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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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恐怖や不安、苦しみなどは心から生じるのじゃ。
恐怖や不安、苦しみなどは心から生じ、心に返るものじゃ。
心に生じるものである故に、心を修めれば滅することも出来るのじゃ。

災害があれば人は死を恐れ、不安になるものじゃ。
しかし、本当は日常でも死はいつでも直ぐ其処にあるものじゃ。
事故や病気、事件など死の条件はどこにでもあり、消えるわけではない。
それが災害の時だけ、強く意識されるのは、正に心に生じるものだからなのじゃ。
普段は何とか誤魔化している死というものも、このような災害で見せ付けられると、誤魔化せなくなってくる。
それ故に恐れや不安が生じるのじゃ。

例えば腹が痛いという者が居るとしよう。
腹が痛いのに、それを誤魔化そうとしていろいろと遊んだり、映画とか見たりしている。
そのような誤魔化しで一時的に、腹の痛みは紛れるかもしれんが、それが終わればまた腹の痛みが戻り、誤魔化せなくなる。
そのような腹の痛みを治すには、腹に病があると知り、それを治さなければならん。
腹に病が在ると知り、それを治して人は健全になり、誤魔化しも必要ではなくなる。

同じように人は心に恐怖や不安を抱え、それを誤魔化すために金や名声や権力を飽きずに求めるものじゃ。
不安や恐怖を誤魔化すためのものであるから、どこまでも求めつづけて止めることが無い。
不安や恐怖がそれらによって誤魔化せると思っておる。
しかし、実際には何の役にも立たず、このような災害でまた生じてきたりする。

そのような恐怖や不安も、腹が痛い者が腹を治して健康になるように、心から生じるものは心を修める事によって癒されるのじゃ。
そうすれば金や名声や権力などの誤魔化しも必要ではなくなる。

そのような不安や恐怖が、心から生じてくるのを観るのじゃ。
肉体を己であると思い、己のものであり、それをいつまでもそのまま維持したいと思っていると、それが壊れるのが恐ろしくなる。
家でも車でも、それが己のものであり、いつまでもそのまま維持したいと思っていると、それが壊れるのを恐れ、不安になる。
不安や恐れはそのようになにものかに囚われ、その意に反して破壊されると予測によって生じるものじゃ。

知識によって知るのではなく、記憶によって覚えるのではなく、それを自らの心の中に観察した時、不安や恐怖は滅する。
不安や恐怖が生じる度に、繰り返し観察すれば、それは繰り返し滅する。
そしてやがては生じることが無くなる。
それが無畏というものじゃ。

このような機会にこそ、自ら心を修め、不安や恐怖や苦を滅する修行に励むのじゃ。
そうすれば地面がどれほど揺れようと、死が近くに来ようと、なにものも畏れるものは無くなる。
修行者は全ての畏れを滅し、獅子の如く修行に励むのじゃ。




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元気が出る説法 | 20:04:24 | Trackback(0) | Comments(14)
コメント
やりたいことがあるのに眠い時ってどうしたら良いですか?
2011-04-04 月 15:54:05 | URL | 小鬼ちゃん [編集]
思い切って体操とかをしてみると良いじゃろう。
体を動かすと脳も目覚めるのじゃ。
2011-04-08 金 12:27:35 | URL | 鬼和尚 [編集]
いつからか
自分の為によかれと思い
ここまでやってきた。
よかれと作為し続けるは
守るぺきものを生む
それを観て
我ここに在る。
2011-04-14 木 16:46:23 | URL | sei [編集]
少しづつ
少しづつ、判って来た気がします。
通勤電車の中で、座れた時は頭の天辺から吊り下げられているような感じで、背筋を伸して、ギリギリまで力を抜いて、呼吸や物音や雑念に気付き続ける事を実践し始めました。
2011-04-14 木 23:25:09 | URL | まぁ [編集]
いい事じゃ。
実践が全てじゃ。
さらに精進じゃ。
2011-04-20 水 11:17:16 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2011-04-21 木 15:52:37 | | [編集]
Re: 恐怖を滅したい
その恐怖が生まれる過程を、己の心の中に観察するのじゃ。
自分を守りたいと思う心から生まれる恐怖や不安、そこから起こる反応、それらを肯定も否定もせずただ観るのじゃ。
そして自分があり、それを守りたいと言う観念が無ければ、恐怖や不安も無く、そこから起こる反応も無いと、逆に観察する。
そうすれば自分があっても恐怖は滅するじゃろう。
頭の中で考えるのと、実際に観察した成果は違うものじゃ。
そのようにすればお釈迦様の言う通り、確かに恐怖は滅するのを感じるじゃろう。
そして自分と言うものも、やはりそのようにして起こるものであると観察すれば滅するのじゃ。

