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鬼和尚天空

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さらに本心を観るのじゃ。
  誰でも社会的に生きるために己の心を偽っているものじゃ。
 そのうちに何が自分の本当の気持ちなのかわからなくなってしまうのじゃ。
 死ぬ時になって、自らを偽って居た事で、自らに騙されていた事を知るのじゃ。
 自分を偽っていれば、騙されて苦しむのは自分自身なのじゃ。

 もし人が自分の心を偽ったまま暮らせば、苦は尽きる事無く、修行さえ迷い道となるものじゃ。
 例えば自分が臆病である事を偽り、強がって生きている者がいたら、自分を納得させるために、あらゆる危険な事に挑戦し続けたりするものじゃ。

 誰彼構わずけんかをふっかけたり、命を落としたり、怪我をしたりするような危険な遊戯を繰り返したりそんな事ばかりする。
 大怪我をして身動きが出来なくなったり、死に際になって初めて自分の心を見つめ、それらの行動がただ自分が臆病である事を認めたくなかっただけと判り、後悔したりする。

 心の中のほんの小さな事実を認めていれば、他人とも仲良く、安心して暮らすことが出来た筈が、本心を隠していた故に苦を生じ、このように人生さえも壊れてしまう。

 心は人の主である故に、心を偽れば全てがおかしくなってしまうのじゃ。
 己の心を偽り、何故自分は自分を苦しめてばかりいるのか、わからない人間は、自らの本心を知らなければ決して苦が滅する事は無い。
 どれほど辛くとも己の本心を見つける以外に無いのじゃ。

 先ずはこれからは自らの心を偽る事無く、どれほど弱く、醜く、酷いものであろうと自分の心を正直に観る事を決意しなければならない。
 時には自分の心が反社会的な事を思っていると知り、驚く事もあるじゃろう。
 それでも自らの本当の心を観ると、意志を決めるのじゃ。

 そして自分が何を避けているのか、何から逃げようとしているのか。
 一番苦しく、悲しいことは何か、それから逃げたり避けたりするために何をしているのか。
 自らに聞くのじゃ。

 自らの本心を知ること、自らの本心を尋ねること、それが苦を滅する道、修行の一歩目なのじゃ。
 最初にそれが判らなければ、修行の道もまた迷いの道になる。
 例えば一度、迷い道に入ってしまったものが、どれほど歩いても、目的地には近づけず、かえって歩くほど遠ざかっていくようなものじゃ。
 自分が迷っているという事を認めることで、初めて正しい道を探す事も出来るのじゃ。

 修行の道も自らを偽り、己の心から逃げるために行うのであれば、どれほど深い瞑想に入ろうとも、悟りからは遠ざかる。
 知識も集中力も、自らを偽るために使うのならば、ますます迷いは増し、傲慢を深めるばかりなのじゃ。
 
 修行とは己の本心と向き合うこと。
 己の本心を観ようとしないのならば、もはや修行とはいえないのじゃ。

 かつて自分の心を偽り、本心から眼を背けていた者も、一度己の心を偽らず、本心を見つめようとしたならば、苦は滅し、そこにこそ全ての法の真髄が在ると知り、真の悟りが訪れるじゃろう。
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悟りを得るための修行法 | 11:33:59 | Trackback(0) | Comments(8)
コメント
自分の醜さを観るとき、それに対して言い訳や善悪の判断をくだす必要はないのですね?ただ、自分は本当はそのように醜い、と認識するだけでよいのでしょうか?
自分の本心を知り、認めるだけでいいのでしょうか?

私もつねづね、本当は人はみな潜在意識下では自分の愚かさ、過ち、醜さなどによく気づいていて、しかし心の弱さ(自我を守りたいという意識)からそれを認めたくないばかりに、顕在意識上でその反動ともいえる逆の行動を強く意識し、それを隠そう、なかったことにしようとしているのではないか、と思っていました。
潜在意識に対して嘘をつくのをやめて顕在意識も自分の本心に同調すれば、その次にはなにが起こりますか?
たとえば嘘をやめたことによる平和な感覚などが得られたり、無意識下での日常の言動の変化などがあるでしょうか?


