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鬼和尚天空

Author:鬼和尚天空
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常に実践じゃ。
 修行とは知識を得るためのものではなく、考え方を身につけるものでもない。
 その点では修行と言うものは学問よりもスポーツに似ているものじゃ。
 学問では知識を記憶したり、公式を身につけて応用するのが目標となるものじゃ。
 そしてそれを世間に役立てたりする。

 スポーツでは練習によって個人の体力や技術を養う。
 それで体を鍛えたり、体の使い方を習うものじゃ。
 そして大会とかでの優勝を獲得する。

 それらは個人の記録や栄誉に関するものであり、世間に役立つとか言うことは無い。
 知識や考え方を得ることが目標でもない。
 大会で優勝したからと言って、それを知識として他人に伝えられるものではない。
 他人が同じように優勝するには、やはり練習するしかないものじゃ。

 悟りを得るための修行は、大体は集中力と観察力を養うものじゃ。
 それによって心を鍛え、心をコントロールし易くする。
 そして集中と観察によって自我を超え、悟りを獲得する事が出来るのじゃ。
 そのようにして得た悟りは他人に言葉として伝えられるものではない。
 他人が悟りを得るには、やはり修行するしか無いのじゃ。

 悟りへの道が学問と同じようなものと想っていると、延々と知識だけを求めたり、法則を知るのが悟りであると謬見が生じたりするものじゃ。
 修行はむしろスポーツの練習が体を鍛え、体の使い方を習うように、心を鍛え、心の使い方を習得するものと言えよう。
 スポーツのように知識を習得するだけでなく、実践する事が大事なのじゃ。 

 偉大なスポーツ選手が弛みなく己を鍛え、栄冠を手にするように、修行者も常に怠り無く修行に励み永遠の喜びを手に入れるのじゃ。
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元気が出る説法 | 20:09:00 | Trackback(0) | Comments(8)
コメント
今回のたとえ話は修行がどういうものかについての理解がしやすかったです。ありがとうございます。

最近は日常生活でも自分の心を真摯に観ようとすることができ始めた気がします。
長年の苦の結果、心の糸が複雑に絡み合ってなかなか本心を観るのが難しく、ずっと臭いものにフタ、の状態でしたから少々てこずりますが、自分が本当は何をどう感じているかとかを知るのは、自分自身を助けるのにとても役に立つと感じています。
このブログに出会えてわかったことです。ありがとうございます。

修行は無理のない範囲でゆっくりやっていこうと思います。
これからも末長くよろしくお願いします。
2011-06-25 土 14:04:03 | URL | 名もない猫 [編集]
いい事じゃ。
こちらこそよろしくなのじゃ。
またおいでなさい。
2011-07-04 月 13:47:42 | URL | 鬼和尚 [編集]
欲望って、描いたビジョンにカーソル(現実)を合わしたがる衝動のことだと思います。

ビジョンに対して動揺しなくなったら、

最後は誰に会いたいとかなくなってしますのでしょうか?
2011-07-05 火 16:29:45 | URL | ドンマイ [編集]
本当に自分をみつめると言うこととは
本当に自分を見つめることは、つらいです。
瞑想をして、呼吸をみつめてそれを目的にすれば、妄想をにらみつけるだけで、妄想は消えてなくなり楽になれますけど、本当に自分を見つめようとすると、尋常じゃないストレスがかかります。にらみつけても、消えません。
確かに、ただ座って楽になるノウハウを身に付けるだけでいいのか!いいはずはないとは思うのですが、自分をにらみつけて苦しむ事より、瞑想の人を楽にさせるノウハウを追求する先に何か展望が開けるんじゃないかなと思ったりするのはだめでしょうか。

自分=過去をにらみつけるより、楽になるノウハウ=先人の知恵を生かすことをメインに考えたらだめでしょうか。

自分自身を見つめる苦しみから逃げたいだけろうなとは、思うし、それじゃまずいとは分かるのですが、見つめ切れません。
こまります。
2011-07-10 日 03:17:13 | URL | まぁ [編集]
Re: タイトルなし
> 最後は誰に会いたいとかなくなってしますのでしょうか?

無くなるじゃろう。
全ては一体であると知れば、会わなくとも常に一体なのじゃ。

2011-07-17 日 19:18:52 | URL | 鬼和尚 [編集]
本当に修行が進んでいる時こそ苦しいものじゃ。
風に逆らって進めば激しい抵抗に会うように、本当の修行をしている時こそ自我の抵抗も激しいのじゃ。
そのように今の己を追及しつづけるのじゃ。
抵抗するものを捨て切ってしまえば楽になるじゃろう。

今ここで本当の修行を出来る者は少ないものじゃ。
一度逃げてしまえば、二度と己を見ようとするのは更に難しくなる。
前回の恐怖がある故に、逃げる方が容易になってしまうのじゃ。

今一秒でも長く、己を観続けたならば、それだけ真実は目の前に開かれていくじゃろう。
それは神々でさえ羨む真の永遠への道なのじゃ。
力の限り頑張るのじゃ。わしがついとるぞ。
2011-07-17 日 19:51:54 | URL | 鬼和尚 [編集]
今ここ
過去を振り返ることが、苦痛であるとしても、それは記憶の中にあるだけで、今ここにあるものではない。これから先にある不安も、今ここにあるものではない。
自分の過去を徹底的にほじくり返して、劣等感や敗北感を今感じたとしても、それは今ここにあるものではない。だから、おそれずに内省しつづけなくちゃいけないと理解すべきでしょうか。とことん自分を見つめ直すことを省略して、先に進む事はできないのでしょうか。

2011-07-24 日 02:13:24 | URL | まぁ [編集]
その通りじゃ。
自分を追求する事こそが人の行くべき道なのじゃ。
そしてその他に道は無いものじゃ。
己を極めた時に悟りは訪れるのじゃ。
2011-07-26 火 21:19:23 | URL | 鬼和尚 [編集]
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