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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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励むのじゃ。
 修行者達よ、かつてお釈迦様は血筋によって僧となるのではなく、修行するものが真の僧であると言ったものじゃ。
 どのような血筋や家に生まれようとも、それで修行僧となれるものではない。
 自ら修行する者だけが修行僧なのじゃ。

 自らを偽らず、真摯に真の悟りを求める者達の利益は大きいものじゃ。
 修行する事によって真の喜びに達し、心の安らぎを得られる。
 そして、悟りを得て死をも克服できるのじゃ。

 それらは修行者たちによって知られた道であり、修行し続ける者達に約束されたものなのじゃ。
 いつそれが得られるだろうとか、もしかすると自分には得られないのかもしれないと、不安に思う必要はない。

 例えば遮るもののない平原で、空に向けて石を投げれば、直ぐに地面に向かって落ちてくるじゃろう。
 そのように修行者が真摯に悟りを求めて修行し続けるならば、石が地面に落ちてくるように、必ず効果があるものじゃ。

 世にあるもの、そして目には見えない空間も、全てが変わりない本質を持つ平等にして一つのものである故に、どこに向かい、何を求めようと最後まであきらめずに修行し続ければ、自ずとその意識に行き着くのじゃ。

 それには多くの道をただ知るだけでは行き着けない。
 むしろ自分に向いた一つの道を、どこまでも極めるのが大事なのじゃ。

 かつてお釈迦様は三日修行すればそれだけでも利益はあると言われた。
 十日行えば十日分の、さらに続ければさらに多くの結果が出るのが真の修行というものなのじゃ。
 自ら行えば真にそのとおりと判るじゃろう。

 たった三日の修行でも以前とは集中力が付き、観察も容易になる。
 さらに続ければもっと多くの効果が現れる。
 集中力によって出来る事は増え、観察によって知恵が高まる。

 続ければ心は不動になり、何ものにも動じなくなる。
 苦を滅する法を身に付ければ、苦を滅して楽になる。
 
 苦を滅し、心が不動になれば世において恐れるものはなくなる。
 そして真の悟りを得ればもはや為すべき事も無く、全ては楽しみになる。

 世にある事も楽しみであり、世を去る事さえも楽しみになる。
 修行によって尽きることのない、永遠の楽しみを味わう事が出来るのじゃ。
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テーマ:悟り。 - ジャンル:心と身体

元気が出る説法 | 14:33:58 | Trackback(0) | Comments(11)
コメント
アドバイスお願いします。25歳なんですが仕事が長続きしません。
対人関係が苦手で大人数で行動するのが苦痛です。仕事を覚えようにも回りの人達に気をつかうあまりなかなか聞けません。
自分にどんな仕事が向いているかってのはなんとなくわかってはいるのですが今のところそんな仕事はありません。
転職を繰り返す事に罪悪感を感じています。
何をしたらいいかわかりません。悟りを得ればなんでもできますか?
2010-04-22 木 21:18:27 | URL | たけし [編集]
それでいいのじゃ。
若い時には自分をいろいろと試すのが後で役に立つのじゃ。
それに罪悪感を持たなくていいのじゃ。
いろいろと試して自分に向くものが何か知る事ができるのじゃ。

自分の心を主とするのじゃ。
誰も自分の心は裏切れない。
心を偽って暮らしても直ぐに息切れしてしまうじゃろう。
自分の心に聞くのじゃ。
大勢が苦手なら一人でやる仕事が良かろう。
そのような仕事を探すのじゃ。
そのためには何回転職しても良い。
それもまた道じゃ。
いずれ悟りを求める時期も来るじゃろう。
それまでは世の中で己を試すが良いのじゃ。
2010-04-27 火 15:09:11 | URL | 鬼和尚 [編集]
教えて下さい
人間性を磨いたり、悟りを得る為に修行したりする事で得られるもののイメージが、最近掴めません。

自分が正しいと信じてきたものの根本が揺らいでいる感じがします。
2010-05-01 土 16:29:44 | URL | トモヒロ [編集]
修行が進むにつれて何度も心が揺らぐ事があるじゃろう。
わしもそうじゃった。
修行をしてなんになるのか、判らなくなる時もあった。
修行してもしなくても、人は死んでいく。
何かを得ても意味もないと思ったりしたものじゃ。
普通の者のように金を儲けたり、名声を求めるのが何故いけないのかと考えたりもした。

しかし、無常という法則により、全てが滅び、無くなって行く必然を考えれば、そのような消えていくものを求めるのもむなしいと思ったりもした。
わしには何もかもがむなしく感じられた。
ただいずれ避けられず死ぬのであれば、真実を知りたいと考えた。
真実を知ったならば死ぬのも受け入れられるように思えたのじゃ。
わしが生きる道はそれしかないと、判ったのじゃ。

誰にも己を生かす道がある。
真剣に求めれば見つかるじゃろう。
それは誰かから押し付けられたものであってはならんのじゃ。
自ら考え、自分だけの道を見出すのが、道の始まりなのじゃ。

おぬしも信じられないものは信じなくて良い。
どのようなイメージも持たなくて良い。
自ら感じるままに己の唯一生きる道を探すのじゃ。
2010-05-03 月 22:34:50 | URL | 鬼和尚 [編集]
僕はいまだ、己の外側の世界に対して、「求めすぎ」なのかも知れません…。

お返事いただき、ありがとうございました。
2010-05-04 火 10:09:28 | URL | トモヒロ [編集]
妻が愛想が無いと職場で言われたそうですが
確かに妻にはそういうところがあります・・・

愛想ってなんでしょうか・・・

有るに、こしたことはないと思いますけど
そうも言い切れないとも思います。

執着がないという意味では、まわりの眼を厭離して愛想をふりまかない
ということがある、とするのと
僕には解りかねますが、妻の愛想が無いのは違うような気がします。

僕的には、もう少し愛想の良い妻でいて欲しいのですが
そう思うのは自分勝手なのかなーとも思います。
何度か話をしようと試みますが
僕の言い方が下手なのか、妻は怒ったり、めんどくさそうな感じです。

そうは言っても、このままでもいいのですが
そういう「愛想」のことを和尚様はどう思いますでしょうか?
御意見お聞きしたいです、宜しくお願いします。
2010-05-04 火 22:14:04 | URL | sei [編集]
    どういたしまして、またおいでなさい。
2010-05-05 水 21:33:10 | URL | 鬼和尚 [編集]
 愛想が良いとは、いつも笑顔だったり、人に優しく話し掛けたりする事を言ったりするのう。
 そのような態度はまた運気を向上させる事にもつながるものじゃ。
 わしが前に書いた無財の七施という記事がある。
http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-category-9.html

 このように笑顔で優しく話せば、幸運になると妻に言ってみるといいかもしれん。
 妻の笑顔をみても変な顔とか言わず、ほめてやると良かろう。
 運も上がっていい事ばかりじゃ。
2010-05-05 水 22:42:01 | URL | 鬼和尚 [編集]
和尚様、いつも丁寧なお言葉を、ありがとうございます☆
今度、機会がある時に妻に話してみます。
2010-05-06 木 21:19:50 | URL | sei [編集]
少し心が軽くなりました、ありがとうございます。
2010-05-09 日 17:48:07 | URL | たけし [編集]
       どういたしまして、またおいでなさい。
2010-05-09 日 21:34:18 | URL | 鬼和尚 [編集]
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