また、劣等感や罪悪感に悩んでいる人、普段から自分を強く責めがちな人の場合、自分の醜さを目の当たりにするときに特に注意する点などはありますか?
2011-04-27 水 12:19:56 | URL | 名もない猫 [編集]
本来ならば醜いと思う事さえいらないのじゃ。
しかし、醜いと思ってしまったならば、醜いと思ったと観察するのじゃ。
そしてそれに良いとか悪いとか何も付け加えない事じゃ。

自分の本心を知ればそこから全てが変わるじゃろう。
今までやりたくも無いのにやっていた事をやめ、やりたいのにやらなかった事をやれるようになるじゃろう。
本当の生き方がそこから始まるのじゃ。

醜いと言う判断も捨てるのじゃ。
ただ反応があるだけなのじゃ。
そして心の自然な働きを受け入れるのじゃ。
2011-04-30 土 10:06:52 | URL | 鬼和尚 [編集]
なるほど、「自分は本当はそのように醜いと認めよう」ではなく、「自分の本心はこうこうで、そしてそれを今醜いと思った」、あるいは「潜在意識下でそれに気づきつつ、今までそれを醜いと思って認めようとしていなかった(だから苦しかった)」という風に観ればいいのですね。

  心の動きは、すべてただの反応であり、本来はそれに良いも悪いもない

そう思えば、ずっと楽に己の本心を見つめることができそうです。
本当に目からウロコが落ちます。ありがとうございます。
2011-04-30 土 12:08:58 | URL | 名もない猫 [編集]
どういたしましてまたおいでなさい。
2011-05-07 土 13:01:40 | URL | 鬼和尚 [編集]
友達が「親鸞会」というところに、法話を聞きに言ってるらしく
誘われましたがネットで少し調べたところ良悪両論あり良くわかりませんが
和尚様は、この団体のことご存知でしょうか。

宜しくお願いします☆
2011-05-13 金 15:55:51 | URL | sei [編集]
知らないのじゃ。
お釈迦様の教えは自らの本心を観る事だけなのじゃ。
その友達にこのブログを見せてあげるのじゃ。
2011-05-14 土 21:12:30 | URL | 鬼和尚 [編集]
数息観は、楽な気分になれるので、更に次に進みたいです。自然にわいてくる思考や感情をただ見つめて、消し去る感じは分かるのですが、自分の本心を見ようとする(観察する)のは、積極的な分析と言うか、自分に対する問い掛けが必要になるようで、かなりストレスが強いです。
そのストレスに負けずに、とことん自分の本心をほじくり出さなきゃいけないのでしょうが、かなり難しいです。
その難しさを、緩和する方法を教えてもらっても、最終的には自分自身を見つめ尽くさなきゃいけないのでしょうし、心が折れそうな気がしてしまいます。
質問というよりも、泣き言みたいな話になってしまいましたが、どうしたらいいのか分からないのです。
2011-05-15 日 04:48:37 | URL | まぁ [編集]
そうじゃ、心の中を見つめるのは苦しいものじゃ。
しかし、見返りも多いのじゃ。
自分が避けたいと思っていた事を、観察によって探り出し、滅すれば心はそれだけ解放されていくものじゃ。
恐怖や不安が無くなり、世界が明るくなったような感じがするじゃろう。
そのように苦が無くなれば、楽が生じるのじゃ。
かつて自分が苦にしていたことも、滅するのを見て、新たに己の心を観る勇気を奮い起こすのじゃ。
やがて全ての苦は滅し、安楽にして永遠の境地が開かれるじゃろう。
2011-05-20 金 20:44:17 | URL | 鬼和尚 [編集]
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