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鬼和尚天空

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多くの苦しみも消せるのじゃ。
 今年は大きな災害もあり、あらためて生きている事が大きな恵みであると、気づかされる年であったのう。
 多くの人が悲しみを味わった。

 しかし、悲しみは苦ではないのじゃ。
 親しいものが死んで、悲しむのは当然の事じゃ。
 それは本来の心の働きなのじゃ。

 悲しみが心を離れず、何度も死んだ者を思い出したり、過去にはこのように生きていたとか、もしかしたら何かの間違いで生きているかもなどと、思うのが苦になるのじゃ。
 今、ここにあるものより過去や願望を見る時、執着により苦が生じるのじゃ。

 心は全ての世界を形作っている故に、心に悲しみが在れば世界は悲しみが一杯にあるように見えるじゃろう。

 心に恐怖があれば、世界もまた恐ろしいものに見える。
 心に憎しみがあれば、世界は憎しみで満ちているように見える。

 心に孤独があれば、世界は全て寂しいものに見える。
 心に苦があれば世界は一切が苦になるのじゃ。

 それ故に安楽を求める者は先ず、己の心を整えなければならんのじゃ。
 心が整えられ安楽になれば、世界もまた安楽になるのじゃ。
 世間の多くの者は、この順序を間違えているから、絶望に陥るのじゃ。

 多くの者は心に孤独や悲しみや恐怖を抱えながら、先ず金や名声や権力などを求め、それが得られれば、孤独や悲しみや恐れが消えると思っておる。
 しかし、心にある孤独や悲しみや恐れは、どれほど金や名声や権力があっても、消える事は無いのじゃ。

 腹が痛い時は腹を治さなければならないように、心に苦があれば心にある苦を滅しなければならないのじゃ。
 どんなに多くの苦に苛まれていても、人が執着を減らし、苦を一つずつ滅していくならば、やがて苦は無くなるものじゃ。

 例えば大きな池に沢山の水がたまっていても、上から水が流れてこないようにして、下から水を抜いていけば、やがて空になるのじゃ。
 そのように人も執着によって苦を作り出すのを止め、一つ一つ苦を滅していけば、やがて苦は無くなり、安楽の境地に至るじゃろう。

 そのように修行者は執着を去り、苦を滅し、世において自ら安楽の境地に行くが良いのじゃ。
  

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元気が出る説法 | 20:58:21 | Trackback(0) | Comments(14)
コメント
和尚様へ
今年も一年間ありがとうございました。
来年も宜しくお願いします。

牛歩み
日々、苦の厭離重ね
執着を去り
安楽境地へ進めますように・・・


寒い日が続いていますが
お体に気をつけてくださいね。
来年も月々のお話を楽しみにしています☆
2011-12-27 火 23:41:24 | URL | sei [編集]
あけましておめでとうございます。
新参ですがよろしくおねがいします。
2012-01-01 日 21:05:21 | URL | mik [編集]
sei
あけましておめでとうなのじゃ。
おぬしも体に気をつけて修行に励むのじゃ。
2012-01-05 木 09:37:26 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
mik

あけましておめでとうなのじゃ。
こちらこそよろしくなのじゃ。
2012-01-05 木 09:40:46 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
和尚様
あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。

質問ですが
和尚様は初詣に行きますか?
それと家に神棚とかありますか?

お墓参りとか、神様に手を合わせたりするのかなと
思いました。

悟られた後の信仰はどうなるのかな・・・
と思いました。

宜しくお願いします。
2012-01-11 水 04:41:22 | URL | sei [編集]
おめでとうなのじゃ。
家には神棚もなにも無いのじゃ。
初詣には行かんのじゃ。
墓にも、神社に詣でる事も無いのじゃ。
全てはわしと同じ意識だけであるからのう。
自らの心の他に神を求める意味は無いのじゃ。
2012-01-14 土 19:36:06 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
和尚様に小さいお孫さんがいたとして
「おじいちゃん一緒に初詣に行こうよ」と誘われた場合。
和尚様は一緒に行くと思いますが
小さいお孫さんの前では手を合わせて見せますか?
そしてお孫さんが成長していく中で、お話されていくという感じでしょうか?

2012-01-15 日 12:34:55 | URL | sei [編集]
ここ沖縄県では、ご先祖さま供養を熱心にいたします。
思うのですが
ご先祖様はやはりどこかにいらして
僕達が供養したりお墓へ行きお花を供えたりすると
喜んだりしてくれるのでしょうか?

悟りを得るまでの「心」というもののように
そこに至るまでに「必要」とまでは言いませんが
優しさとか思いやりの心、菩薩心を養っていくことに繋がる
ということで
悟りを得たあとのように「心」を捨てる
ということと一緒なのでしょうか?

と「頭」で考えていますが
人への
菩薩心というものは
悟る前と悟った後
変化はあるのかなぁと思いまして質問しました。
宜しくお願いします。
2012-01-15 日 12:58:21 | URL | sei [編集]
わしは神も仏も求める者の心の中に在ると言うじゃろう。

人が認識する全ては、心によって作られしものなのじゃ。
それ故に自ら思うままに全てはあるのじゃ。
それもまた人の思いによって変化するじゃろう。
思いが無くなった時、世の真実のあり方が見たり、感じたり出来るのじゃ。
それゆえに目覚めた者には幻想である世も、目覚めない者には現実であり、保たなければ成らないものと見えるじゃろう。
全ては目覚めた時に如実に判明する事であり、それまで人は幻想を抱いて生きる事も仕方の無い事なのじゃ。
2012-01-21 土 20:08:33 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
和尚様
ありがとうございました。
よく解りました。
明日からも心を見つめて参ります。

2012-01-21 土 23:06:26 | URL | sei [編集]
はじめまして

質問があります

仏陀はどうやって慈悲という概念を導いたのですか?
それとも彼自身は慈悲というものを説いていないのでしょうか。

2012-01-22 日 04:36:30 | URL | ごったま [編集]
慈悲
仏陀はどうやって仏教の慈悲というものを導いたのでしょうか
前の記事に、人に善い行いをすべきとか書かれていましたが、その根拠は何なのでしょうか
たしか幸運を招くとか言ってましたけど、どういう原理で幸運が招かれるんでしょうか
あと幸運を招くためにやるのなら、それた他人のためではなく自分のためであるので慈悲ではないですよね
2012-01-22 日 14:06:58 | URL | ごったま [編集]
sei
どういたしまして、またおいでなさい。
2012-01-30 月 21:07:41 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
慈悲は概念ではなく心から生じる感情なのじゃ。
己と同じ者を慈しみ、苦しむ者を悲れむのが慈悲と言うものじゃ。
ダンマパダ(法句経)にはこのように書いてある。

261 、誠あり、徳あり、慈しみがあって、傷わず、つつしみあり、
みずからととのえ、汚れを除き、気をつけている人こそ「長老」と呼ばれる。

 善い事をすればおぬし自身の心がそれを知る。
 心が善き者であるおぬしの味方になるのじゃ。
 心が味方であれば、心が良い所へ導いてくれるじゃろう。

 本来は他人のためにやるものであるが、自分のためでもそれで他人が喜ぶならば善い報いはあるじゃろう。
 おぬしの心が知っているからのう。
2012-01-30 月 21:19:33 | URL | 鬼和尚天空 [編集]
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