にもならないものじゃ。
   囚われずに進むのじゃ。
2017-02-12 日 11:15:22 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
いのやん

 血縁によって大悟を継ぐことは無いじゃろう。
 両人とも大悟はしていないようじゃ。
 肩の力が抜けていることから忘我には届いているようじゃ。
 ただひたすらに自らの性質を見極める以外に大悟徹底の道は無いものじゃ。
 それを思えば正しい師匠とは自分以外にないと言えるのじゃ。
 
 
2017-02-12 日 11:30:16 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
鬼和尚様。
率直かつ忌憚の無いお答えをありがとうございます。
深く納得いたしました。
また正師とは自分自身。
自分を見つめ続けること。
こちらも納得です。
会心のアドバイスをありがとうございます。


2017-02-12 日 22:31:42 | URL | いのやん [編集]
Re: タイトルなし
いのやん

 よかったのじゃ。
 またおいでなさい。
2017-03-02 木 23:49:02 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
鬼和尚様、答えていただきどうもありがとうございました。
依然として恐怖は湧いてきますが、それが様々な観念へと発展してゆくことは次第に抑えられてきたように感じます。
先日も怒りを解釈せずにただ怒りとして見、恐怖を解釈せずにただ恐怖として見ると、それらの怒りや恐怖が自然と薄らいでゆくという経験をしました。それと同時に私が私に守られているような感覚もありました。
普段の生活の中で怒りや恐怖が湧いたときには、このように解釈せずにただ放っておくというような対処の仕方で良いのでしょうか。
2017-03-03 金 21:48:47 | URL | 眠気眼 [編集]
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2017-03-13 月 18:01:25 | | [編集]
Re: タイトルなし
眠気眼

 そうじゃ、そのようなやりかたでよいのじゃ。
 既に観察によって苦が少なくなっているのじゃ。
 そのままさまざまな感じようや観念が心の中でただ起こる事を観察するとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
2017-03-21 火 21:16:08 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
いのやん

 前世の報いは今の環境や肉体に現れるものじゃ。
 今の環境や肉体をよく観察すれば自分が何をしてきたのかわかるじゃろう。
 それを書いてもよいのじゃ。
2017-03-21 火 21:18:22 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
鬼和尚、アドバイスありがとうございます。
シンプルにみればわかりますね。
合点しました。
2017-03-28 火 22:12:17 | URL | いのやん [編集]
Re: タイトルなし
いのやん

 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。
2017-04-02 日 20:38:27 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2017-04-15 土 01:20:51 | | [編集]
Re: タイトルなし
傘立て

 その悩みがあるのはおぬしの心の中なのじゃ。
 自分の心がはっきりしないからどうすべきかわからないのじゃ。
 自分の本心を観察して、もはや付き合いたくないと気付けば別れてもよいから注意すべきであると決意できるのじゃ。
 まずは自らの本心を観察し、自分が何をどうしたいのか気付くまで観続けるのじゃ。
 本心がわかれば迷いもなくなるのじゃ。
2017-04-20 木 22:18:49 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
鬼和尚さんの指摘された通り、自分の心がふらふらしていました。こうするべきだ、ああするべきだと、自分の本心を無視して正解を求めるような考え方をしていたように思います。
自分の本心を観察して向き合ってみたいと思います。ありがとうございました。
2017-04-21 金 21:04:05 | URL | 傘立て [編集]
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2017-04-21 金 22:15:17 | | [編集]
Re: タイトルなし
傘立て

 善かったのじゃ。
 またおいでなさい。
2017-05-02 火 11:33:31 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
Re: タイトルなし
権兵衛

 悪とは悪意によって行われた事なのじゃ。
 誰かを傷つけようとしたり、損をさせようと思って行うのは悪なのじゃ。
 お釈迦様も心によって悪は成されると言っているのじゃ。
 そのように自らの心を観て悪意があれば悪いことと知るがよいのじゃ。
2017-05-02 火 11:37:06 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2017-05-27 土 14:27:29 | | [編集]
Re: タイトルなし
名無し

 善かったのじゃ。
 全ておぬしの実践と努力の賜物なのじゃ。
 更に精進して安楽に至るのじゃ。
 またおいでなさい。
2017-06-02 金 21:22:34 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2017-07-23 日 22:26:31 | | [編集]
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2017-07-23 日 22:34:03 | | [編集]
Re: 質問が抜けておりました
ATDX

 おぬしが確かに感じるならばそれが真実じゃろう。
 自らの心が世界を創っているのであるからのう。
 実践によって確めるのじゃ。
2017-07-24 月 20:07:31 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2017-08-26 土 12:55:11 | | [編集]
Re: タイトルなし
こんにちは

 それはアビダンマの教義書に書いてあることじゃろう。
 その書もお釈迦様の死んだ後に創作されたものなのじゃ。

 そのようなものはないのじゃ。
 二因とか三因などは全くの嘘であり、出鱈目なのじゃ。
 頭が悪かったシュリハンドクも、999人害したというアヒンサーも悟りを得たのじゃ。
 後から適当に悟れたから三因とか悟れなかったから二因とかいっているだけなのじゃ。
 アビダンマそのものもお釈迦様の教えとは違うかなりいい加減なことばかり書いてあるものじゃ。
 そのようなものに惑わされず、ダンマパダとかのお釈迦様の真の言葉だけを頼りに修行するとよいのじゃ。
 
2017-08-28 月 21:33:40 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2017-08-31 木 10:41:15 | | [編集]
Re: タイトルなし
こんにちは

 どういたしまして、またおいでなさい。
2017-09-02 土 13:11:43 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2017-10-04 水 22:51:11 | | [編集]
Re: タイトルなし
旅の客人

 よい気付きなのじゃ。
 なんだか知らんが赦すのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
2017-10-14 土 21:44:52 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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2017-10-15 日 22:27:19 | | [編集]
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2017-10-17 火 18:23:25 | | [編集]
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