瞑想に熟達すれば実際に思考は止まり、今、ここだけを認識するサマーディに入る事も出来るじゃろう。
数息観をすると恐怖で波だった心が一時的に落ち着くのも、その心が止まった状態の始まりなのじゃ。
恐怖も不安も誤った認識の上に成立したかりそめのものであり、心をコントロールできる法を知り、修行する者には、どのようにでも扱えるようになるのじゃ。
2011-04-23 土 22:39:53 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2011-04-25 月 15:46:46 | | [編集]
Re: タイトルなし
サマーディは人によってたどり着ける時間は違うのじゃ。
 方法によっても早くなったりするじゃろう。
 このブログの献身の道にかいた神仏の観想と一体化を、集中の行としてやってみるのじゃ。
 なんでも試してみるのじゃ。

 すでに恐怖の反応を観察できておる。
 それでいいのじゃ。
 一つ出来ればさらに出来るようになるじゃろう。
 そこにさらにその反応から、素早く逃避していると言う反応も観察するのじゃ。
それが今の反応となっているのじゃ。

 心を乱すような情報は見なくていいのじゃ。
 交通事故とか病気とか、実際に危険な環境は身近にもあるものじゃ。
 放射能とか政治とかにだけ目が向くというのも執着であり、囚われなのじゃ。
 自らを苦しめる囚われを捨てるだけで楽になる事もあるじゃろう。
2011-04-30 土 09:50:31 | URL | 鬼和尚 [編集]
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2011-04-30 土 13:01:39 | | [編集]
鬼和尚さん、
「生物には本来、生命維持・自己保存の本能が備わっている」と思うのは記憶の蓄積からくる誤った認識からの謬見でしょうか?
私は堕胎児が子宮内で器具から逃れようとするような動作をする、などという記事を読むと、やはり生命は誕生した瞬間から自然にそれ自体を維持しようとする本能があり、恐怖という感情は肉体の痛みと同じく体からの警告(対処を促すサイン)だと思ってしまうのです
(ミクロの世界だと細胞のアポトーシスとかいうものがあるようですが・・・)
このような苦は生への執着があるかないかがコントロールの鍵のようですが、本能からの根本的な欲求に逆らうのはたとえイメージだけでも苦痛なものですね

また、個人の記憶と習性に依存するイメージが自己保存の本能に反しなければ恐怖の反応は起こらないと観ましたが、さてそれを実際に観想してみようとすると非常な困難を覚えます
というのは、過去の似た例(原因→結果)の記憶から危険を予測(イメージ)しているからです
鬼和尚さんが以前に「肉体は肉体の法則に従う」とおっしゃっていたことも思い出し、この囚われのどこから脱出できる道があるか、途方にくれています

>そこにさらにその反応から、素早く逃避していると言う反応も観察するのじゃ。
政治への不満と憤りですね。それによって最初に起こった痛みを紛らわそうとしていると観ました (ただしくは推測、ですが)
恐怖が本能、体からの「対処せよ」というサインと観れば、こうやって鬼和尚さんに相談してみたり、数息観や観察を試みることもまたその痛みから逃れたいがための逃避ともいえます
ここ数日は坐って心を落ち着け始めるとすぐに震災・汚染前の美しい
日本の風景の記憶のさまざまが鮮やかに脳裏に浮かび上がってきて
自ずとむせ返り涙が止まらず、それ以上続けることができなくなりました
数息観に逃避しようとしているからでしょうか

しかしこれから「苦滅の理論」をもう一度よく読んでもう少しがんばってみるつもりです
2011-05-01 日 16:40:23 | URL | 名もない猫 [編集]
もうちょっとがんばってみました
どうやら胸のあたりの痛みは、頭に抱くイメージとイメージのギャップを認識した瞬間に起こるようです。
まず原因として、理想や希望の状態のイメージがあり(これが執着というものかと思います)、それから因として外部の情報から別のイメージを抱きます(現実、あるいは未来の予測)が、これらの間のギャップが激しければ激しいほど胸の痛みが強くなるようです。
逆にそれら2つのイメージに相違がなければないほど、心はより穏やかで感情も波立ちません。完全に一致すればおそらくとても平安だと思います。

こんな観察であっているでしょうか?

つまり、私は普段は執着しているイメージ(寿命まで平和に健康に生きたいとか、普通に安全に暮らしたいとか)に依存して生活しているわけでしょうか?
でも、「ギャップの認識」もなければ痛みを感じる過程は切断されますね?
2011-05-02 月 18:09:35 | URL | 名もない猫 [編集]
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2011-05-02 月 18:19:04 | | [編集]
観察はそれでいいのじゃ。
しかし、それをあまり考えすぎない事が大事じゃ。
考えるのではなく感覚をただ認識するのじゃ。
2011-05-07 土 13:07:28 | URL | 鬼和尚 [編集]
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